どうして私がこんな目に。


「彼を何処にやったのよ!!」

「っ…だから、しらな…」

「嘘!結局彼はずっと貴女のことを想ってた!私じゃなくて、貴女を…!!やっと手に入ったと思ったのに…」

「やめ、て…」

「返して、返して…返して!」


正気ではない目をした女に馬乗りになられ、頬を殴られる。


口の中が切れて血の味がした―――。



仕事帰り、聖護くんとご飯を食べに行く約束をしていた。


おいしいお寿司の食べられるお店へ連れて行ってくれるって。


「大将からいいネタが入ったと連絡があってね」

「やった、たのしみー」

「嬉しそうだね―――出逢った頃はあんなに嫌悪していたというのに、」

「うん、ふふ、でも知ってるお寿司と聖護くんが食べさせてくれるお寿司は全然違ったから、今は大好き」

「合成ではない物の味を君に教えることができて良かったよ、きっと今日の寿司も絶品だろうから楽しみにしておくといい」


微笑みながら聖護くんは私の髪を撫でた。



上機嫌で仕事を終わらせ、聖護くんと待ち合わせをしている場所へ向かった。


待ち合わせは人気のない廃棄区画内。


足を踏み入れたところで携帯端末が振動し、聖護くんからの着信を知らせた。


「聖護くん、なにかあった?」

「思いの外早く事が済んでね、まだなら迎えに行こうかと思って」

「あ、でも、私ももうすぐ着くよ、だから大丈夫、ありがとう」

「そう、じゃあ待っているよ」


聖護くんとの会話を終え、端末を鞄にしまう。


私を待つ聖護くんはきっと、スマートな佇まいで本を読んでいるに違いなくて。


廃棄区画の風景からも浮いて見えるであろう姿が容易に想像できて、自然と頬が緩む。


でもそんな脳内の虚像なんかよりも、早く実際に捉えたくて、気付けば足早になっていた。


けれどその時、私の気持ちなんてお構いなしに、後ろから何かに体当たりをされ。


不意打ちのことにバランスを崩し、派手に地面に投げ出された。


自分の身に何が起きているのか理解できないでいると、腕を引っ張られ仰向けにされた。


間髪入れずに知らない女が私の上に跨がって。


「彼は何処…?」


そう言いながらまず一発私の頬を殴った。


彼…?


聖護くん…?


でもそんなわけない。


聖護くんは、関わった人間が他人に迷惑を掛けるような人付き合いをするひとでは絶対にない。


「ッ…何のことですか、こんなことされる覚えはありません」

「とぼけないでよ!どうせ別れてもまだ唆していたんでしょう!?そうじゃなきゃあんなに貴女のことばっかり…」


別れてもまだ…。


その台詞を聞いて遠い記憶と繋がった。


――――ああ……彼、か……。


今の日々があまりにも輝かしいおかげで、すっかり昔話になった。


聖護くんとの出逢いの発端でもある彼。


「早く教えて、彼を迎えに行くから」

「知りません、 もう関わりもなければ興味もな…、…っ…!」

「いつまでしらを切るつもりなのよ!忽然と姿を消すなんて…貴女の所にいるとしか思えない!」


そうして数発殴られて。


女は私の手首を掴んで動きを封じた。


もちろん抵抗しなかったわけではないけれど。


狂気に満ちるほどの動機には敵わなくて。


だけど彼について伝えることは何もなくて。


理不尽に、頬が痛む。



「じゃあもういいわ…、貴女を消せば彼も帰ってくるに違いないから…」


諦めたかのように、雰囲気が少し軽くなった女。


だけど用意していたらしい結束バンドとナイフを出して。


私の手首を拘束してからナイフを目の前でちらつかせた。


本当に殺す気なのだろうか。


そんな理由で、私を?



「…馬鹿なんじゃないの」

「うるさい、死んで、返して」


女はついにナイフを大きく振り上げた。


言葉で皮肉るしかできない自分が心底憎らしかった。


いくら聖護くんとグソンさんに護身術を教わっていたって、肝心な時に咄嗟に使えないなら意味もない。


いつだって聖護くんに守られている私は結局詰めが甘いんだ。


もっと気を引き締めていなければ駄目だった。


なんて愚かだろう。


今更自分を戒めても、どうしようもないのに。



「――――逆境が」


だけど、その時。


「人に与えるものこそ美しい」


聞き慣れた柔らかな声が闇を包んで。


私を見下ろす女の背後。


宵闇の中、白い月の光を浴び輝く白銀の髪の持ち主が見えた。


「聖護くん…!」

「っ!?誰よ!?邪魔しないでよ!」


女の意識も聖護くんの存在に奪われ、ナイフが振り下ろされることはなくなった。


「それはガマガエルに似て醜く、毒を含んでいるが」


聖護くんは本の言葉を引用しながら女の髪を掴んだ。


「その頭の中には宝石を孕んでいる――」

「いっ…!何するのよ!やめなさいよ!!」


そうして私から引き剥がすように、女の髪を引っ張った。


女は痛いと暴れたけれど、聖護くんはお構いなしだった。


見たこともない、冷徹な視線。


一瞬にして支配されるこの場。


背筋も凍ってしまいそうな程の空気が張り詰めた。


でも私にとっては、聖護くんの姿がもたらしてくれる安堵の方がずっと大きかった。


殺されるかと思ったシーンから解放され、速まっていた心臓の音が妙に煩く耳に響いた。


「――…君の中にも宝石は輝いているのか、僕に見せてはくれないだろうか」

「何よ!あんた!私はあの女に用があるのよ!」

「どうして?」

「彼を奪ったから!」


聖護くんは背後から、女の髪を掴む手は緩めずに、目線が合うように思いきり引いている。


それでも口調はいつものテンポを崩さずに。


「何故、ヒロインが君の彼を奪ったと思うのかな」

「だってそれしか考えられないじゃない!」

「随分と視野の狭い見解だね」


呆れたように薄く笑みを浮かべた聖護くん。


そんな聖護くんからは、慣れ、を感じた。


私は上体を起こし、目の前で起こる光景をただ見つめていた。



「彼を奪ったのは、僕だよ」

「え…?」

「厳密にはこの世から消した、そう言った方が正しいだろうね、それこそ跡形もなく」


聖護くんの言葉を聞いて、不意を突かれたように女の勢いは弱まった。


私も一瞬思考が繋がらなかった。



聖護くんが、彼を、消した…?



でも聖護くんが嘘を言っているとも思えなくて。


むしろ何処か腑に落ちたような気さえして。


不思議な程、全ての出来事を柔軟に受け入れることができていた。



「何言って…冗談、でしょ…?」

「だったら、これを見てごらん」


言いながら聖護くんはポケットから端末を出して、何かの画像を女に見せた。


「ひ…!!」

「とても無様だね」


聖護くんは悪戯を仕掛けた子供みたいに無邪気に楽しそうに笑った。


裏腹に女は、一気に青褪め涙を浮かべておぞましいものを見るような視線を聖護くんに向けた。


「嘘よ…!嘘!何かの合成でしょう…!?だってこんな酷いことが人間業だなんて…!」

「生憎戯れ言の為に時間を割けるほど暇ではなくてね―――さて、君に問うとしようか」


また真顔に戻った聖護くんは、今度は剃刀を出し。


何をするのかと思えば、女の喉元へ当てた。


「君が憎悪を向けるべき相手は、誰だ」

「や…め…て…」

「その程度の覚悟でヒロインを殺めようとしていたのか…」


聖護くんの金色の瞳が鋭く光る。


この期に及んで、その輝きが美しくて、見惚れてしまいそうになるなんて。


「僕に立ち向かうことすらできないとは…嘆かわしいよ、本当に」

「ごめん…なさい…!助けて…!」


女は震え上がり、手にしていたナイフを落とした。


地面へ触れ冷たく響いたナイフの音は、この場にそぐわずに浮いて聞こえた。


「偽りの輝きなど目障りなだけだ」

「っ…!!」


聖護くんは剃刀のほんの先端を女の首へと立てた。


つ、と真っ赤な鮮血が流れ落ちる。



緊迫した空気が充満する。


「やっと見付けたぞ!!」


そんな中、その空気を壊すようにドミネーターを構えた男が現れた。


公安局だ。


ドミネーターは女に向けられていて、形が変形したことからも、女の犯罪係数が異常であることを物語っていた。


公安の男はこの光景を見て愕然としている。


「貴様ら…!!一体何をしている!」

「ここで公安のお出ましか…この女を追って来たのだろうが、一足遅かった」

「いやだ…!!助け…っ…―――」

「な!?」


だけど聖護くんは、ついに。


何の躊躇いも見せず、女の喉へ当てていた剃刀を引いた。


血飛沫が飛び散る光景は現実離れしていて。


聖護くんだけが真実だった。



女の生は一瞬にして失われ、聖護くんが髪を掴んでいた手を離すと共に地面へと崩れ落ちた。


公安の男は険しい顔をして今度は聖護くんにドミネーターを向けた。


「貴様!何故その女を殺した!」

「聖護くん!!!」


聖護くんが撃たれる。


そう思った瞬間私のからだは無意識に動き、聖護くんの前に立ちはだかろうとしていた。


「ヒロイン、恐れることはないよ」


でも聖護くんは私を包むように肩に腕を回して、私の行動を阻止した。


「は…!?アンダー40!?この男は人を殺したんだぞ!?なぜトリガーをロックする!?」

「聖護くん…?」

「だから僕は大丈夫なんだよ、それよりも、ヒロイン、」

「ああもういい!女!お前も今の一件で執行対象だ、犯罪係数111、まずはお前からから撃たせてもらう」


人を殺したはずなのに、聖護くんの色相は濁りを知らないようで。


だけど今度は私にドミネーターが向けられて。


「っ……」


生まれて初めて色相が濁った。


撃たれたらおしまいなの…?


そんな理由で聖護くんと離れるなんて、考えたこともなくて。


きっと、さっきまでの方が怖いものをたくさん見たはずなのに。


聖護くんの隣でドミネーターを向けられている今の方が、何故だか恐怖が大きくて。


「大丈夫、ヒロイン、僕を見て」

「しょうごくん…」

「うん、いい子だね、ヒロインは」


涙が溢れそうになった。


聖護くんの目をじっと見れば、聖護くんは私の頬を両手で包むように触れた。


それからこめかみにキスをして、口の端から流れる血液も舌先で掬い。


いつもよりきつく抱き締めてくれた。


ああ…なんて落ち着くんだろう。


やっぱりここにいられることが何よりの幸せ。


他人に壊されたくなんて、ない。



「―――…ほら、ヒロイン、きっともう大丈夫だよ」

「え…?」


聖護くんは腕の力を緩め、私の顔を見て微笑んだ。


それからすぐに公安の男を見据えた。


つられて私もそちらを見れば、まだ私に向けられるドミネーターが目に入った。


けど。


「脅威判定の更新…?75…??どうして…」


聖護くんの言う通り大丈夫になった。


私は大丈夫だった。



「お前何者なんだ…?何故…!!?今度は16だと…?」


男はもう一度聖護くんにドミネーターを構え直したけれど、やっぱり 聖護くんは濁ることはなくて。


「もう僕達に用はないはずだ」

「何故…!何故だ!!」

「ああ、でもそうだな、君は見過ぎた」

「アンダー10…!?何かの間違いだろう!?」


聖護くんの犯罪係数と、使えないドミネーターに男の血の気は引いていった。


聖護くんの犯罪係数は一向に100に近付くことはなく。


それどころか下がる一方のようで。


聖護くんは私を腕の中からそっと解放し、向き直った。


そうしてじりじりと男に近付いていった。


「やめろ…何故だ、やめろ、やめろぉぉ!」

「公安の人間で僕を楽しませてくれるのは、おそらく彼だけだろうね」

「彼……?お前、本当に何者…ッ」


おずおずと言葉を口にする男を無視し、自分に向けられるドミネーターを蹴り上げた聖護くん。


完全に怖じ気づいてしまっている様子の男の手から呆気なく離れていったそれは、綺麗な弧を描き落下し鉄屑と化した。


男は後退り、背を向け走り出し逃げようとした。


でも聖護くんが逃がすわけなくて。


背後から男の腕を捕らえたと同時に、喉元目掛け、ぐ、と剃刀を立てた。


それから、犯罪を重ねた。


二体に増える死体。


これと似た光景は聖護くんの部屋で読んだ、今は絶版となっている本の中で多々見掛けたことがある。


こんな状況でも脳内ではそんなことをぼんやりと考える余裕もあって。


聖護くんといられるのなら、私の世界は平穏なんだと思い知る。


狂っているのかも知れない。


でも聖護くんを想う気持ちはこんなにも澄んでるから―――。




「ヒロイン」


二つの肉の塊を、済んだこととして理解するように眺めていたけれど、聖護くんの声で我に返る。


聖護くんは表情を持たずに私を見つめながら、訊いた。



「僕が怖い?」



――…平気な顔をして殺人を犯した。


普通ならば恐ろしいに決まってる。


でも此処にいるのは、大切なひと。


愛して止まない私の恋人。


怖くなんかない。


問われて真っ先に浮かんだ答えだった。


でも言葉が詰まって出てこなかったから、代わりに一生懸命首を横に振った。


「そう、…おいで、ヒロイン」


そうすれば聖護くんは綺麗に笑んで、手を差し出してくれたから。


胸の中に飛び込むと、背中に回される腕は優しく私を受け止めてくれた。


「聖護くん…!」

「うん、ヒロイン、」

「聖護くん…あいしてるの」

「ヒロインは本当にいい子だね」


恋しくて見上げれば、聖護くんの顔が近付いてきて。


瞳を閉じると聖護くんの唇が私の唇に重なった。


聖護くんでさえあれば、どんな状況だろうと愛おしいから。


今はただ、呼吸すらままならないキスに、狂おしいほど溺れていたい。




サンクチュアリで戯れを


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