「あのさぁ…ギノさん、怒らないで聞いてほしいんすけど」

「なんだ」

「いや、もう顔怖ェし……」


まだ何も伝えてないのに、険しい視線が落ちてきて、無意識に小さく零す。


背の高いこの人と、捜査じゃねェ時間に並んで歩くのは久しぶりだ。


俺の非番。


天然の食材が売っているあの場所へ向かうのは約三週間ぶりだった。


けど今日は隣にアオさんじゃねェ。


だからどうしても言っとかなきゃならねェことがある。


「で、なんだ」

「あー…ほら、この間二回続けてアオさんに付いてきてもらったじゃないっすか」

「それがどうかしたのか」

「そん時に俺、自分から……困ってた女の子に話し掛けちまいまして…一般市民の…、それでちょっと顔見知りになったつーか……」

「!!」


眼鏡の奥の瞳が見開かれたかと思ったら、すぐさま「一体どういうことだ!」なんて予想通りの反応。


やっぱり怒っちまってるけど、今更引き返すこともできねェし。


もしかしたら今日も会うかも知れねェから、ヒロインちゃんと出会った経緯を全てギノさんに伝えた。


今日ももしヒロインちゃんに会えたら、あの子はきっと―――いや、絶対に前と変わらない笑みで話し掛けてくる。


そうすれば、ギノさんは多分、俺が潜在犯だということを真っ先に言っちまう。


“気安く話し掛けたら危険だ”とでも。


そうなった時のヒロインちゃんの衝撃はでかいだろうから。


善良な市民様の生活なんて知ったこっちゃねェけど、あんな風に関わった女だとまた別で。


何も伝えないまま、俺みたいな潜在犯と関わらせておくのはやっぱり良くねェ。


だから今日ヒロインちゃんに会えたら、俺は潜在犯だと告げる。


せめて自分の口から、少しでもヒロインちゃんの負担を軽減する言葉を探して伝えたかった。


謝罪したかった。


その後、サイコパスのケアが必要だったら、ギノさんにフォローは頼んで。


俺からは遠ざかってもらうのが、きっと最善だ。


だけどその辺の気持ちを分かってもらえねェと、下手すりゃ今日は一言も話せねェ可能性もある。


「なんてことをしたんだ……貴様は……」

「悪いとは思ってますよ!だから謝りたいって…」

「耐性のない一般市民だぞ、潜在犯とそんな風に関わっていたと知り色相に影響のない人間などいるわけがないだろう!何の為に潜在犯が隔離されていると思っている」

「それは…分かってますって……でも、」

「貴様は何も分かっていない!」


だから必死に説得した。


が、返ってくんのは正論ばっかで、取り付く島もねェ。


結局、一向に打開策を見出だせずに互いの意見は衝突をしたまま、ついにあの店に着いちまった。


すると、案の定というかなんというか…。


「あ!しゅーせいくん!」

「ヒロインちゃん……」


しかも今日は、待ってましたと言わんばかりのヒロインちゃんが、俺を見て満面の笑みで手を振り始めた。


俺は今日もヒロインちゃんに返す心からの笑顔を探してる。


「あの女性か」

「そうなんだけど……、」


結果的にギノさんは折れてねェままなんだから、ここで俺が出しゃばるような真似はするべきではない。


渋々ギノさんに成り行きを委ねる。


「でもギノさん!絶対に失礼なことだけはしないでくださいよ」

「当たり前だ」


そう言ってギノさんは、ヒロインちゃんに近付きつつ、スーツの中に手を伸ばした。


それから、何をするかと思えば、ドミネーターを出して。


「失礼、」

「…え……?」

「ちょ……!ギノさん!」


事もあろうか、ヒロインちゃんに向けた。


ほんの数秒の出来事で、制止する間もなかった。


「何やってんだよ!失礼なことすんなって言ったばっかじゃねェか!」


驚きのあまり、いつもギノさんに対して作っている敬語すら忘れた。


「だから先に失礼と伝えただろう」

「そういう問題じゃねェよ!ヒロインちゃんごめん!」

「貴様は黙っていろ」

「んなこと言ったって…」


すげェ気まずいけど、ヒロインちゃんの方を見れば、ヒロインちゃんは目を真ん丸にして、面食らったように瞬きを繰り返していた。


まぁ…当然だろう。


普通に生活してりゃあこんな場面に出くわすことはまずない。


潜在犯の俺なんかと関わったせいだ。


自責の念がじわじわと広がっていく。


「なんでヒロインちゃんにそんなもん……」

「色相を濁らせると言われている天然の食材を常食し、その上貴様と関わった人間だ、色相チェックは免れていたとしても犯罪係数はこうしなければ分からないだろう」

「それならデバイスでもいいじゃないっすか…」

「もし犯罪係数が危険な数値だった場合、すぐに対処ができるようにだ」

「だからヒロインちゃんはそういう感じじゃねェんだって……俺だってこの仕事してんだから、それくらいの鼻は利きますよ」

「どうだかな」


ギノさんは不満の塊みてェな顔をしつつも、変形しなかったドミネーターを元の位置に戻した。


言わずもがな、ヒロインちゃんの犯罪係数には何の問題もなかったようだ。


いきなりドミネーターなんて向けられりゃあそれだけで不安定になる可能性もあったが、それも大丈夫だったんだろう。


だが……、ギノさんの言い分だって理解はできるけど、ヒロインちゃんに対してどうフォローを入れればいいか、もうさっぱり分からねェ。


険悪な雰囲気は拭えないまま、僅かな沈黙が流れた。


そんな空気の中、先に口を開いたのはヒロインちゃんだった。


「…えっと……私、何か、しましたか?」

「突然不躾なことをして申し訳ありません、私は公安局刑事課の者で宜野座信伸親と申します」


ヒロインちゃんの犯罪係数に異常がなかったからか、ギノさんもただ単に市民を守る業務上の顔に切り替わった。


打って変わって丁寧にヒロインちゃんに接している。


「刑事さん、……どうしてしゅーせいくんと…?」

「この男は私の部下です、今日は貴方に話があるということで…」


で、ここまで来て。


ヒロインちゃんに自分の口から伝えてェっていう俺の意見は通してくれんのかよ。


すげェ今更で、ギノさんどこまで素直じゃないんすかって文句の一つや二つ言ってやりたかったけど。


ギノさんの言葉を聞いたヒロインちゃんに真っ直ぐに見つめられ、ちゃんと向き合わねェと、と改めて思う。


今はただ不思議そうな顔をしてるだけで、警戒心なんかは微塵も感じさせないヒロインちゃん。


「あー……ヒロインちゃん、この人がごめん、びっくりしたよな」

「それは今俺から謝罪をしただろう、お前は一刻も早く言うべきことを言え」

「分かってますって……でもごめんな」

「ふふ…ううん、確かにびっくりはしたけど、大丈夫だよ」


俺とギノさんのやり取りに小さく笑って、ドミネーターを向けられるっつーありえねェ行為も寛容してくれる。


だがその表情は、俺の言葉を聞いたら、どんな風に雲っちまうのか。


「だけど部下ってことは……しゅーせいくんも刑事さんなの?」

「…うん、まぁ……一応は公安の人間だよ…」


もっと、躊躇なんかせずに言っちまいたいのに。


喉元で詰まる言葉が最高にうざったかった。


「そうなんだ、公安の人ってもっと怖そうな人ばかりのイメージだったからちょっと意外、でも……うん、刑事さんなしゅーせいくんもかっこいいね」


んなに誉めたって何も出ねェよ、とか言って、また前みたいに会話を弾ませたかった。


だが、違う。


「……」

「しゅーせいくん…?大丈夫?」


言葉の出てこねェ俺を、ヒロインちゃんは本気で心配そうに覗き込んだ。


ヒロインちゃんの疑心のない瞳は、俺を捉えたままで。


その瞳があまりにも澄んでるから、俺は自分が一層、毒のような存在に思えた。



どうせ傷付ける。


どうせ濁らせる。


俺が“普通”を望もうなんて、お門違いもいいとこだったんだ。



純真なヒロインちゃんを見つめていたら、そんな考えが次から次へと湧いてきて。


その刹那、何故だか心がふっと軽くなった。



―――もう、いいや、どうでも。



「ごめん、ヒロインちゃん、俺さ…」

「ん…?」

「潜在犯なんだ」


自嘲気味な笑みを浮かべ、重くならねェトーンで告げることができた。


ヒロインちゃんは目を逸らさずに声にならねェ声で驚愕を漏らしたように見えた。


「だから俺は公安の人間って言っても執行官の方ね、公安の犬だよ、で、ギノさんは俺の飼い主、監視官―――こうして出歩くのだってギノさん達がいなきゃ無理だし、ほんとだったら施設に収用されてる人間なんだ」


こう言うとヒロインちゃんは反芻するように「施設に…」とだけ零した。


案の定、表情も曇り初めて。


結局、あれだけ考えても、自分の口から言っても、何の意味もなかったってこと。


だが俺自身の心は、当然のことを当然として理解しているだけで、ショックもなく冷静だった。


そのおかげか、さっきまであれだけ逃げ回っていた言葉達も、すんなりと形になり吐き出すことができた。


これ以上の関わりは持つべきではねェだろうから、最後に謝罪だけして、本当にもう終わらせよう。


「潜在犯が捜査でもねェのに一般人と関わるなんて普通はねェことなんだよ、……でもあの時の俺はヒロインちゃんがほっとけなかった」

「しゅーせいくん…」

「ごめんな、俺が関わらなきゃドミネーター向けられることもなかったし、今みてェに嫌な気分にさせることもなかった、本当ごめん」


するとヒロインちゃんはどこか苦しそうに首を横に振った。


きっと、根が優しい子だから、こうなっても尚俺に気を遣ってるのかも知れねェ。


でも、それでも。


色はどんどん蝕まれて行ってるに違いなくて。


「ぎのざさん…」

「やはり気分を害されましたか、直ちにメンタルケアの手続きを行いますので………先に色相チェックだけさせていただきます、」


ヒロインちゃんは眉を下げた表情でギノさんを見上げた。


ギノさんに助けを求めるのは正しい判断だと思う。


ギノさんもすぐにデバイスでヒロインちゃんの色相チェックを始めた。


「うん?アプリコット…?クリアカラーだと…?」

「色相は、…はい、大丈夫だと思います、……そんなことよりも、」


けどここで予想外の展開。


なんとヒロインちゃんはクリアカラーのままだったらしく。


しかも聞き間違えのような気さえしたが、今確かに自身のサイコパスを邪険に扱った。


「私、今しゅーせいくんを抱き締めたくて仕方ないんだけど、どうしたらいいですか…!」


それからヒロインちゃんが発した台詞。


それはヒロインちゃんにとってサイコパスよりも重要視されるべきはずのことだが…。


「「は…?」」


その言葉はまったく意味の分からねェもので、俺とギノさんの声は被った。


「いやいやいや、ヒロインちゃん……なんで…」

「だってしゅーせいくん、私にそのこと伝えるの、絶対すごい考えたでしょ、悩んでくれたでしょ」

「そりゃあ…ね、悪いことしたって分かるし、早く言わねェとなのに言えねェし……隠して潜在犯なんかと関わらせちまってごめん」

「そんなこと言わないでよ、私あの時しゅーせいくんが話し掛けてくれて本当に嬉しかったんだから」


まさかこんな反応が返ってくるとはみずに。


俺の方が驚かされて。


「私相手にそんなことで悩まなくて良かったのに…!」

「え…ちょっと待ってよヒロインちゃん、俺まじで潜在犯だよ?見てこの腕のデバイス、ギノさんのと違って自力じゃ外せねェの、潜在犯って犯罪係数も当然100越えてんだぜ?何考えてるか分かんなくて怖くね?」


馬鹿馬鹿しいけど、自分含め潜在犯が如何に危険なやつか説明したりもした。


「だからいいの、それでも、私にとってしゅーせいくんはいい人だから!」


でもヒロインちゃんは怯まなかった。


ただ単に平和ボケしちまってるおめでたいやつなんじゃないかとも思ったが、どうやらそれも違う。


「それにやっぱり、このことを伝えるのにあんな風に言葉を選んでくれたしゅーせいくんが、私にとって悪い人だなんて思えない」


……少なくとも。


ヒロインちゃんの言う通り、俺はヒロインちゃんにとって悪い人間ではないと言い切れた。


間違いなく潜在犯ではあるが。


この子に対して何か悪事を働こうだなんて気は全く起こらない。


だから、ここまで言ってくれるんなら、もう。


ヒロインちゃんには飾らずに、ありのままでいてもいいんじゃねェかとすら思える有り様。


「こんなに優しいのに施設とか考えたら切なくなるし……シビュラのばか」

「ヒロインちゃん……まじ……?」


ヒロインちゃんは真剣な表情で大きく頷いた。


サイコパスに異常をきたす訳でもなく、平然とシビュラを馬鹿呼ばわりする人間に初めて会った。


むしろ何もかも理解できねェって顔してるギノさんの方がよっぽど心配になってくる程で。


「いっぱい考えてくれて、本当のことを教えてくれてありがとう」

「なんで俺が礼を言われてんの…」


どこまでも予想が追い付かねェ。


ありがとう、なんて、俺が向けられていい言葉なのか。


「感極まったの、だからしゅーせいくんをありがとうの気持ちで抱き締めたい…!」

「だからってそれはねーよヒロインちゃん!それにンなことしたら彼氏に怒られちまうだろ」

「友情のハグだし、きっと彼は怒らないよ」

「友情……気持ちは嬉しいけど、でもやっぱねーよ!」


重たい話しに来たはずなのに、空気が軽い。


潜在犯の俺を思いやってくれる上に、ダチだって認めてくれた。


「なんで、ふふ、ほら、」

「しねェって!…ああもうギノさん、今こそヒロインちゃんの犯罪係数調べた方がいいっすよ!」

「あ……お、おう、待っていろ」


おまけにギノさんまで、ヒロインちゃんの謎の勢いにたじだじしちまってるし。


「……犯罪係数5、色相はペールアプリコットだ」

「ますますクリアじゃん!」

「信じられないが……」

「だから私は大丈夫なの」


ヒロインちゃんがゆったりと笑う。



―――否定、そればかりの人生の中で。


肯定、なんて、端から頭になかった。


だって、実の両親ですら、あんなにも―――。



…いや、やめよう。


他の人間のことを考えても意味なんかねェ。


今、俺の目の前に在るのは、ヒロインちゃんという事実だけ。


俺がこの女を計りきれてなかっただけ。


「…本当に、いろいろとありがとう、トマトの恩人様」

「……だから、その呼び方、やなんだけど、」


そうして自然と心から笑えば、ヒロインちゃんも同じように笑ってて。


今度は別の意味で、もうどうでもいいやと思えた。


清々しささえ感じ、攻略難易度の高いゲームをクリアできたような気分でもあった。


だが……このゲームをもう一度プレイすることは許されないだろう。


隠して関わっちまったことを許された、それだけ。


今後もこの関係を続けていいことにはならねェ。


変わった女に会って楽しませてもらった、その記憶だけでセーブしよう。


笑顔のヒロインちゃんを眺めながらそんなことを考えていた。


だがその時、またしても。


「ぎのざさん、」

「はい」

「もし良かったらなんですけど、これからもこうしてしゅーせいくんとお話しさせてもらえたら嬉しいです、…あ、もちろんしゅーせいくんも良かったらなんだけど」


ヒロインちゃんの予想外の発言には驚かされるばかり。


だとしても俺の中にある答えは、考えるまでもなく一つだけだった。


あとはギノさん次第。


だから、ギノさんに視線を向け、黙って答えを待った。


「ですが……再三言っていますがこの男は潜在犯なんです、貴方に負担を掛けるようなことを勧めるわけにはいきません」

「でもそれが原因でしゅーせいくんと関わってはいけなくなるなら……そっちの方がつらくて嫌です」


ギノさんは今もデバイスでヒロインちゃんの色相を見てた。


そして俺との繋りが切れることを考えたヒロインちゃんの色相に実際に変化があったのだろうか。


もしかすると本当に影でも落ちたのかも知れねェ。


一瞬眉間に皺を寄せてから、複雑な面持ちで顔を上げた。


上げれば雑じり気なく真摯に見つめる瞳と視線がぶつかり、ギノさんはそのまま少し思案した。


それから観念したかのようにでっかい溜め息を一つ。


「……こちらが原因で、民間人のサイコパスを悪化させるわけにはいきませんので…」

「え、いいの、ギノさん」

「この場合は仕方ないだろう…」


ヒロインちゃんには向けることができねェからか、代わりに俺がギロリと睨まれた。


どっちにしろ発端は俺だし、帰り道にはまたガミガミとどやされる、近い未来が予測できた。


だが今は、そんな時間も苦ではないと思えちまうくらい、この展開が浮世離れしていて。


「ですがこの男には私達監視官が付いています、なので貴方のサイコパスは毎回チェックさせてもらいますし、何かあればすぐに対処をさせていただくことを承知しておいてください」

「分かりました、……本当によかった……ありがとうございます、ぎのざさん」


嘘みてェな出来事に思わず呆気に取られる。


でも、安堵したようにギノさんに礼を言ってから、改めて俺を視界に収めたヒロインちゃんと目が合って、はっとする。


ヒロインちゃんは優しく瞳を細めた。


その表情にはどこを探しても偽りなんかなく、どう考えても現実でしかなかった。


「もうハグ求めないから、仲良くしてね、しゅーせいくん」


それからヒロインちゃんは少し冗談めかして言葉を口にして。


「いや……うん…俺の方こそ………受け入れてくれてありがとな、ヒロインちゃん」

「ううん、そんなのお互い様だよ……でも、じゃあ代わりに…」

「うん?」

「感謝の気持ちでぎのざさんに抱き付いてもいい?」

「!?」


しまいにはギノさんに向けて大きく腕を広げ始めた。


同時にギノさんは頬を赤く染めた。


完全にヒロインちゃんの作る朗らかな空気に包まれてる。


きっと、女慣れなんかしてないギノさんにとっても、ヒロインちゃんは難解な課題になった。


「ギノさん、顔真っ赤っすよー」

「ううううるさいぞ、縢!」

「あれ、ぎのざさんってすごいドSキャラっぽい顔のイケメンなのに、本当はこういう感じなの」

「素直じゃねェんだよ、俺の飼い主様は」


くすくすと笑うヒロインちゃんに見上げられ、ギノさんは誤魔化すように咳払いをしてから目を逸らした。


楽しそうにヒロインちゃんは続ける。


「あ、でも、私もね、ニイチャンに彼の飼い犬みたいだって言われたことあるよ」

「わかる、そんなヒロインちゃん、すげェ想像できる」

「だけど彼は私のこと、奔放な猫だと思ってるんだって」

「あー…それも分かるかも、つーかヒロインちゃん、こんな自由だから、彼氏も気が気じゃないだろうね」

「でもそれがそんなこともないの、彼は“君のそういう所、すごく興味深いよ”とか言って髪を撫でてくれたりするから」

「うわ、やっぱキザだな、ねぇギノさん、ギノさんもそう思いますよね?」

「……俺に聞くな…縢…」

「あはは、もう、素敵なのに、ぎのざさんも分かってくれない」

「フ、じゃあヒロインちゃん続きは買い物しながら聞くからさ、そろそろ中行こうよ、ヒロインちゃんも今からっしょ?」

「うん、今から、行こう行こう」


ヒロインちゃんの織り成す空気や話しやすさは変わらないまま。


本当にダチを誘うみたいに声を掛れば、ヒロインちゃんも問題なく応じてくれた。


秘かに感動しつつ、俺達は並んで店内へと足を向けた。


一緒に買い物をしながらも様々なことを話した。


この間買ったサワラはうまく焼けたからそれを俺に伝えたくて待っていてくれたこと。


ヒロインちゃんは今日以外にも何度も訪れていたけど、会いたいと思ったらなかなか会えずに残念な思いをしていたこと。


それから今日は唐揚げを作るから、また一緒に鶏肉を選んでほしいってこと。


アオさんの存在についても、俺とアオさんの間には触れられたくなさそうなオーラが流れていたから、あえて何も聞かなかったこと。


でも今日その理由も分かったこと。


そうして順調に買い物も終え、最後には、「今度は待ち合わせできたら嬉しいから」と、連絡先を聞かれ。


俺の端末に初めて、仕事抜きでできた一般人のダチが登録された。


ついでに「もし何か問題があったら連絡ください」と言われたギノさんも、僅かに悩み躊躇しつつも連絡先を交換していた。


もしかしてギノさん女の子と連絡先交換すんの初めてなんじゃないっすか、って言いたい気もしたけど。


また面倒くせェことになりそうだし、何より今は感謝もしてるから、茶化すのはやめた。



そして三度目になるシーン。


「秀星くん、またね」と、手を振るヒロインちゃんの姿。


これに、俺はやっと、心置きなく返事ができる。


「ああ、ヒロインちゃん―――またな」


そう言って、手を振り返す。


とてつもなく遠いところにあったはずの行為なのに。


容易く手繰り寄せてくれたあの子には感謝しかねェ。


「うん、連絡するね秀星くん、宜野座さんもありがとうございました」


そうして笑顔で別れ、それぞれ帰る場所へと向かった。


ちょうど傾き始めた夕陽が目に入り、柄にもなく綺麗だと思った。


間違いなく今日の出来事のおかげだ。


ヒロインちゃんと、……まぁ色々あったけど、ギノさん。


「……ギノさん、今日はありがとうございました」

「礼を言われるようなことはしていない」

「や、でも、許してくれて嬉しかったっすよ」


ちゃんと伝えてェから、歩きながらも目を見て言えば。


ギノさんはちらっと俺に視線を落としてから「フン……」と言いつつ前だけを見た。


なんだかんだで一緒に過ごす時間が多い人だから、それは照れ隠しみてェなもんだって、すぐに分かった。


そのまま言葉のねェ時間が生まれる。


だが決して居心地の悪い間ではなかった為、会話の糸口を探すこともせず黙々と歩いた。



―――ああ、アプリコットだ。


未だ惹き付けられる、冴え渡る夕陽。


ゆっくりと沈んでいくそれを眺めていたら、ふと、手元にあるアプリコットが連想された。


さっき青果売り場で、「今日のヒロインちゃんの色相じゃん」とか言いながら、ちょっとだけ奮発して買った、淡い色したアプリコット。


ヒロインちゃんに「これで何を作るの?」と聞かれた時、いくつか候補もあったし「まだ考え中」と答えた。


でも今決まった。



「なぁ、縢…」

「…うん?なんすか」


早く作りてェな…と自室のキッチンに思いを馳せ始めた頃、ギノさんがポツリと俺の名を呼んだ。


反射的に顔を上げれば、ギノさんは相変わらず前を見てた。


けど、どこか遠い目で。


「ドSキャラっぽい顔とはなんだ…」

「ふっ……アハハ、ギノさん、気にしてたんすか、それこそ俺じゃなくてヒロインちゃんに聞いてくださいよ」


ギノさんの口から出た問いに思わず笑っちまえば、また睨まれて。


「いや、いい…!断じて気にしているわけではない……!……だいたいお前は、きちんと反省をしているのか」


これ以上突っ込まれたくねェからか、説教タイムに突入した。


「まじで反省してますよ、二度とこんなこと、」

「二度とこんなことをするんじゃないぞ!今回が特例なだけだからな」

「だから、それ、今俺も言おうとしたじゃないっすか…」

「二度目はないとよく肝に銘じておけ、そもそもなんでお前は、」


当分ギノさんのガミガミは続きそうだけど、今日はとことん付き合うつもりだった。


帰ってからの楽しみがあることも、俺の気持ちを軽くした。


夕陽みてェなアプリコットはジャムにすると決めた。


じっくりと煮詰めて、出来上がったら三つの小瓶に分ける。


一つは自分用。


もう一つは、今日の礼に、ギノさんに渡す分。


こんな性格の人だから、手作り料理を振る舞う為に部屋へ誘ったとしても、実際に来るのはいつになるか分からねェ。


でもジャムなら手軽に渡せるし、ギノさんパンが好きみてェだから使ってくれると思う。


それから最後の一つは、冷凍保存しておいて。


今度会えるとき、ヒロインちゃんに渡そう。


どんな反応が返ってくるか定かではねェけど、否定的な感情だけは無縁だろうから。


例え首輪に鎖付きだとしても、次に外出できる日が、少し待ち遠しくなった。


穏やかな景色に撫でられる感性。


こんな心地で帰路を辿れることに、俺は小さな幸福を覚えた。




夕映えアプリコット


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