なだらかな手付きで髪を撫でられている感触で意識が目覚めた。


その心地好さに、目を開けるよりも先に、頬が緩んだことが分かった。


「ヒロイン、」


すると愛しい声が名を呼んでくれたから。


おもむろに瞼を上げ、姿を確認する。


聖護くんは穏やかな表情で私を見下ろしていた。


夕べと同じ格好だけど既に着衣もしていて、きっとまた私よりもずっと先に起きていたんだろう。


でも。それでも隣にいてくれて―――。



「ん…しょうごくん、おはよう」

「おはよう、ヒロイン」


聖護くんを見て鮮明に蘇る昨夜の記憶。


何度も、何度も、激しく求め合った。


自制心のたがが外れ、あんなにも本能のままに欲してしまったのは生まれて初めてだった。


そんなふうに乱れてしまったことには恥じらいもある。


でも今聖護くんが、告白をする前と変わらず―――ううん、それよりももっと優しい視界に私を収めてくれていることが嬉しくて。


今すぐにまた触れてもらいたくなり、腕を伸ばそうとした。


けれどそれと同時に聖護くんの腕がからだに回ってきて、抱き起こされる。


「そろそろ起こそうと思っていたから丁度良かった」

「そうなの?」

「ああ、食事も摂るだろうし、風呂にも入りたいんじゃないかと思ってさ」


からだを起こせば、普段はないだるさが全身に残っていることをはっきりと感じた。


でもそれも夕べの行為を物語る証拠でしかなくて。


倦怠感すらも心を彩った。


「ぁ…そういえば、お腹すいた…」

「だろうね、食事も摂らずに勤しんでしまったからね」

「ふふ、勤しむって……確かに勤しんじゃったけど」


この腕はどうしようもなく適温で、私を浮わつかせる。


「でも先にお風呂にしたいかも、その後にゆっくりご飯たべたいな」

「そうだね、そうしようか」

「…一緒に入るの?」


抱き寄せられたまま会話をしていた。


だけど入浴の同伴を問えば、聖護くんは私の顔を覗き込んでから「もちろん」と微笑んだ。


その微笑みには抗えない自分と、そもそも端から拒否権なんて与えられていない事実が、無性に愉快になって。


ただただ、許されるままに甘えたかった。



聖護くんのシャツ、おそらく適当に掛けられた数個のボタン。


覆いきれずに覗く胸板に手のひらを乗せ、じゃれつくみたいにすり寄った。


「じゃあ…聖護くんの、借して?」

「僕の?何を、」


這わせた手のひらで聖護くんの肌を撫でてから、ボタンを指先で外していく。


全てを外してはだけさせ、鎖骨に唇を落としながらシャツに手を掛け脱がそうとする。


されるがままで私の行為を受け入れてくれている聖護くん。


でもこれも、聖護くん次第ではいつだって形勢逆転することを知っている。


「シャツか…」

「お風呂に行くのに裸じゃ恥ずかしいでしょ」

「フ、そう…でもそれが僕のシャツである理由はあるのだろうか」

「うん、だって甘えたいの、すごく、すごく―――」


言いながら瞳だけ上を向ければ、聖護くんは片眉を軽く上げ。


それから不適な笑みを見せてくれた。


まるで、受けて立とうと言わんばかり。


「君ほど僕に要求のできる人間もいないよ」

「ん、ふふ、」

「いない、というより、存在させない、と言った方が正しいだろうけど」

「…わたしは、いいの?」

「いいよ」


即答に心酔。


射抜かれているうちに聖護くんは、私が中途半端に脱がせたシャツを自ら脱いで。


私の唇にキスを降らせつつ、シャツを肩に掛けてくれた。


ついばむようなキスの後、聖護くんの舌が唇を割り侵入してくる。


恍惚と奪われていると、聖護くんがボタンを胸の辺りから丁寧に留めてくれていることにも気付いて。


こんなにも甘いキスに耽りながら、望んだままに与えられる。


なんて、贅沢な身分。



上と下のボタン、一つずつ以外を掛け終えた聖護くんは、唇を離し「…そろそろ風呂へ行くとしようか」と口にした。


聖護くんのシャツが手先まで隠し短いワンピースになって。


甘えたい欲は尽きることを知らずに、聖護くんの首に腕を回した。


「じゃあ…聖護くんが連れてって?」


そうしたら聖護くんは呆れたように「本当に…困った子だな…」と呟いた。


でも同時にからだは宙に浮き。


今朝も聖護くんは悠々と私を抱き上げてくれた。


腕の中から見上げる聖護くんの面持ちは、さっき零れた呆れが嘘みたいに柔い。


そのままバスルーム手前の洗面所まで運ばれ、静かに下ろされる。


ここから先は一緒に入ったことのない領域。


だけど羞恥よりも、やっぱり恋する気持ちの方が止まらなくて。


夕べよりも明るい環境で、私がシャツを奪ってしまったせいで露になっている上半身にも、改めて見惚れる。


聖護くんも満ち足りた瞳で私を見つめ返した。


「…僕のシャツを着る君も、いいものだ」

「似合う?」

「随分とそそる、」


このまま抱いてしまいたいほどに、と耳許で囁かれ。


一瞬にして胸が高鳴り、小さな期待が芽生え始める。


すると聖護くんは、私の心を見透かしているかのようにクスリと笑い、掛けてくれたばかりのボタンを上から一つ外した。


「明るいことを恥じはしないんだね」

「ぁ……だってね、聖護くんを素敵だと思う気持ちの方が大きいから、じっくり見たくて…目が離せないの」

「ふぅん…」


楽しげに口角を上げ、もう一つボタンを外す聖護くん。


「――…生き様は君とは違うけど、どことなく君を彷彿とさせる部分のある物語の女性が似たようなことを言っていたよ」

「そうなんだ」

「明るい場所でセックスをすることを恥じた友人に対してね、冷えたマカロニのように残念な恋人だ、とも加えて―――」


続けて更に一つ外され。


徐々に晒されていく素肌。


「当時の僕にとっては興味のない事柄だったから、彼女に言わせれば僕も冷えたマカロニだったろうけど」

「ふふ、」

「でも今は君がいるから彼女の言っていたことも分かるよ」

「ん…」


そうしてシャツがはだけた箇所、胸の間を指先で、つ、となぞられ。


これだけでじれったくて仕方なくなる。


「…もう物欲しそうな顔だ」


聖護くんは私の顎を指で軽く持ち上げ、キスできそうな距離。


でも唇は触れ合わせることなく、少し意地悪に。


聖護くんの吐息が唇にかかり、ぞくぞくして、子宮が切ない。


夕べあんなに抱き合ったのに、もうこんなに欲しくなれる程。


たった一晩で、聖護くんのくれる快楽の虜。


「…どうしよう……聖護くん…」

「うん?」

「もう、いれてほしい…」

「まだ何もしていないだろう」


聖護くんは優しく溜め息を吐いた。


その空気に、色欲とは結び付きにくい、温和な感情も込み上げてきて。


思わず、二人でくすくすと笑った。


ただ単に冗談でも笑い合うように。


だけど、その時。


「だが…それに関しては僕も、」

「……んッ…」

「…さあ、どうしようか、ヒロイン」


穏やかな雰囲気が途切れることもなく、聖護くんの硬く熱いものが入り口に押し当てられた。


聖護くんのからだも、私と同じ気持ちで反応してくれていることに、一層熱を孕んだ。


早くまた追い詰めてほしいと願うだけで、蜜は溢れる。


大切にされていることを実感できる愛撫すら、今は後回しで良かった。


「ふ……ああもう…ほんとうに、どうしよう聖護くん…こんなんじゃ私たち…事ある毎にこうなっちゃうかも」

「まるで野生動物のようだ」

「野生の動物ってそうなの?」

「ああ、自然の摂理に従って、ね、」


聖護くんは洗面台まで私を追いやり、私の左の太ももを掬い上げた。


潤う泉には欲を擦り付けたまま。


ゆるゆると腰を動かされると、淫らな水音が漏れ、聴覚からも脳が刺激される。


「本能のままに生きる」

「ん…、すてき」

「だから、僕とヒロインはそれでいいじゃないか」


そんな中でも紡がれた聖護くんの言葉は、見事なまでに腑に落ちて。


歓びに心は震える。


私たちを縛るものなんて、端から一つもないんだ―――。


もうこれ以上は言葉も必要なくなって。


自然と唇が触れたかと思えば、全身を大きな快感が埋め尽くした。


「…はぁ……ヒロイン…」

「ぁあ…!」


圧迫感で一瞬にして浅くなる呼吸だけど、整える間もなく聖護くんは腰の動きを速めていった。


最奥まで激しく攻め立てられ、太ももを蜜が伝う。


でもそんな律動とは裏腹に、シャツを隔て背や腰を撫で、支えるように触れてくれている手のひらからは、慈しみを捉えることができ。


それは布越しでも分かるくらいにあたたかな感触で。


この上ない幸福に包まれる。


二人の荒い呼吸が混濁を見せ、やがて意識も朦朧とし始めた。


白が霞む。


「ヒロイン…イキそうだね」

「ん…っ……いっちゃいそ…」

「ハ……きついな…僕も持っていかれそうだ…」

「しょ…ごく……、一緒に…っ……んんッ…!」


そうして真っ白に染まって。


聖護くんにしがみつきながら果てた。


聖護くんのものも私の中で脈を打っていることが伝わってくる。


「は…ぁ……しょうごくん……すき」

「…ああ、ヒロイン…」

「…ん、」


果てても、貪るような口付けは止まらずに。


自分の力ではからだを支えきれなくて、完全に聖護くんに身を委ねる形。


尾を引く熱に浸っていると、聖護くんの指がシャツの残りのボタンを外していった。


するりと私の肩から落ちたシャツは、床に触れ微かな音を立てた。


それが合図になったかのように聖護くんのものも引き抜かれ、力の入らないからだに喪失感が訪れる。


でもすぐさま、からだが浮かび上がって。


今度こそ聖護くんは私をバスルームへ連れていってくれた。


ゆっくりと湯の中に下ろされる。


目の前の景色は、ふわふわな泡で満たされていた。


「……あわ…」

「一緒に入るつもりで用意しておいたんだ」

「聖護くん……ありがとう、本当にしあわせだよ」


満足げに口角を上げた聖護くんも、私の背後で湯船に浸かった。


私を脚の間で座るよう促してくれたから、背を預ける。


聖護くんはボディタオルに泡を乗せ、後ろから私のからだに滑らせていった。


達したばかりで覚束ない思考は、より一層幸福で蝕まれていく。



「―――…ヒロイン、」

「ん…?」


爪の先から丁寧に洗ってもらえる心地好さにも甘えていた。


「僕と美しい海を見たいと言っていた気持ちは、今も変わっていないかな」


そんな時、変わらぬ口調で流れた問い。


それは肯定しか浮かばない事柄で。


そんなの当たり前のように聖護くんにも伝わっていると思っていたから、今の問いの意図は分からなくて。


「…変わってるわけないよ、あの澄んだ海を、聖護くんと一緒に見てみたい」


答えながら上半身を回し聖護くんを見て、小首を傾げた。


改めて見た聖護くんは、濡れた髪を掻き上げてあり。


何処を取っても完璧なバランスの造りが、よりよく見えた。


探るように、透き通る琥珀を見つめる。


「疑っているわけでも…、ましてや、君を濁らせる意図があったわけでもないんだが…」


目が合って、私の答えを聞き、細められた瞳は、相も変わらず清らかなままで。


「けれどそのことを意識したら、ヒロインの色相が濁ってしまうのではないかとも思っていたんだ」

「……この国を出ることを意味するから?」


聖護くんは一度、ゆったりと首を縦に振った。


「だが、もしも君が濁ってしまったとしても、僕は変わらずに傍で、何不自由ない暮らしを用意するつもりでもあった」

「聖護くん…そうだったんだ…」


思い返されるのは、聖護くんと海の写真集を開いた夜のこと。


聖護くんには、私が一緒に行きたいと言うことも、お見通しだった。


そしてそこまで見越しても尚、聖護くんは私の意志と向き合おうとしてくれていたということで―――。



「だがそれでも君はクリアなままだったろう」


…確かに聖護くんの言う通り濁ってしまったとしてもおかしくなかったとは思う。


この国の外に目を向けるなんて、何も知らずに生きていれば起こり得ないこと。


きっと、いけないこと。


けれど私がそれを望む理由は、悪事の為なんかじゃなくて。


ただ、聖護くんと居たいだけ。


今となっては、ひたすら恋をしていたいだけ。


だから。


「だってね、私は聖護くんの思想も好きで」

「…ああ、」

「それに聖護くんを想う気持ちはこんなにも澄んでて、濁るなんて考えられないから…」

「僕への想いが今の君の原動力…ということか」

「うん、だから聖護くんがいてくれる限り、きっとずっとクリアなままだよ」


心理、なんて、目に見えないものだけど。


「私は、聖護くんのいる世界で生きていきたいの」


自分の心は自分自身が一番近くで感じることができるから。


聖護くんの目を真っ直ぐに見つめ、偽りなく心を伝えた。


実際それ以外にも、以前の彼のことや、一昨日の夜のことなど、濁ってしまいそうなことは何度か起きた。


でも現に色相だって一度も濁らなかった。


聖護くんがいてくれたから、って言い切れる。



「…本当に面白いね、ヒロインは」


すると聖護くんは、納得したみたいに何度か小さく頷いて。


「―――シビュラから弾き出された人間の集う場で暮らし、シビュラ社会でも日々をこなしてくる」


寝覚めと同じように私の髪を撫でながら、言葉を続けた。


「多種多様な人間を一括りにして語るのはあまり好きではないが……それでもやはり大抵の人間はどちらかに染まる、こちら側に堕ちたら最後―――シビュラの目の中には戻れまい」


納得してもらえたことに安堵を感じ、聖護くんの胸板に側頭部を預けながら、耳を傾けた。


聖護くんの言葉と心臓の音が混ざり合って、平穏を奏でる。


「でもヒロインは違ったね、ヒロインにはヒロインだけの色がある」

「ん…でもそれは、聖護くんもでしょ?」

「…どうかな、そうありたいとは思っているけどね」

「ふ…謙遜、」


見上げて笑えば、聖護くんの抑えた笑い声も喉で転がった。


こんなにも実りある会話を、聖護くん以外の誰とできるというだろうか―――。



それからきちんと向き直って、今度は私がボディタオルを手に、聖護くんの首筋にそっと宛てがった。


聖護くんは少しだけ驚いたような顔をした。


その表情を見て「…されたことない?」と浮かんだ疑問を声にすると、聖護くんは「いや…させたことがない」と返した。


だから再度“私はいいの?”という台詞が脳裏を掠めた。


でももう聞くまでもないような気もして、その言葉は至福と共に胸に留めた。


「そもそもヒロイン程、僕の生活に他人を踏み込ませたことはないからね」

「…じゃあ聖護くん、私にはたくさん甘えていいんだよ」

「フ、さっきまであんなに僕に甘えたがっていたのは誰だったかな?」

「ふふ、そうだけど…でも、聖護くんには甘えたいし、同じくらい甘えてもらいたいんだもん」

「へぇ……僕に甘えてほしい、ねぇ…」


言いながら聖護くんは余裕に富んだ表情で、浴槽の縁に肘を置き頬杖をついて。


「そんなことを僕に言う女も君だけだよ」と加えた。


…でも、聖護くんはこんな風に言ってるけど。


聖護くんを前にすれば、私みたいに思う女の子は数知れずいるはず。


けれど聖護くんがそう言うのは、本当に聖護くんは今まで、自分を慕う女の子を深く寄せ付けたことがない証なんだろう。


でも今も、聖護くんのからだを泡で撫でる私の行為は、何の抵抗もなく受け入れてくれるから。


特別に扱われていることが、身に染みた。



「…さっき言った物語の女性が、」

「うん?」


胸板、腹、肩、腕、と手を滑らせていく。


「慣れることは死ぬこと――とも言っていたけど…ヒロインも本質的にはそうなんだろうね」

「…なんかわかる、だからここでの暮らしも楽しい」

「ああ、それは僕も分かるよ」


どこに触れても皮下脂肪の薄いからだは、強く男を実感させて。


その逞しさの全てが私の視線を奪った。


「…じゃあヒロイン、夏頃を予定しておいて」

「んー…?」

「僕も改めて計画を立てるからさ、」


だけど、形のいい爪の付いた骨ばった長い指だけは繊細で。


この指が私を大切にする為に動いてくれているのかと思えば、尊くて。


どこもかしこも眺めているだけでも飽き足りなかった。


「夏休みがあるだろう?その時に連れて行ってあげる、あの澄んだ海に―――」

「…えっ…?」


でも聖護くんの言葉に釣られ、咄嗟に顔を上げると。


ふわり、ふわりと、泡が舞って。


その向こうで、綻びる聖護くんは一層美しかった。


ああ本当に、聖護くんとなら何処にでも行ける。


目眩を伴い、痛い程にそう信じた。



「聖護くん…約束、だね」

「ああ、約束だ」

「ん…楽しみにしてる…」


二人だけの秘め事を乗せ、絡めた小指。


とても甚だしい約束を結んだ。


でもそれは何処か、幼い頃の小さないたずらにも似て。


誰にも咎められない場所で、自分の色を保ちながら。


純粋に弾む気持ちを、宝ものみたいに思った。




「ヒロイン、次は髪を洗ってあげる」

「ありがとう、じゃあ私にも聖護くんの髪も洗わせてね」

「ああ、そしてそれが済んだらまた抱きたいのも山々なんだが、」

「うん?ふふふ、」

「いい加減食事も摂らなければね」

「そうだ、私お腹空いてたんだった」

「朝食に食べたいものはあるかい」

「んー……ふふ、じゃあね、マカロニサラダ」

「フ、いいね、そうしようか、ヒロイン」




ティファニーで朝食を


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