細くて長くて形の良い指に持たれたフォークが、パスタを綺麗に巻き取って。


口に運んで、咀嚼をする。


ただの一連の動作も聖護くんならではの美しさが漂っていて思わず見惚れる。


すると目が合って、「なにかな?」と聞かれたから、笑ってううんと首を横に振った。


「そう?」と微笑む聖護くんは、今度はスプーンを手に野菜スープを一口飲んだ。


やっぱり端麗で気品すら感じられて、うっかりまた見つめてしまう。


この姿を前にすれば無関心でいる方が難しい気さえする。



「ヒロイン、食べないのかな」

「ぁ……ふふ、食べます」

「せっかく温め直したしね、冷めないうちに食べるといいよ」

「うん」


―――“すっかりダンナに夢中ですね”


自分の食事を再開させながらも、脳内では少し前にグソンさんに言われたことが反芻されていた。



夢中。


それは確かに間違いではなかった。


でもグソンさんの言葉は恋を意味しているみたいだったから、 その時私は“まだ分からない”と答えた。


だって聖護くんは、未知な程に偉大。


だから聖護くんへのこの想いを恋と呼んでいいのか分からなかった。


魅力的な生き方に、異性の壁を飛び越え、一人の人間として惹かれていた。


他人にこんなにも大きな魅力を感じたことも初めての経験だった。


この想いには、一言では収まりきらない感情が詰まってる。



「ごちそうさまでした、じゃあ聖護くん、片付けちゃうね」

「ああ」


私が淋しいと泣き言を言った日から、本当に聖護くんは毎晩帰ってきてくれていた。


だからこうして一緒に夕飯を取る機会も一段と増えた。


私が眠った後、聖護くんが何をしているかは知らないけれど。


聖護くんが私の為に時間を作ってくれることは幸せ以外の何物でもなかった。



「聖護くんはもう出掛ける?」

「いや、もう少しいるよ」

「ん、わかった」

「だが僕がいない夜は暫く振りだろう……ヒロイン?今夜は一人で眠れるかな」

「大丈夫だよ、ありがとう聖護くん」


でも今夜は、聖護くんは大切な用があるらしくて。


もう少ししたら出掛けるみたい。


だから聖護くんの言う通り、一人でベッドに入るのは久しぶり。


…恋人ではないのにな……なんて考えれば、今のやり取りも不思議に思えてくる。


当たり前のように手を繋いで歩き、同じ布団で眠って。


一日に何度かキスもするし、最近は抱き締められることもある。


聖護くんに求められることは嬉しいし、私から触れたいと思うこともあった。


その全てが、恋人同士がするみたいに優しくて、心地よかった。


けれどそれでも恋人ではない。


自分達の関係の曖昧さに、心の中でちょっと笑いながら、食器を持ち席を立った。



聖護くんはリビングのソファに座り直し、早速本を開いているようだった。


会話のないこの時間も、同じ空間にいることが愛しかった。


食器を食洗機に並べてから、ケルトでお湯を湧かした。


それからティーポットとカップも用意して、手順を思い返す。


いつもは見守ってくれていたグソンさんがいなくて、初めての一人きり。


初めて聖護くんの為に淹れる紅茶。


今日の茶葉は、聖護くんが私に初めて淹れてくれた時と同じダージリンにした。


準備が済んだから、トレイに乗せて聖護くんの元まで行く。


すると、おそらく香りで気付いたのだろう聖護くんは本から目を離し、私を視界に収めた。


「ヒロイン、それはダージリンかな」

「うん、私が淹れようと思うんだけど…聖護くん飲んでくれる?」

「もちろんだよ、それにしても知らぬ間にヒロインにも紅茶が淹れられるようになったんだね」

「グソンさんに教えてもらったの」

「ああ…それで……近頃二人で何やらしていたのか」

「聖護くんを驚かせようと思って、グソンさんに内緒にしてもらってたの」

「思惑通り驚かされたよ、ヒロイン」

「あはは、ほんと?」


会話をしながらも、トレイを丁寧にテーブルに置くと、聖護くんも静かに本を閉じた。


私の手元に注がれる聖護くんの視線。


ラグの上で正座をし、緊張を感じながらも、カップを紅茶で満たしていった。


「感化され、それをきちんと行動に移す……良いことだね」

「それにね、私も聖護くんに美味しい紅茶を飲んでもらいたかったの」

「そう、」


グソンさんに教えてもらったやり方で二つのカップに紅茶を注ぎ終えると、聖護くんは自分の前にあるカップの持ち手に指を添え。


「ありがとう、ヒロイン、いただくよ」


綺麗に口角を上げ、カップに口を付けた。


やっぱり何もかもが美しくて、ラグの上に座ったまま、ソファの聖護くんを見上げていた。


優しく響いた聖護くんのありがとうが頭の中でぐるぐると回った。


「…うん、美味しいよ、ヒロイン」

「本当?」

「ああ、上手に淹れられてる」

「よかった…」


聖護くんに褒められて、安堵も感じ自然と頬が緩む。


聖護くんに褒められることはすごく嬉しかった。


ほっとして、やっと自分のカップを手にすることもできた。


あたたかなカップを両手で支え、聖護くんの隣に座り直す。


「ヒロイン、嬉しそうだね」

「うん、うれしい!」

「フ…ヒロイン、それで嬉しいのはどうしてかな?」

「聖護くんに褒めてもらえたこともだし、今度からも私も聖護くんの為に紅茶が淹れられるし、」

「だから、それは、どうしてなのかな」


聖護くんの空いている手が、意味ありげに私の髪をさらさらと弄った。


その問いから導きだそうとしている答えは…私の心。


恋する心?


それはまだ私自身にも明確な答えはないものだから。


手探り状態で最適な言葉を探しつつ、自分の気持ちの整理もしていく。



聖護くんを、好きか嫌いかで言ったら、もちろん好き。


大好き。


それにこの環境は何よりも私を満たしてくれて、私はこれから先も聖護くんと暮らしたいと思っている。


この間海の写真集を一緒に見た晩には、より強くそう感じた。


でもそれならば今の私はもう既に、他に目を向ける気なんてないのかも知れない。


けれど聖護くんはどうなんだろう。


いくら私が聖護くんといたいと思っていても、聖護くんの興味が他に向いたらずっとこのままでいるなんて難しいのかな…。



「ねぇ、聖護くん………聖護くんってさ、」

「うん?」


そもそも今だって実際には分からなかった。


こんなに一緒に過ごしているけれど、私以外に気に掛けている女の子がいたとしても聖護くんなら上手くやれそうな気がした。


「彼女…は、いないの?」


さっきの聖護くんからの問いはまだ保留にさせてもらって、逆にすごく今更な問いを口にしてみれば。


予想外の問いだったらしく、聖護くんは思わずといった感じで、小さくハハと笑い声を漏らした。


「急にどうしたのかな」

「んー…なんか、すこし、気になっちゃっただけなんだけど」

「そもそも何を以て“彼女”と定義するのか僕には分からないが…」


そして聖護くんはゆったりと紅茶を飲みつつ、考え込むような間を僅かに置いた。


後に、いつもの余裕のある微笑みで私を見つめながら。


「君は、違うのかな?」

「わたし…?」

「僕の彼女」


今度は聖護くんが予想外な発言をした。


確かに聖護くんは“僕に恋をしてごらん”なんて言っていたけど。


でもそれは聖護くんの気持ちだって伴わなければ意味のないことだと思ってた。


だから今そんな返答がもらえるとは思っていなかった。


……聖護くんの中では私をそういうふうに受け止めてくれる準備が整っているということ…?



返す言葉が見付からなくて、ひたすら聖護くんを見つめていた。


どきどきしちゃって、カップを持つ指先までも落ち着かなくなる。


そんな私を見て聖護くんはクスリと笑い、空になったカップをソーサーの上に戻した。


それからまだ紅茶が半分以上残っている私のカップも取り上げ、もう一つのソーサーの上に置いた。


「まぁ…僕はヒロインのペースを大切にしたいから、急かすつもりはないけどね」


されるがままで聖護くんから目が離せずにいると、聖護くんはもう一度私を真っ直ぐに見て。


「ヒロイン」

「…はい、」


私の顎を軽く持ち、顔を近付けた。


ああ…私の好きな聖護くんのキスだと思って、静かに瞼を下ろした。


「だったら、想像をしてごらん」

「ぅん…?……っ、」


唇が触れる直前、聖護くんが低く艶のある声で囁き。


唇に聖護くんの吐息がかかりぞくぞくしている最中に、更に神経が刺激されるようなキスが始まった。


ほのかに香る紅茶。


最初は触れるだけ。


唇の感触を楽しむように、何度も、何度も。



初めて聖護くんにキスの許可を取られたときも、不意にキスをされたときも、いやじゃなかった。


聖護くんじゃなければ当然拒んでいただろうとは思うけれど、聖護くんを拒む理由は見当たらなかった。


初めの頃のキスはただのスキンシップにも似ていた。


でもいつしかついばむようなキスもするようになり、最近は聖護くんの舌が私の唇を愛でるようになった。


行為の幅も、触れ合える範囲も、本当にじんわりと広がっていっている日々。


何をされても気持ちがよくて、聖護くんのキスも大好きだった。



「――…例えば、今夜これから僕の唇が、」

「…はぁ……、ん…?なぁに、聖護く…」

「ヒロイン以外の誰かに口付けをする」

「ぇ…?」


唇はいつでも触れ合える距離で、聖護くんが再び言葉を紡いだから。


閉じていた瞼を緩やかに上げれば、色を含んだ瞳に捕らえられる。


顎に添えられていた指は、私の頬を手のひら全体で包んで。


「そして、僕のこの手が、ヒロイン以外の誰かに、こんなふうに触れる、」

「っ…」

「ねぇ、ヒロイン、想像をするとどんな気分かな」


それからうなじを撫でるように、首に聖護くんの手が移動してきた。



…もうすぐ聖護くんがこの部屋を後にし、暗闇に消え。


私以外の女の子にこんなに優しいキスをして。


聖護くんの綺麗な指の感触が私以外の女の子の肌に残る。



漠然と、聖護くんは彼女がいたとしても上手く立ち回るのではないかと感じてはいたけど、それでも傍に置いてもらえていることに何よりも大きな意味があると思っていたから。


今の生活にわざわざ他人を介入させ仮想する必要はなかった。


だからそうやって第三者を絡め、鮮明にイメージを膨らませたことはなかった。


けれど今の聖護くんの台詞を聞き、そんなシーンを思い浮かべてみれば。


気分はみるみる沈んでいった。



無言で首を横に振ることしかできないでいると。


聖護くんは目を細め、宥めるように語り掛けてくれた。


「そんなに泣きそうな顔をしなくても大丈夫だよ、例えばの話だ」

「うん…」


泣きそうな顔になっていたんだと、聖護くんに言われて知る。


そうして再び唇は重なって、聖護くんは舌も使い私の唇をなぞった。


沈んだ心もあやされる。


きもちいい。


そうすると今度はもっと欲しくなってしまって。


先を期待し、薄く唇を開ける。


でもいつも、まだ、これ以上は進まない。


「……ヒロイン、もっと?」

「ん…しょうごくん、もっと…」


こうやって言ったとしても、聖護くんは満足げに笑むだけで。


この“もっと”のことは“もう一度”としてしか捉えてもらえなくて。


気持ちいいけれど、だんだんともどかしくなってくる唇への愛撫は続く。


…きっと、私がもっと深いキスをしたいとはっきりと言えば、聖護くんも応じてくれるはずだとは思う。


何も言わなくたって私からこの先へと誘うこともできる。


でもまだ恋心かも分からないのに、そんなところばかり欲しがるなんて。


際立つのは自分の浅ましさで。


呆れ返り、それ以上は口を噤むしかなかった。



「――…しょ…ごくん…」

「うん…?」

「…時間、大丈夫?」

「ああ……そうだな…」


我慢ができるうちに、続けてほしいキスを自ら途切れさせ。


聖護くんの胸板に手を当て、ほんのり力を入れ、少しだけ聖護くんを押し返した。


スローモーションで離れていく唇。


「そろそろ行くよ」

「ん…じゃあ、聖護くん、今日もそこまで、」


出掛ける聖護くんを、今日もいつも通りお見送りしたい。


だからキスの余韻は断ち切ろうとしていた。


「だが……どうして、君って子は…」

「…?……んっ…!」


けどその瞬間、聖護くんの手が私の手を握って。


身動ぎが許されない力が加えられ、もう一度唇が重なった。


聖護くんの舌が器用に私の唇を割って口内に侵入してきた。


濃く広がるのは紅茶の味。


心の中ではずっと欲しかった感触を唐突に与えられ、思考が追い付かずにいた。


でもお構いなしに聖護くんの舌は甘く私の舌を絡め取った。


重ねた手のひらの指と指も絡まり、崩れるようにソファに押し倒された。


「んん…、はぁっ……」


歯列をなぞられ、上顎をくすぐられ。


聖護くんの艶かしい舌の動きに、自然と扇情的な吐息が漏れた。


聖護くんの手をぎゅって握る。


どうしてこんなにきもちいいんだろう。


大袈裟かも知れないけど、でも本気で、このキスだけで意識が飛びそうだった。


だんだんと酸素も足りなくなってくる中で、聖護くんの唾液をこくんと飲んだ。



「――…ハ、ヒロイン、」

「っ……ぅん…?」


すると聖護くんの唇は満たされたように弧を描き、離れていった。


乱れた呼吸を整えながら、聖護くんの瞳に映る自分をぼんやり眺めた。


「……代えることのできない予定がある夜に限って、どうして離れがたくなるようなことを言ったのかな…」

「はなれ……がたく…?」


今の状態ではひたすら聖護くんの言葉を追うしかできなくて。


難しい単語でもないのに、理解するには及ばなかった。


息苦しくて、心臓がうるさい。


でもどんなに私がどぎまぎしていたとしても、聖護くんの余裕は壊れることはなく。


今度は私の唇を親指の腹で撫で。


「今夜は僕はもうヒロインと共に答えを探してあげられない、だからさ、」


あとはじっくり独りで考えるといいよ、って。


とびきり妖艶な声色で、どことなく意地悪さも滲ませ私の耳許で残した。


それから締め括りには私の頬にもキスをし、立ち上がった。


だから、まだまだ思考は正常に働きそうにないけれど、条件反射で釣られるように上体を起こし。


外へ向かう聖護くんを、いつものように見送りに行った。



いつもと違うのは、ふわふわしてしまう足取り。


「ヒロイン、暖かくして眠るんだよ」

「ん……」


それと胸のつかえ。


聖護くんは例え話と言っていたけれど、意識してしまったらなんとなく晴れない部分もあって。


「…フ、またそんな顔をして……、今から会うのは泉宮寺さんだよ、だからヒロインが杞憂する必要はない」


そんなこと、いちいち顔に出したくないのに。


今は特に、感情が上手くコントロールできなかった。


「せんぐうじさん……いつも美味しいご飯を聖護くんに持たせてくれる?」

「ああ、泉宮寺豊久、帝都ネットワーク建設の会長をしている男性だよ、ヒロインも耳にしたことくらいはあると思うけど……心配だったら後でチェ・グソンにでも聞いてごらん」


だけど聖護くんが私を安心させようとしてくれていることも、すごく伝わってきたから。


やっぱりこんな顔してたら、だめ。


それに現に聖護くんの言動は私に大きな安堵をくれた。


「僕と彼の間には利害の一致した趣味があってね、」

「ん…わかった、だから聖護くん、もう大丈夫だよ」

「そう……、じゃあ行ってくるよ、ヒロイン」

「いってらっしゃい、聖護くん」


無理なく柔らかい笑顔に切り替えることもできた。


聖護くんも同じように笑みを返してくれて、そうして背を向け出掛けていった。



「ふぅ…」


リビングに独りで戻り、ソファに座ると同時に思わず漏れた溜め息。


心臓はまだ静かにどきどきしてる。


自分の飲みかけの紅茶が目に入ったから、カップに手を伸ばす。


中身が冷めてしまったカップはひんやりとしていて、その冷たさは現実味を帯びていた。


口に運び、冷めた紅茶を飲めば、さっきした聖護くんとのキスの味。


この紅茶にはお砂糖は入れてないのに、聖護くんに初めて淹れてもらったときよりも、もっともっと甘くなってた。


でも後味は切ないようなほろ苦さを含み。


胸が締め付けられ、もう彼が恋しい。



「聖護くん……」


返事なんてあるわけないのに名を呼んで、自分の気持ちを突き詰める。


聖護くんといると、私の心は常に丸裸なんだ。


体験したことのないほどの感情だったから認めきれなかった。


知っている想いとは全てに於いて分量が桁違いだった。



でも全部、根本は恋。


きっとずっと前から恋だった。


出逢った瞬間から惹かれてた。


気付いて、認めてしまったら愛しさが溢れて止まらない。



私は聖護くんに、どうしようもないほど、恋してる。




tea time lover


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