天然の食材の旨さと、料理することの楽しさを知った。


自分で見極めた食材を調理できるほど嬉しいこともねェ。


だから非番の度に天然の食材を扱う店での買い物を申請してるわけで。


いちいち許可とらなきゃなんねェのも、一人で出歩けねェのも面倒くせェけど。


施設にいた頃とは比べ物になんねェくらい今の生活は恵まれてるとも思う。



「縢、入るぞ」

「あ!ギノさん!」


部屋でゲームをして時間を潰してると、待ち侘びてた人物がやってきた。


直属の上司でもあるギノさん。


俺の自由は、ほぼこのひとに握られてる。


コントローラーをほっぽってギノさんの元まで駆けていく。


「外、行けますか?」

「お前はまたあそこの店へ行きたいらしいな…」


ギノさんは眉間を寄せて溜め息を吐きつつ、眼鏡のフレームを押し上げた。


おれからすりゃギノさんこそまたその反応かよとか思っちまうから、溜め息吐きてェのはお互い様だったりもするけど。


ここでギノさんの機嫌を損ねてもいいことねェのは知ってるし。


「だって楽しいっすよ、料理すんの」

「まぁ……そうしてゲームばかりやっているよりは健全なのかも知れないが…」

「それにンなこと言ってもギノさんだって旨いとは思ってくれてるっしょ?」

「…味が悪くないことは認める、だがリスクを冒してまで頻繁に摂取する意味はないだろう」

「けど行きたいんすもん、ダメ?ギノさん」


俺には今更怖れるリスクもねェし、って言葉も飲み込んで、顔の前で手を合わせて笑顔でギノさんの機嫌を伺った。


どこまでも善良な市民を貫くギノさんが天然の食材を良く思ってねェことは百も承知だ。


「いや駄目なわけではない…ただ俺は付き合ってやれそうもないから青柳に頼んでおいたと言いに来たんだ、構わないな」

「アオさんに?いいっすよ、むしろうるさく言われるより全然いいっす」

「…どういうことだ」

「あー…ハハ、ほらギノさんは捜査戻った方がいいんじゃないすか」

「お前に言われずともそうする」


俺の職場と呼ぶべき場所、公安局は慢性的な人員不足だ。


だから外出の申請を出しても通らねェ時もあるし、ギノさんの予定と合わねェ時もある。


そんな中こうして、時折捜査も共にするギノさんの同僚でもあるらしい二係のアオさんが付き合ってくれることもあった。


「青柳もそこで待っていると言っていたぞ」

「まじ?じゃあすぐ行きます」

「ああ、仕度が済んでるならそうしてやってくれ」


テレビに映し出されていたゲームの画面を消し、コートを羽織ってギノさんと一緒に部屋を出た。


「縢くん」

「アオさん!ごめん、お待たせしました!」

「すみませんだろう…全くお前は……、ではすまないが頼んだぞ、青柳」

「ええ、大丈夫よ、行きましょうか縢くん」


ドアの脇でいつものパンツスーツ姿のアオさんが待ってくれていた。


ギノさんと別れ、馴染みの店が並ぶ通りへアオさんと向かった。


アオさんは買い物はしねェけど、食材を眺めながら歩いていて、俺とアオさんの間には少しの距離が保たれていた。


そして今日も満足の行く買い物をして、店を出ようとした時だった。


野菜が並ぶ売り場でトマトを見つめながら、それはもう真剣な顔して悩んでる様子の女が目に入って。


人助けがしたかったわけじゃねェけど思わず声を掛けちまった。



だが、俺にとって。


「ねぇ、なんか悩んでんの」


これはしてはいけねェ行為だった。



声を掛けると同時に、ヤベェって思った。


いくらここが天然の食材を扱う店だからって、潜在犯が意味もなく一般市民に話し掛けていいわけねェんだから。


多分アオさんからしてもすげェ予想外の出来事だったんだろう。


声を掛けた俺に声を掛けそびれ、少し離れた所で成り行きを見守る選択しかできなくなっちまったみてェだった。



「ぁ…美味しいトマトの見分け方を忘れてしまって…、彼に教えてもらったのに、」


一瞬にして様々な思考が脳内を巡っていた。


けれど女は、眉を下げ困ったような顔をしつつも、俺の心境とは裏腹な柔和な笑みで俺を視界に入れた。


今更後には引けねェし、ここで逃げても逆に不審だろうし…。


咄嗟の判断でそのまま会話を続けることにした。


当たり障りのねェことさえ言えりゃあ大丈夫なはずだ。


「つってもさ…そんな思い詰めるなんて、選び方に失敗するとあんたの彼氏はキレたりすんの?」

「ううん、そんなことで怒るようなひとではないけれど、でもやっぱり美味しいものを食べてもらいたいし、トマトは好物みたいだし…」


ここまで言って女は、俺が入手した品を入れている袋へと目をやった。


それからまた俺に目線を戻して。


「お料理、お好きなんですか?」

「あぁ…まぁ、うん、」

「じゃあ…トマトの見分け方も分かりますか?」


瞳から真剣さが伝わってくる。


トマトを選ぶだけでもこんだけ真剣に考える女に対して、正直悪い気はしねェ。


同じように天然の食材に興味を持つ人間としてはほっとけねェっつーか?


「いいよ…俺で良ければ教えてやるよ」


だからもう半ば開き直ったみてェな感覚もあるけど。


あとでアオさんには平謝りすることを誓って、女の言うことを受け入れた。


すると女の表情はすぐさま嬉々としたものへと移り変わった。


「本当?助かります、だってね彼ってば寝入りに美味しいトマトの見分け方を説明し出したから…私なんかもう半分夢の中だよね」

「なんか面白ェ状況だね、それ」

「ふふ、ね、私が本格的に料理を始めてみたいって言ったら色々と知識を与えてくれたんだけど」

「じゃああんたの彼氏も料理が好きなんだな」

「でも主に作ってくれるのは彼の友人なの、私にとってはお兄さんみたいなひとで」

「なんだよ、だったら彼氏は知識だけかよ」

「あはは、そんなこともないと思うけど」


この国で生きている人間の殆どはそうだが、色相が濁ることを恐れる。


故に天然の食材は避けられる。


特に若い女の間ではメンタル美人を目指してストレスダイエットなんつーもんが流行ってるとも聞いた。


この女は一見そういう流行に敏感な類いにも見えた。


でも此処で買い物をして作るっつーことは、彼氏にだけ食べさせるなんてことはねェだろうし、きっとこの女も天然の食材を好んで食べるんだろう。


「色ムラなく赤けりゃ赤い程いいトマトなんだけどヘタの回りに若干青みが残ってた方がいいかも、あとつやとハリ」

「あ、うん、なんか言ってたかも、彼も」

「だろ?他にはヘタ、緑が濃くてピンとしてるやつ、これとか、」

「ほんとだ」

「トマトの尻に星状の筋が出てんのもいーよ」


女は俺の言葉に真面目に耳を傾けていた。


俺にとっても受け売りの知識だったりするけど、でもそれがまた誰かの中で生きるのは単純に嬉しかった。


「そしたら…レタスとかと一緒にサラダに使うには幾つ買っていけばいいかな」

「このトマト、サラダに使うんだ」

「うん、彼の友人が、切るだけのサラダから始めてみましょうか、って」

「まぁそのサラダなら滅多なことがねェ限り失敗もしねェわな」

「でもその分素材選びも大切だよって彼が言うから」

「確かにな、じゃあさ、あんたの彼氏トマト好きならいいトマトいっぱい使ってやんなよ、五個くれェ買ってってもいいんじゃねェ?余りゃあ別のもんにも使えるし…、三人で食うってことだよな?」

「そうそう三人で食べるよー、じゃあ五個買っていくね、一緒に選んでもらえますか?」

「おう、任せとけ」


女は俺に確認しつつトマトを選んでいった。


アオさんの心配そうな視線を、背ではひしひしと感じていた。



「おっし、これで五つだな」

「うん!助かりました」

「縢くん、済んだかしら?そろそろ行くわよ」


五つのトマトを選び終えると、アオさんに声を掛けられた。


いい加減これ以上の長居は無用っつーことだろう。


アオさんと女は互いに軽く会釈をしていた。


だから女にじゃあなと残し、この場を去ろうとした。


「どうもありがとう、あ…えっと、」

「俺?」


踵を帰す前に、女は俺に礼を言った。


そして言葉の流れから俺の名を知りたそうにしていることを感じたから、自身に指を向けて聞けば。


女はうんうんと頷いた。


「俺は縢秀星、あんたは?」

「私はヒロイン、しゅーせいくん今日はほんとにありがとう、美味しいサラダ作るね」

「ヒロインちゃん、ああ、トマトの味は保証されてっから大丈夫だよ」

「うん、ありがとうしゅーせいくん、また会えたら美味しい食材の選び方教えてね」


女改めヒロインちゃんのこの言葉に対しては、笑顔で曖昧に濁して。


じゃあまたねしゅーせいくん、と手を振るヒロインちゃんに見送られ帰路に就いた。


俺は自由に出歩ける身ではねェから。


また会える確率だって少ねェんだろうし、自己紹介なんてしても仕方ねェと思いつつ―――。



「縢くん…驚いたわ…」

「俺もさ、なんか無意識に話しかけちゃったんどけどヤベェって思ってました、アオさんすみませんでした」

「でもきちんと貴方を制止できなかった私にも落ち度はあるもの、…あの女性のサイコパスがクリアなままだったことは幸いだけれど」

「え?」

「失礼は承知でね…縢くんと話している間デバイスで測定させてもらっていたわ」

「…へぇ、そうだったんすか」


アオさんが杞憂したのは潜在犯の俺と話しただけで、ヒロインちゃんのサイコパスが濁るんじゃねーかってこと。


それでも、その“失礼は承知で”は、俺ではなくて確実にヒロインちゃんに向けられているものだろう。


俺に対しては一生掛からねェ言葉だと頭の隅で感じていた。


いや別に、そんなふうに思って欲しいわけでもねェし、アオさんが悪ィ訳でもねェんだけど。



「なぁ、アオさん、このことギノさんに報告…、」

「しないわ、結果的に問題なかったし人助けもできたんだし、悪いことじゃないでしょう…フ、それに下手なこと言うと私も貴方もお説教されてしまうものね」

「あーアオさんまじ話分かる!すげー助かります!」

「でも次からは気を付けてちょうだいね」

「オッケー!了解っす」


歯向かうつもりはさらさらねェし、軽率な行動をしちまったことくれェ理解してるから。


アオさんの言葉には二つ返事で答えた。



だが、予想外にも。


「あ、しゅーせいくん!」


ヒロインちゃんとはまた会うことができて。


今度は魚を扱っている売り場でばったり会った。


偶然だったけど、思い返せば前回と同じ曜日で似たような時刻だった。


ヒロインちゃんの休みと俺の非番は被るのかも知れねェ。


この日もギノさんに頼んで、アオさんに付き添ってもらっていた。


「あーヒロインちゃんじゃん、」

「この間はありがとう、しゅーせいくん」


前は話しかけたくせに今日避けるのもまた不自然だろうから。


ちらりとアオさんに視線を流して、困惑しつつだけどアオさんが小さく頷いたのを確認してから、ヒロインちゃんに笑みを向けた。


ヒロインちゃんも前と変わらずに俺に微笑みかけている。


「俺のこと、覚えててくれたんだな」

「当たり前でしょ、トマトの恩人様」

「その呼び方、なんかやなんだけど、」

「ふふ、だめ?」


顔を合わせるのはまだ二度目だけど、俺とヒロインちゃんは親しいみたいに笑った。


事実ヒロインちゃんからは隔たりを感じることもなく、妙に馴染みやすい女だった。


こうなっちまえばもう、今日もアオさんは俺達を見守るしかできねェみてェだった。


ただ、ヒロインちゃんのサイコパスは今日もしっかり測定されてんだろうけど。



「で、どうだった?トマトを使ったサラダ、彼氏は喜んでくれた?」

「うん!すごいいいトマトだって、しゅーせいくんの見立てのおかげ」

「そりゃあ良かった」

「でも、ただね、」

「ん?」

「“僕のサラダだけ随分とトマトが多いんだね”って」

「え?」


…確かあの日俺はざっくりと五つくれェのトマトを勧めた。


じゃあ一体…ヒロインちゃんはどんだけの量のトマトを彼氏のサラダに使ったんだ。


「ヒロインちゃん、それさ……どんな配分でトマト使ったの?」

「全部をだいたい六等分に切って、私と彼の友人で三等分ずつ添えて、で、残りは全部彼のサラダに、」

「つーことは彼氏のサラダにはトマト四個分?カットしたトマト二十四個?」

「うん」

「!、いやいや、それ普通に多いだろ!つか全部使う必要もなかったのに」


思わぬ報告に思わず吹き出して笑っちまえば。


やっぱり?と言いながら、ヒロインちゃんも照れくさそうに笑った。


「彼氏のダチって兄ちゃんみたいなやつなんだよな、ヒロインちゃんが作ってるの見てなかったの?」

「ニイチャン、うん、手伝ってくれたよ」


兄ちゃん、と繰り返された言葉は、慣れねェ響きを持っていた。


おそらくヒロインちゃんはそいつのことを実際に兄ちゃんと呼んだことはねェんだろう。


ただ会話をシンプルに成り立たせる為に、そいつの呼称はこの瞬間から俺とヒロインちゃんの間では兄ちゃんになった。


「だったら兄ちゃん、なんか言ったんじゃねーの?トマトだらけのサラダ見て」

「ニイチャンはね、よほどじゃない限りいつも私を尊重してにこにこ見守ってくれるから」

「あー…そういう感じなんだ」


必要以上に喋る意味もねェんだけど。


向けられる柔らかさに、無意識のうちに取り込まれていたのかも知れねェ。


自ら問いを投げ会話を広げたりなんかして。


「でも彼氏は全部食べてくれた?」

「うん、そのトマトは私の愛情の分なのって言ったら、“ありがたくいただくよ”って素敵なお声と笑みで」

「結局ノロケじゃねーか」

「ん、ふふ、」


思ったままを口にしても、ヒロインちゃんの持つ雰囲気は一切変わらなかった。


もちろん、知り合ったばっかのヒロインちゃんの心が、俺に読めるわけでもねェけど。


それでもヒロインちゃんの反応は心からのものに見え、気を遣うこともなく話しやすかった。


そもそも気ィ遣うくれェだったら、ここまで話したりしねェ。


「つーかさヒロインちゃんの彼氏ってまじでそういう喋り方なの?ヒロインちゃんさっきからちょっと真似て言ってんだろ」

「うん、そだよー、賢そうでしょ」

「キザじゃね?」

「キザ!?素敵なのに」

「いや、キザだって、」


そうしてまた俺達は笑い合った。


同じ立場で笑い合えているような錯覚にすら陥りそうになった。



だがその気持ちとは正反対に、こんなふうに笑い合っている自分が物凄ェ不思議でもあった。


俺は人と関わる機会が極端に少ねェまま、執行官になるまで生きてきた。


執行官になってからも日頃関わる人間は限られてる。


だから公安以外の人間と、ましてや事件や捜査も関係なく関わりを持てた自分が浮わついて見えるんじゃねェかと思った。


でもこうやって客観的に自分を見れていることも冷静に感じたから、このまま会話を弾ませても大丈夫な気がした。


根拠は何処にもねェんだけど。



「んで、ヒロインちゃん今日は何買うの?」

「今日はね魚、ニイチャンが次は焼きに挑戦しましょうって言うから」

「そっか、じゃあ俺また一緒に選ぼっか?」

「いいの?ありがとうしゅーせいくん、お願いします」


それからヒロインちゃんは俺のアドバイスを聞きながら、鮮度の良さそうな旬のサワラを三匹選んだ。


三匹のサワラを眺めつつ、いつも三人で食ってんのとか、まず三人で暮らしてんのとか、聞きてェことは新たに増えたけど。


そろそろこの辺にしとかねェと、ヒロインちゃんがっつーより、アオさんの立場的にまずい気もして。


芽生えた問いは喉の奥に引っ込めた。



「しゅーせいくん、今日もありがとう」

「今日は失敗しねェようにな」

「あは、サラダも失敗じゃないよ、でもがんばる」

「おう、じゃあな」

「うん、しゅーせいくん、」


またね、そう言って。


この間と同じようにふんわり笑って、俺に手を振ったヒロインちゃん。


今日も返事に躊躇した。


もう、次に会うことはねェとも言い切れねェし。


デバイスが手首に巻かれている左手を僅かに握り締めて、小さな葛藤。



「―――ああ、ヒロインちゃん、」


またな、と。


この間はできなかった返事をして、大きく手を振り返してみたかった。


けどやっぱ俺からそれはしちゃいけねェだろうから。


「…次はさ、味付けにステップアップするといいな」


左手は握ったまま、不明瞭な返事。


それでもヒロインちゃんは「ありがとう、しゅーせいくん、ばいばい」と嬉しそうに残し。


今日もアオさんに会釈をしてから、彼氏の待つ家へと帰ったんだろう。


そんなヒロインちゃんの背中を数秒見つめた。



―――今度もし、また会えたなら。


俺は潜在犯だと告げてみようか。


で、いっそ軽蔑されて、避けられた方がいいのかも知んねェ。


…でも結局、その前にギノさんにちゃんと報告しねェとダメだろうな。


関わっちまったことは消せねェし、その後のフォローはどうしたって俺にはできねェんだから。



ふいに、当たり前になっているデバイスの存在が、いつもより重く感じられた。


けどそんな感情、気のせいでしかねェのも分かってる。


「アオさん、ヒロインちゃんのサイコパス、今日も平気だった?」

「ええ、安定してたわ」

「ふぅん…そんな簡単に濁るもんじゃねェんだな……じゃあ潜在犯だからってさ、わざわざあそこまで隔離する必要ねェんじゃねーかとか思っちまいますね」

「…縢くん、」

「やだなぁ、アオさん、冗談っすよ」


どうせ何したって、死ぬまでの暇潰しにしかならねェんだから。


目の前の楽しみに思考を切り換えて。


今日も満足のいく買い物をし、執行官の宿舎へと続く帰り道を辿った。




微笑みレシピ


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