かくしごと |
「ほい」 「なんなのだよその手は」 「鞄こっち寄越しなよ。テーピングほどけたんだろ? 持ってるから直しちゃえって」 「い、いい。余計な気を使うな」 「……へ?」 放課後の昇降口。外は日もすっかり落ちて、廊下の明かりでやっと下駄箱の自分の名前が見えるくらいだった――そんな中。 予想外の反応に、高尾は思わず間抜けな声をあげてしまった。 鞄を持ってやる、なんてこんなこと、日常茶飯事じゃないか。なのにいきなり何だというのだ。 高尾の眉間に、ぐぐ、とシワが寄る。 「……なんだ」 「いや、なんだはこっちのセリフだから。何いきなり。どーしちゃったの」 「……別に、なんでもない」 なんでもない奴がそんなにあからさまに自分のスポーツバッグを守るかってんだ。バレバレなんだよ。 高尾はちらりとそれを一瞥して、けれどここで突っ込むのは少々野暮かもしれないと思い直した。 どうせ鞄の中に、人に見せられない今日のラッキーアイテムでも入っているのだろう。そういえば今日は高尾自身もおは朝を見逃し、更に手に持っていなかったので緑間のラッキーアイテムがなんであるのかがわからない。 (なんだろ。俺に見られて恥ずかしいもの? AVとか? いやおは朝がそんなこと言うわけねーか……) 鞄の中に入るサイズで、恥ずかしいもの。見られたくないもの。 高尾は暫く考えを巡らせ、自分の写真、という可能性を思いついてかぶりを振る。 (いやいやいや。アホか俺) 心の中だけでなく実際に首をふるふると振るが、テーピングに夢中の緑間はそれに気が付かない様子であった。 加えて遠くでコツコツと足音が聞こえ、二人ともがはっと顔をあげて。 「おーい緑間いねーか!」 声の主は、おそらく宮地であった。 いますよ、どうしましたと問えば、チッと鋭い舌打ちが距離があるにも関わらず耳に届く。 「ラッキーアイテム体育館に忘れてんぞ。捨てよーかと思ったけど大坪がダメだっつーから放置してきた。回収しとけよ」 「え……」 左手のテーピングも中途半端に、緑間が目を瞬く。 「あーらま。しゃーねーな、取ってきてやるよ。お前はテーピング直して…」 「いや、いい。自分で取ってくる。お前はここで待っていろ」 「……はぁ!? マジで真ちゃんどうしちゃったの今日! 頭でも打ったの!?」 「大きな声を出すな騒がしい。いいか、絶対に追いかけてくるなよ」 そうとだけ釘をさして、緑間は上履きを突っかけ慌ただしく駆けていってしまった。 (お、おかしいってレベルじゃねーだろ) 何が自分で取ってくる、だ。お前そんなキャラじゃねえだろほんとにどうしたんだ。 思うけれど、文句を言おうにももう姿が見えなくなってしまった。 しん、と辺りが静まり返る。 手持ち無沙汰に溜息をつくと、ふとその場に放置された緑間の鞄が目に入った。 (じゃーなんだ? 鞄の中にはラッキーアイテム入ってないわけ? 見るチャンス完全に逃したわ) 見つかったらおそらく怒られるどころの騒ぎではないだろう。けれど妙な好奇心が高尾の背中を押していた。 高尾はそっとその場に屈むと、そのスポーツバッグのチャック部分に手をかけた。 (暗くてよく見えねー…っつか、カバン中綺麗すぎだろ。几帳面にもほどがあんだろ……) ピシッと、まるで分類でもされているように整理整頓された鞄の中には、パッと見特にこれといっておかしいものは確認できない。 ごそごそと漁ってみる。教科書、ノート、参考書、ペンケース、Tシャツ、それから。 (ん? なにこれ。封筒?) 鞄の端の方で、なにやらこの鞄に似つかわしくないものを見つける。四角くて薄っぺらい。封筒であるのは確認が出来るが、差出人と宛名はどうなっているのか―― 「何をしている」 酷く大袈裟に、高尾の肩が跳ねた。 声だけで誰だかわかる。我らがエース様の帰還である。 姿を確認しようと、そっと振り返る。 振り返りたくない気持ち半分、振り返って追求したい気持ち半分、といったところだろうか。 ぎこちなく振り返った高尾の顔を見て、緑間はハァ、と大きめのため息をついた。 「手に持っているものを寄越せ」 「え、こ、これ?」 「そうだ」 「中身なんなの?」 「お前に教えてどうなる。返せ」 「これが何なのか教えてくれたら返してもいいけど」 「ふざけてないで早く…」 一歩を踏み出し、緑間の筋張った手が高尾の手のものを取ろうとする。 けれどそれをひょいとかわして。 「……言えないもの?」 思い切り、緑間が不快な顔をする。けれど好奇心猫をも殺す。高尾は引き下がらずヒラヒラと封筒を振った。 「……ラッキーアイテムだ」 「え?」 「それがラッキーアイテムなのだよ、今日の。だから早く返せ」 「え? え? 今さっき宮地さんがラッキーアイテム取りに来いっつってたじゃん!」 「間違いだったのだよ」 くい、と緑間がメガネをあげる。 やはりひた隠しにしたいのはこの中身らしい。あの焦り様から察するに、これは久しぶりにひと笑い出来そうだなと思った。 緑間の天然電波ギャグセンスが輝くんじゃないかと、ただそんなことを思ったのだ。だから。 「コレ、開けたら効力なくなる系?」 「いや…わからん」 「じゃあ開けるね」 「おい……っ!」 ピリ、と封筒の端を切った。慌てて取り返そうとする緑間の手をするりとよけて、中身を取り出す。 中は案外質素なものだった。折りたたんだルーズリーフが、一枚だけ。 「馬鹿、み、見なくていい!」 「えー? もうちょっとだ、…け…、…え……?」 二つ折りのそれを開いて、これまた質素に少ししか文が書いていないことを確認する。 その文字に言葉をなくした。 ああもう、と緑間が左手で顔を隠す。 「……なにこれ」 「……………………さあ……」 「さあってなんだよ。お前のっしょ?」 「し、知らん」 横顔だけの緑間は、メガネが非常灯の明かりを反射していてよく表情が見えなかった。 もう一度、手の中のそれに目を落とす。 『好きだ』 ――達筆な字。間違えようもない。緑間の字で、それははっきりと書かれていた。 だから多分、差出人は緑間でよいのだろうと思った。けれど。 「――これ、誰宛てなの?」 少し間があって、それから低めのトーンで問う。しかし緑間はそれに答えない。 聞こえていないはずはない。ならばもう一度質問を投げかけたところで同じだろう。 「じゃあ、今日のラッキーアイテムって一体なんだったの」 「…………」 「真ちゃん? 黙ってないでどっちかの質問に答えてよ」 ここで、なぜそんなことを答える必要があるのだ、と返してこないところが緑間らしいところであった。 目を合わせないまましばしの間黙り込んでいた緑間だったが、観念したように小さく息を吐き、それからぽつりと小さく零した。 「――『大切なもの』、だったのだよ」 聞いて、え? と首を傾げた。 「大切? これが? これ真ちゃんが書いたんでしょ?」 「……正確には『封筒に入れた大切なもの』、なのだよ。もういいだろう、返せ」 「よくないって。わけわかんねーもん」 またしても取り返そうとする緑間からヒラリと逃げる。 その行動に緑間が苛立ったのが見えた。 「高尾……!」 「なにがどう大切なわけ?」 「しつこいぞ」 「言ってくれるまで返さないよ」 「……………!」 随分と粘る。余程言いたくないことなのだろう。高尾も高尾で、いつもならそろそろ引き下がっているくらいなのに、今だけは何故かそうしようとは思わなかった。 「……敢えて言うならば、『気持ち』だ」 緑間の頬が、カッと赤く染まる。 夕焼けのせい――ではないだろう。日なんてとっくに落ちている。 「気持ち?」 「ああ。……本人を入れられればいいのだがな。流石にそれは無理だろう。だから『気持ち』をそこに入れたのだよ」 語尾がほとんど掠れていた。 けれど高尾が聞き洩らすわけもなく。 緑間は、『気持ち』を封筒に入れた。封筒の中身は紙。『好きだ』と書かれた紙。 今日のラッキーアイテムは、『封筒に入れた大切なもの』。 「…………緑間」 沈黙を破ったのは高尾だった。その声に、名前の主がびくりと反応する。 「誰への、気持ちなの? 教えてよ」 一歩、緑間の方へ踏み出す。そして学ランの袖を軽く摘んだ。 「真ちゃん」 途端、ぐいと腕を引っ張られる。突然のことに驚いたその隙に、手の中の封筒と紙を取られてしまった。 「あ……! ちょ、まだ話は――」 「少し、黙っていろ」 へ? と、また間抜けな声を出す。言われたとおりに口を噤んでいると、緑間は紙を丁寧に折りたたみ、それを封筒の中へと戻した。 何をしているのか――そう思った刹那、封筒がこちらに差し出される。 そして瞬きを数回。 「…………え? なに?」 「……ん」 「え? え? なに? 俺に、渡してどうするの」 目を瞬く高尾に、緑間の眉間のシワが濃くなる。 「……いつも気が回るくせに、こういう時だけ疎いのはどういうことなのだよ。く、空気を読め」 「え……?」 考え込もうか、と思ったら、答えがストンと落ちてきた。 いやいやいや。 うそでしょ? まさかね。 だってそれ、大切な気持ちなんだろ。好きって書いてあんだろ。 それを俺に渡すって、どういうことかわかってんのかよ。 心臓が暴走を始めて、ヒュッと喉の奥が鳴った。 やはり目を合わさずに俯く緑間の耳は見事なまでに真っ赤に染まり上がっていて。 震える指先でそっと、封の開いたそれに触れた。 |
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