真っ赤に染まった私の視界は、瞬きをした瞬間、黒に変わった。
「ここは…?」
まるでサッカーボールのような球体状の空間。その中に立っていた。
球体の中は薄暗く、外の景色がぼんやりと見える。
「出して!!!ここから出して!!!」
力いっぱい壁を叩き、大声で叫ぶ。
聞こえなかったのか、それとも無視する気なのか、呪霊の反応がない。
私はさらに強い力で壁を叩き、ここから出してと繰り返した。それでも呪霊の反応はなく、視線すら合わない。
外の呪霊に私の声が聞こえてない。それに一方からだけ見えるってことは…この壁、マジックミラーにでもなってるの?
私が思考を巡らせていると、呪霊が大きくため息をついた。
「何もして来ないって事は…また結界?そうやって殻に籠るしか芸がないの?つまんないなぁ。」
私がここに閉じ込められたのは目の前にいる呪霊の仕業だと思っていた。けど、呪霊の口振りからしてそれは違うようだった。
じゃあ一体誰が私を此処の中に…?
「それなら…何度だって壊してあげる!」
うんざりしたような顔にせせら笑いを浮かべた呪霊は、右手を大きな鉄球に変える。
認識すると間もなく、鉄球がこちらへ向かって襲い掛かって来た。
「へぇ。少しは強度があるのかな。」
ガンガンと打ち付ける音に冷や汗が止まらない。
お願い、どうか守って…!
震える手でポケットから取り出した手鏡を握る。
戦う力がない私は、こうして祈る事しか出来ない。
心臓は既にバクバクと音を立て、今にも張り裂けそうな思いで一杯だった。
「…残念。タイムアップだ。」
断続的に続いていた攻撃が急にピタリと止む。
呪霊が腕を引くと、鉄球は跳ねるような動きで飛び、彼の元へ戻った。風船が萎むように手の形に変わっていく。
「あとちょっと遊んだら領域に入れちゃおうと思ったのに。さっきので勘づかれちゃったか。」
「またね、今度は殺してあげる」ニタリと無気味に笑った呪霊は、右手をヒラヒラと振りながら踵を返して歩み去った。
呪霊が去っていたドアを暫く見つめていた私は、一度膝をついて、それからぺたり、と座り込んだ。
「助、かっ…た。」
脱力させた両手から手鏡が滑り落ち、カランと音を立てた。
「…それで、そのツギハギ顔の呪霊がいなくなって助かったのは良かったんだけど…外に出る方法がわからなくて。どうしようって思ってたら五条の姿が見えたの。」
私はつっかえながらも、書庫で起こった出来事をなんとか説明した。
途中、自身の命に迫る危機を思い出して震えてしまった両手。その手は五条が包んでくれている。
「僕が近付いた時、球体にヒビが入って崩れ始めたんだけど…あれは名前の意思じゃないの?」
「…違うと思う。私、球体に閉じ込められた時にここから出して、って強く思ったの。私の意思でどうにかなるなら、その時に球体の中から出れたはず。」
「じゃあ球体に閉じ込められる前に何か変わった事は?」
「変わったこと…あ、一瞬だけ指先が痛かったかも。」
「指先?」
「うん。左手の薬指。」
「ちょっと見せて。」
握られていた左手をくるりと返される。
薬指の先に、刺し傷のような小さな赤い染みが作られていた。傷は既に塞がっていて、瘡蓋のようになっている。
五条は私の手をみつめて一瞬考え、すぐ微笑してからまた左手を握った。
「何かわかった?」
「ぜーんぜん。」
「そっか。…ねぇ、どうして高専に呪霊が?交流会は?私も悠二くん達のところに、」
「ストップ!名前は硝子のトコに行くのが先。」
「どこも怪我して無いのに?」
「見た目はそうでも、身体の中まではわからないでしょ。」
「それは、そうだけど…。」
「立てる?」
目の前に差し出された手を渋々握る。
「……………………。」
「名前?」
手を握ったまま動かない私を見て、五条が不思議そうな顔をしている。
困った。足に力が全く入らない。
「…アハハ。腰、抜けちゃったみたい。待って今腕使って、」
私は両手をついて何とか立ち上がろうとした。しかしそれよりも早く、五条が私の身体を膝上へ抱き上げてしまう。
「腕、僕の首に回して。っと、その前に…」
「っわぁ!何?」
「ソレ、僕が良いって言うまで外さないで。」
急に真っ暗になった視界に驚き、思わず声をあげた。顔周りを触ると、ツルツルとした布のような物が巻かれている。これってもしかして…。
「五条の目隠し…?」
「そ。勝手に取ったらキスだから。」
「キッ…!?」
五条の言葉を聞き、目隠しに触れていた手をすぐに離す。
危ない!今すぐ外そうと思ってた…!
「………何も見えない。」
「見えたら目隠しの意味ないでしょ。」
「ま、僕はそれしてても見えるけど」頭上で五条が笑った。
目隠しの布に閉ざされた視界は本当に真っ暗で、ちょっとだけ怖い。触った感じは薄い布。なのに、遮光カーテンなんて比じゃないレベルの暗さだった。
「手はこっち。」
目隠しを外すことが出来ずに空中をさ迷っていた私の手は、五条によって彼の首元に落ち着く。
「ちゃんと捕まった?じゃ、行くよ。」
五条が立ち上がったのか、身体に軽い浮遊感を覚えた。すぐ近くに五条の息遣いと体温を感じる。急に気恥ずかしくなって、私はそっと下を向いた。
横抱きにされたまま大人しく運ばれていると、ツンと鼻につく鉄錆の匂いが気になった。
「五条、このニオイって…」
「………大丈夫だから、名前は大人しく運ばれてて」と確りした低い調子で五条が言う。
吹き抜ける風は生々しい血臭を運び、忌まわしくあたりに絡み付く。
とても眠れるような状況ではないはずなのに、闇の底に吸いこまれていくような眠気が襲って来た。おかしい、と思う意識もすぐに蕩けて行く。
ラッキーカラー、黒だったなぁ
真っ暗な視界と微睡みの中、私はふと思い出していた。