「おや?見ない顔だね。」

長い睫毛で覆われた目に、スッと通った鼻すじ、りりしく結ばれた口元。綺麗な髪は太い三つ編みにされ、簾のように前後に垂れている。

きゅっと絞られたウエストは細いのに、出るところはちゃんと出ている抜群のプロポーション。やたらと高い身長は一瞬モデルかと思わされる。

息を呑むような圧倒的美女に声をかけられたのは、五条達と別れて少し経ってからの事だった。






1級術師の冥冥さん。

五条の先輩で、個人で独立して呪術師をやっている。その実力は五条も一目置いているほど。

五条や硝子ちゃんの口からたまに名前が出ていたし、会ったことの無い私でも冥冥さんの名前だけは知っていた。

どんな人だろう?いつか会えたら良いな。

そう思っていたから、歌姫さんが冥冥さんも飲みに誘うと言っていた時は嬉しくなった。


…で、今。


「どうだい?悪い話じゃないだろう?」

「いや……あの……私は、」


私を閉じ込めるように伸びた腕。近い距離。上品な香水の匂い。


「不満かい?それならもう少し君の取り分を…」

「そう言うことではなく…!!」


冥冥さんに…迫られております。


私に声を掛けてきた圧倒的美人が冥冥さんだとわかったのは、つい先程の事。

お互いに自己紹介を済ませると、冥冥さんは「ビジネスの話をしよう。」と急に話を切り出した。

わけがわからず立ち尽くしていると、妖艶な笑みが私に近付き、あっという間に壁際に追いつめられてしまった。


「何故?」

「な、何故って…自分の血を売ってお金を稼ごうとか、これっぽっちも考えていないので…。」

「せっかくそんなにイイものを持っているんだ。それを使わないなんて宝の持ち腐れじゃないか。」

「持ち腐れでも良いんですっ…!」

「私の所へ来れば生活に不自由はさせないし、毎日たっぷり愛でてあげるよ。」


しなやかな指がツツツ…と顎の下を撫ぞる。
さっきから冥冥さんの豊満な胸が密着しているし、耳元で囁くように話されるから、なんだか変な気分になって来る。

これは早く逃げなきゃヤバイ。色んな意味でヤバイ…。


───ガシャン!!


突然なにか硬いものが床に落ちる音がした。
驚いて顔を向けると、顔を真っ赤にして立っている伊地知さんの姿があった。


「伊地知さん…?」

「わ、私は…その、こっ…交流会前に、最後の設備チェックをしようと…。」


ぷるぷると身体を震わせながら話す伊地知さんの足元にはバインダーとペンが落ちている。さっきの大きな音の正体だ。


「ふふ、邪魔が入ってしまったね。名前君、気が変わったらココへ連絡しておいで。」


密着していた身体が離れると、何処からか取り出した1枚の名刺を私の手に握らせた。

「待ってるよ」私に薄く微笑み、冥冥さんは静かにその場を去って行った。


た…助かった…。


その姿が廊下の奥に完全に消えたのを確認した私は、ほっと胸をなでおろした。
あの状態がずっと続いていたら、冥冥さんの溢れんばかりの色香に充てられて確実に腰を抜かしてた。

何食べたらあんなに色気が出るんだろうか…。

そんな事を思いながら伊地知さんの方へ振り向くと、伊地知さんはバインダーで顔の半分を隠してこちらを見ていた。


「苗字さん…、私、な…何も見てませんから…!!」

「待ってください誤解です!」

「しかし…さっきのはどう見ても…その、キ…キキキ…。」


未だ顔の半分を隠したままの伊地知さんは、私を見て真っ赤な顔を更に顔を赤くした。

伊地知さんからの角度だと…私と冥冥さんがキスしてるように見えてたのかも…。


「さっきは冥冥さんからお誘いを受けたビジネスのお話をしてただけです。だから伊地知さんが思ってるようなことは何もありません。
それに、冥冥さんとは今日が初対面です!」

「そ、そうでしたか。てっきりそう言うご関係なのかと…。」

「そんな訳ないじゃないですか!まぁ…冥冥さんが美人過ぎてドキドキはしましたけど。」

「ドキドキはしたんですね。」

「真正面からあの色気を受けてドキドキしない人がいるなら会ってみたいです。」

「冥冥さん、とてもお綺麗ですから。どうやら私の勘違いだったようですね。大変失礼しました。」

「誤解が解けたようで安心しました。」


私が苦く笑ってため息をつくと、「でも、冥冥さんと苗字さん。とてもお似合いでしたよ。」と、珍しくからかうような口調で伊地知さんが言った。


「いーじーちーさーんー?」

「すみません。冗談はこの位にしておきますね。」


ふふふ、と伊地知さんが目尻を下げて笑う。

…伊地知さんの笑顔、久しぶりに見た気がする。

ここ最近…と言うか、少年院の事件の後から元気ないみたいだったし、仕事も無理に詰め込んでる感じがあって心配してたんだよね。


「?私の顔に何か?」

「いえ。伊地知さん、今から設備チェックに回るんですよね?それ、私がやりましょうか?」


なんでもないと言うように笑ってから、私は伊地知さんの仕事を買って出た。

今日の伊地知さんがいつもより余計に忙しい事を知ってるし、設備チェックのついでに悠仁くん達の様子を見に行けたら良いなと思ったからだ。

伊地知さんは眼鏡に手をやって、ゆっくり首を振る。


「この位なら大丈夫です。苗字さんには資料探しを頼んでしまいましたし、これ以上負担をかけるわけにはいきませんよ。」


残念。断られちゃった。五条のろくでもないサプライズの行方も気になってたんだけどな。


「伊地知さんの負担に比べたら私の負担なんて無いような物です。」

「苗字さんはいつもそう言ってくれますが…私の負担も、苗字さんが入って来てからかなり減ったんですよ。」


「以前は息つく暇もない日が多くて…」遠い目をした伊地知さんがため息をつく。


「それなら良いんですけど…。もっと頼ってください!伊地知さんと私、同い年なんですから!」

「私としては、苗字さんには誰よりも頼っているつもりなんですけどねぇ。五条さんの事とか特に。今日だって色々お願いしてますし。」

「足りないです!もっとこう、ドカンと!」

「ドカンと、ですか?ぜ、善処はします。」



私の言葉に、眼鏡越しの目が困ったように揺れていた。


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