「闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え。」
唱えると、部屋全体がゆっくり黒に染まって行った。
胸ポケットからボールペンを取り出し、傍らに置いたメモ用紙に丸印を書く。
「うーん…今日は3回に1回の成功率か。昨日よりはマシだけど、まだまだだなぁ。」
少し前にコツを掴んでから、数回に1回は帳を下ろせるようになってきた。
五条が帰ってくるまでに百発百中にしようと秘かに意気込んでいたんだけど…この感じだとちょっと厳しいかも。
「いや、いける。まだ間に合う。頑張れ私。」
グッと拳を握った瞬間、きゅう、とお腹が鳴った。
…今日はこの辺で終わりにして、食事の支度を始めようかな。あっちも良い感じだと思うし。
「かっらあーげかっらあーげー♪」
パチパチと鳴る油の音をBGMにして、鼻歌を歌いながら鶏肉を揚げていく。
今日のメインは唐揚げ。
帳の練習を始める前に調味料を良くもみ込んでおいたから、良い感じに下味もついたはず。
前に作った時は悠仁くんが美味しい美味しいって言いながら凄い早さで完食してくれた。
でも、食べ終えた悠仁くんが「まだ食える」って物足りなさそうな顔をしてて…。だから今回はかなり多めに作っている。
「そろそろ良いよね。」
こんがりと良い揚げ色になった唐揚げを油から引き上げていると、エプロンのポケットに入れていたスマホが震え出した。
急いで残りの唐揚げを取り出して、火を止めてから通話ボタンをタップする。
『もしもし、名前さん?』
電話を掛けてきたのは悠仁くんだった。
心なしか電話の向こうの声が弾んでいる気がする。
「悠仁くん!お疲れ様。今日の任務はもう終わり?」
『さっき終わった!それで俺さ、友達出来たから今日はソイツの家で飯食ってから帰るね!』
え…。食ってから、帰る?
………なんですと!?
『名前さん?どった?』
「え"っ!?あ…何でもない。外で食べて来るのね。了解。でも…友達って?」
『順平って言うんだ!』
順平って…もしかして吉野順平!?呪詛師疑惑で追ってた子じゃないの!?
「ちょっとそれ大丈夫なの!?伊地知さんには!?」
『だーいじょーぶ!伊地知さんも伝えてあるよ。』
「飯食い終わったら映画も見んの!」悠仁くんはほとんど陽気ともいえる口調で話した。
本当に行かせて良いのかな…。
「相手の罠とかじゃ無いんだよね?本当に大丈夫?」
『マジで大丈夫だって!順平の母ちゃんも一緒だし、そんな心配しなくてへーきだよ。』
ちょっと心配だけど、本当に危険だったら悠仁くんだって流石に気付くよね。
あんまりしつこく言ってウザいって思われても嫌だし…ここは行かせても大丈夫かな。
「わかった。あんまり遅くならないようにね。」
私がそう言うと、『名前さん、俺の母ちゃんみたい』なんて、電話の向こうで悠仁くんが笑った。
悠仁くんみたいな子が息子なら大歓迎だ。
『そうだ。名前さんもネギ似合わないね!!』
「……ネギ?」
『あ、呼ばれてる。じゃあ行ってくんね!』
「待って悠仁く…….切れた。」
通話時間の表示された画面を見つめながら首をかしげる。
ネギが似合わないって何?
そもそも、ネギに似合う似合わないってあったっけ?
褒められてる?それとも貶されてる?
んー…わかんないなぁ。ネギかー……。
いや、この際ネギの事はどうでも良い。
問題は…
私の視界に映る、山盛りの唐揚げ。
そして追い討ちをかけるようにピーピーと鳴った炊飯器。中には3合分のお米。
「…………これ、どうしよう。」
ご飯は冷凍出来るにしても、唐揚げは無理だよね…私が食べるにも限界があるし…。
山盛りの唐揚げと3合分のお米をなんとか出来る方法はないかと思案する。考えているうちに、ふと恵くんの顔が頭に浮かんだ。
手に持ったままだったスマホで通話履歴から恵くんの名前を探す。電話をかけると、恵くんはすぐに出てくれた。
「もしもし恵くん!?今なにしてる!?」
『名前さん?禪院先輩達に稽古つけてもらってますけど…。』
真希ちゃん達と一緒!きっと野薔薇ちゃんもいるし、全部で5人だよね。よしよし。
「恵くん、お腹空いてない?」
『この時間だし、それなりに。…どうしたんですか急に。』
「皆に差し入れ持って行こうかと思って。
あと15分くらいでそっち行くから、待っててくれると嬉しいな。」
『わかりました。禪院先輩達にも伝えときます。』
「ありがとう!宜しくね。」
スマホをエプロンのポケットへ戻しながら、冷蔵庫の中身を思い出す。
たしか鮭フレークがあったはず。あとは鰹節もストックあるよね。味変用にジンジャーソースも作っちゃお。
よし、急いで準備!
「名前さん、こっちは何入ってんだ?」
「そっちはおかか、その隣が鮭フレーク!」
「名前ちゃん。唐揚げもう一個食って良いか?」
「勿論!一個と言わずもっと食べて!」
「しゃけしゃけ。」
「棘くんもどんどん食べてね!」
「名前さーん。何も入ってないのある?」
「野薔薇ちゃんから見て、1番右の列が塩おにぎりだよ!」
大量の唐揚げと、3合分のおにぎり。
それがあっと言う間になくなっていく。
大判のハンカチの上に置かれたタッパーは、もうほとんど空っぽだった。
「作りすぎて困ってたの。皆がいてくれて助かっちゃった!」
恵くんの隣に腰を下ろして、自分も唐揚げを口に入れる。うん。やっぱり二度揚げって大事。
「どうしたんですか。こんな大量に。」
「えーっと…ちょっとした気分転換で。寮の調理室借りて揚げたの。」
「気分転換に唐揚げ揚げたんですか…?」
「そっ、そーなの!じゅわーって揚がる音を聞くと気分が上がるって言うか、なんと言うか…。」
「米もあんなに…?」
「お、お米研ぐのが凄く好きなの!こう無心になって研げる時間がまたさ、……アハハハハハ。」
ポリポリと、頬を掻きながら苦笑い。
自分で言っておいてアレだけど…いくらなんでも言い訳が苦しすぎる…!!
「変わった気分転換ですね。…旨いです。」
「本当?嬉しい!」
恵くんがジンジャーソースのかかった唐揚げを口に入れる。
良かった…深くつっこまれたらどうしようかと思った。
「真希ちゃん達との稽古は順調?」
「ある程度は。」
「そっか。硝子ちゃんから聞いたよ。京都校の子達と揉めたって話。
恵くんが頭から血流してて、野薔薇ちゃんが穴だらけだったって。」
「あー。ありましたねそんなこと。」
至極何でもないようにサラリと流して、恵くんがおにぎりに齧りつく。…相変わらずドライだ。
恵くんはしばらく口をもぐもぐさせて、やがて口の中のものをゴクリと飲みこんでから言った。
「…良かったです。」
「ん?何が?」
「ここ最近、名前さんに避けられてる気がしてたんで。…俺、嫌われたのかと思ってました。」
恵くんの言葉に、罪悪感という名の矢が胸に何本も突き刺さった気がした。
あ、ダメだ私。
もう無理。限界。
「嫌いになるとか絶対にありえない!!」
「っ!名前さん!?」
そう叫んでから恵くんの体に抱きついて、しっかりと抱き締める。
恵くんが捨てられた子犬みたいな目してるんだよ!?無視出来るわけないじゃん!
「ごめん!色々あって勝手に気まずくなってた私が悪いの。だから恵くんは何も悪くない。本当にごめんなさい!」
「…何か理由があるんだろうなとは薄々気付いてたんですけど…正直ショックでした。名前さんから避けられるとか初めてだったんで。」
「あああ…ごめんなさいごめんなさい本当にごめんなさいもう絶対しない…!!!」
だからそんな顔しないで…!
ぎゅーっと、抱き締める力を強めて必死に謝ると、恵くんは小さく息を吐くように笑ってから私の頭にポンポンと手を置いた。
「もう良いですよ。」
「…怒ってない?」
「最初から怒ってないです。」
「だから、大丈夫です。」そう言って私の背中を優しく撫でてくれる、あったかい手のひらが嬉しかった。
「ちょっと。二人の世界入ってんじゃないわよ。」
恵くんにこんな顔させるなら、もう絶対に避けたりしない!そう強く思っていると、横から野薔薇ちゃんの呆れたような声があがった。
「ねぇ、名前さん。…私も寂しかったんだけど?」
恵くんと同じ、傷ついた表情を浮かばせて野薔薇ちゃんが腕を組んでいる。
滅多に見られないような表情をしていて、私はとんでもないことをしてしまったんだと思った。
「野薔薇ちゃんも本当ごめんね…!!!」
組んでいた手を広げた野薔薇ちゃんに飛び付く。背中に手を回し、身体全体でぎゅっと抱き締めた。
「次やったら二度と口聞かないから。」
「うわーん!もう二度としないから許して…!!!」
「フン。わかればいいのよ。」
力を抜いて身体を預けてくる野薔薇ちゃんに「ごめんね」ともう一度謝って、サラサラの髪をゆっくり撫でた。
「さっきから何してんだアレ。」
「何だ真希。ヤキモチか?」
「違ぇよ!!!」
「高菜。」
少し離れた場所で2年生達が話しているのが聞こえてくる。
野薔薇ちゃんの肩越しに、暮れ始めた空が見えた。