えーっと…棘くんが行った単独任務の後処理は昨日でほぼ終わったよね。今日は猪野さんが担当する任務の書類作成で…作業員名簿と保険加入証明は揃ってるから、付近の見取図の用意、近隣住民への工事案内の作成…それから…。


「はいストップ。」

「ぅおわっ!?」


仕事の事を考えながら高専の廊下を歩いていると、急に後ろに引っ張られて間抜けな声が出た。
後ろを振り向けば、視界いっぱいに入る黒。


「五条!」

「ダメじゃん名前。ちゃんと前見て歩かなきゃ。」

「…前?」


ちょいちょいと五条が指差した方向へ視線を移すと、目の前には壁。


「ごめん。仕事のこと考えてて…。ありがと五条。」


五条が後ろに引いてくれなかったら確実にぶつかってた。お礼を言えば、ニヤリと悪戯っぽく笑う。


「お礼はチューで良いよ?」

「…んの馬鹿っ!!」


思わず手が出た。けど、触れる寸前で止まる私の手。

…無限があるの、すっかり忘れてた。


「ざんねーん。」

「うぅ…悔しい。」


諦めて握り拳を解くと、五条はわしゃわしゃと私の頭を撫でる。

五条が私をからかって、私がそれに怒って。

うん。いつも通りだ。

私、五条から逃げちゃったから。
どんな顔して会えば良いかなって悶々と考えてたんだけど…いつもの軽い笑顔で安心した。


「五条、高専に戻ってたんだ。」

「ついさっきね。」

「昨日の夜に帰ってこなかったし、出張先からそのまま海外行くのかと思ってた。」


少し前に伊地知さんが用意してたチケットの日付を思い出す。出発日は今日の日付だったはず。


「またすぐ高専を出るよ。でもその前に…悠仁に七海を紹介しようと思って。」

「七海さん、引き受けてくれたんだ!」


悠仁くんを七海さんに預けたい。
五条は以前、私にそう話してくれた事があった。七海さんだからこそ教えられる事があるからって。
北海道はその為だったらしいけど…上手くいったみたいで良かった。


「七海を待たせてるから僕は行くけど、名前も来る?」

「うん!行く!」

「あ、いた!五条さーーーん!」


2つ返事でOKして、五条と並んで歩き出そうとした時、後方から伊地知さんの声が聞こえた。青い顔をしながら凄いスピードでこちらへ走ってくる。


「どしたの伊地知。変な顔して。」

「変!?じ、実は五条さんにお願いがありまして…。」

「嫌だ。」

「まだ何も言ってませんよ!?」

「どーせろくな事じゃないってわかってるからね。でも一応聞いとくよ。何?」

「先程、神奈川の映画館内で変死体が発見されたそうなのですが、どうも遺体の様子がおかしいようで…。
先にこちらで調査をお願いしたい、と警察から要請が。」


五条に手渡されたA4サイズの紙を横から覗き込む。


「川崎のキネマシネマって…。」

「苗字さん、ご存知ですか?」

「ええ。好きな作家さんの短編映画が見たくて、一度だけ行った事があるんです。」


まだこんな映画館が残ってたんだ。そう思えるようなレトロな香りを残す、こぢんまりとした映画館。ちなみに完全自由席。


「ふーん。変死体か。気にはなるけど無理だね。僕がこれから海外なのはお前も知ってるだろ。」

「…ハイ。ですから空港へ行く前に、なんとか対応して頂けないかなーとか思ったり…。」

「無理なものは無理。」

「ですよね…。」


やっぱりダメだった、伊地知さんがガッカリしながら肩を落とす。

伊地知さんの為にも何とかしてあげたい。でも、五条だって飛行機の時間があるよね…。
うーん…伊地知さんからリストを貰って、シラミ潰しに電話を掛ければ、もしかしたら対応可能な呪術師さんの1人や2人…。

私が悩んでいる隣で、持っていた紙にもう一度目を通した五条が「ちょーどいっか」と呟くのが聞こえた。


「コレ、行くのは僕じゃなくても良い?」

「そ、それは勿論…でも今日は特に人員不足でして…。」

「今日は、じゃなくていつもの間違いだろ。高専に七海が来てる。悠仁にも同行させたいし、僕から七海へ伝えとくよ。」

「本当ですか!?ありがとうございますっ!!
五条さんを空港へ送るついでに、七海さん達も現場へお送りしますね。裏へ車を回して来ますので準備が出来たらいらっしゃって下さい!」


伊地知さんは腰を90度に曲げてお辞儀をした後、バタバタと凄い勢いで廊下を駆けて行った。







映画館の件を七海さんに伝えて、それから悠仁くんを呼びに行くと言う五条と別れ、私だけ先に地下室に来た。
部屋の中に入ると、私に気付いた悠仁くんが笑顔で迎えてくれる。


「名前さん!」

「悠仁くん。久しぶりだね。伊地知さんの所は楽しかった?」


五条が遠方に出張だった為、悠仁くんはいつもの地下室ではなく伊地知さん宅で数日過ごしていた。そろそろ悠仁くんに外の空気を…って五条は思ってたみたいだし、ある意味タイミングが良かったみたい。


「最初は退屈でヤバかったけど、最後は楽しかった!伊地知さんの仕事ついでにドライブ行ったり、肉も食った!」

「お出掛けしたんだね。ドライブとお肉かぁ…羨ましい!伊地知さん、お家でちゃんと休んでた?いつも仕事してるイメージなんだけど…。」

「家でもパソコンと睨めっこ。」

「うわぁ…。」


そうかなとは思ってたけど…伊地知さん、家でも仕事してるんだ…。
伊地知さんが過労で倒れる前に、もっとこっちに仕事回ってくるように根回ししておかなきゃ。


「日本中の窓の連絡先って、名前さんも全部わかんの?」

「ううん。私は大都市の窓を暗記してる位。あれは伊地知さんにしか出来ないよ。」

「…暗記はしてんのね。」

「たまに五条に聞かれるの。」


滅多に無いんだけど…伊地知さんと連絡が取れない時にだけ、五条は私に聞いてくる。だから必要最低限は覚えてなきゃいけない。


「そう言えば五条先生は?」

「五条ならもうすぐ、」

「おっまたーーー!!!」


噂をすればなんとやら。踊るような歩き方で五条が部屋に入って来た。


「悠仁、任務だよ。」

「お!任務!今回はどんなの?」

「その説明は後で。これから悠仁に会わせたい奴がいるんだ。」


五条の言葉に、悠仁くんは「俺に?」と首を傾げた。それを見た五条はニッと歯を見せて笑い、「ついておいで。」と言って1人でぶらぶらと歩き出す。


「名前さん、何か知ってる?」

「うん。行けばわかると思うよ。」


不思議そうな顔をして立ったままでいる悠仁くん。その背中を促すようにポンと叩いて、私達も後を追った。







「今回僕は引率出来なくてね。でも安心して。信用できる後輩を呼んだから。」

重厚感ある扉が開くと、部屋の中に七海さんが立っていた。


「脱サラ呪術師の七海君でーす!」

「その言い方やめてください。」


肩を組みそう言った五条に、七海さんは冷ややかに返した。その言葉に耳をかさず、五条は話を続けて行く。


「呪術師って変な奴多いけど、コイツは会社勤めてただけあってしっかりしてんだよね。」

「他の方もアナタには言われたくないでしょうね。」


わかる。その"変な奴"のカテゴリーの中に、五条も間違いなく入るはず。


「脱サラ…なんで初めから呪術師になんなかったんスか?」


少し戸惑った顔で、悠仁くんが質問をする。

やっぱりソレ気になるよね。私も最初は悠仁くんと同じこと思った。


「まずは挨拶でしょう。はじめまして虎杖君。」

「あ、ハイ。ハジメマシテ。」

「苗字さんも。お久しぶりです。」

「お久しぶりです、七海さん。」


質問の答えより、まずは挨拶。
七海さんは背筋を伸ばし、上体を30度の角度に倒す。礼儀正しい七海さんらしい、お手本のようなお辞儀だった。

挨拶が終わると、七海さんはフーっと息を吐きながら天井を仰ぐ。それから悠仁くんに視線を向けて、「呪術師はクソ」「労働はクソ」「おなじクソならより適性のある方を」と、いつもの七海さん節を炸裂させながら出戻った理由を説明していた。

それを聞いている五条と悠仁くんが「暗いねー」「ねー」と、コソコソ話してる。コラコラ。二人とも七海さんに失礼でしょ。


「虎杖君。私と五条さんが同じ考えとは思わないでください。私はこの人を信用しているし、信頼している。」


七海さんの言葉に、五条の顔に得意そうな笑みが浮かぶ。


「でも、尊敬はしていません!」

「あ"ぁ"ん?」


上げてから、叩き落とす。

さっきまで得意そうな笑みを浮かべていた五条は、一転して怒りを露にした。
そのやり取りがなんだか面白くて、隠れてこっそり笑ってしまった。


「上のやり口は嫌いですが、私はあくまで規定側です。…話が長くなりましたね。
要するに、私もアナタを呪術師として認めていない。
宿儺という爆弾を抱えていても、己は有用であると、そう示すことに尽力してください。」


七海さんの厳しい言葉に、悠仁くんは短く息を吐いてから俯向いた。


「……俺が弱くて使えないことなんて、ここ最近嫌という程思い知らされてる。でも俺は強くなるよ。
強くなきゃ、死に方さえ選べねぇからな。」


肩が震える程に両手を強く握って、もどかしそうに悠仁くんが言う。



『強くなきゃ死に方さえ選べない』



悠仁くんの言葉を聞いて、ドキリとした。

素直で、人懐こくて、優しくて、よく笑って。

悠仁くんと一緒にいると、気付いたらこっちまで笑顔になってる。

だから時々忘れそうになる。
悠仁くんは、死刑が決まっていること。

…私が悠仁くんと同じ立場だったら、こんな風に強くいられるだろうか。

弱い私は、どうやって死ぬのかな。


そう考えたら、背中がざわざするような落ち着かない気持ちになった。

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