「硝子ちゃん!ごめん!今日泊めて!!」
「……………………は?」
勢いよく医務室に駆け込んで来た私を見て、硝子ちゃんはパチパチと瞬きした。
「で、逃げて来たと。」
「……………はい。」
事のあらましを説明すると、硝子ちゃんは呆れたような顔をした。
「いつもベタベタくっついてんじゃねーか。キスされそうになった位で何を今更…。」
「ベタベタくっついてないもん!だって…五条の雰囲気がいつもと違ったって言うか…その…。」
五条の目は本気そのもので。
その目から顔を逸らすことができなくて。
思い出したら、頭がぐるぐるして言葉が出てこない。多分私、今、顔真っ赤だ。
「おー。真っ赤だな。」
私の赤くなった頬を、硝子ちゃんがツンツンと指先でつつく。
「とっ…とにかく!今日だけどうにかすれば五条は明日からまた出張なの。その後は七海さんと一緒に北海道で、北海道から帰ってきたら交流会の前までは海外だし…。
だからお願い硝子ちゃん!今日だけ泊めて!!」
私は椅子に座ったまま、両手を膝に乗せて深々と頭を下げる。
ほんのちょっとの沈黙の後、下げていた頭をポンポンと撫でられて顔を上げると、硝子ちゃんは頬杖をついてこちらを見ていた。
「良いよ、泊まりに来ても。」
「ほんと!?ありがとう硝子ちゃん!」
「でも虎杖に飯作ってんだろ?先に帰ってるから、それ終わったら伊地知に送って貰え。」
「女神…ここに女神がっ…!」
「その代わり、私の晩酌にも付き合えよ。つまみ持ってくんのも忘れんな。」
「腕によりを掛けて作らせて頂きます!」
ビシッと敬礼しながら私が言えば、硝子ちゃんは微かに笑ってコーヒーに口をつけた。
地下室へ降りると、ソファーに座って映画を見ている悠仁の頭が見える。
いつもはその隣に名前の小さな頭も見えるのに、今日はそれが見えなかった。
「悠仁、名前は?」
「名前サンなら…今日は用事があるからって、俺と五条先生の食事作って帰ったよ。伊地知さんに送って貰うって。」
用事があるから帰った?
そんな事、名前からは一言も聞いてない。
伊地知に連絡しようとスマホを取り出すと、タイミング良くスマホが手の中で震え出した。
画面には”家入硝子”の文字。
電話なんか滅多にしてこない彼女がどうして。疑問に思いながら応答のボタンをタップする。
『もしもし、私だけど。』
「何?僕今忙しいんだけど。」
『名前、今日は私が預かるから。ヨロシク〜。』
言うだけ言って、ブツンと電話が切られた。
耳に当てたままのスマホからは、ツーツーと無機質な音がする。
「五条先生?」
「くっ…くくくく、」
「??」
いきなり笑いだした僕を見て、悠仁が怪訝な目を向けてくる。
なるほど。硝子に助けを求めたってわけね。
「ちょっと予想外。まさか逃げられるなんて思ってなかったな。」
「何の話??」
「こっちの話。悠仁。先に稽古にして、それから食事にしようか。」
悠仁くんと五条の夕飯を作った後、伊地知さんにお願いして硝子ちゃんの家まで送って貰った。
約束したおつまみをテーブルへ広げて、今は2人で晩酌タイム。
硝子ちゃんとお酒飲むって久しぶり。
前に連れて行って貰った小鳥箱ってお店が凄く美味しくて。
大ジョッキで豪快にハイボールを飲む硝子ちゃん、カッコ良かったなぁ。
「ねぇ、硝子ちゃん。」
「ん?」
人差し指を使ってプルタブを引っ張る硝子ちゃんへ声を掛ける。返事と一緒に、本日5本目のハイボールの缶がプシュっと音を立てて開いた。
「五条が言ってたんだけど、悠仁くん達1年生が特級案件に関わったのって…。」
「ああ。五条と対立してる上層部が仕組んだらしい。」
「京都校の楽巌寺学長って…。」
「モロその上層部だな。」
「やっぱり…。」
私が作った椎茸の味噌マヨ焼きを食べながら、硝子ちゃんが喉を鳴らしてハイボールを飲む。
そんな硝子ちゃんと対照的に、私はまだ1本目のハイボールをちびちびと飲んでいた。
「虎杖に執行猶予をつけたのもそうだけど、その上層部の奴ら、名前の血をもっと寄越せって騒いでんだよ。利用価値があるからってな。でも、五条が頑なにそれをヨシとしない。
そんな風に積もり積もったのも関係してるんだろ。」
「じゃあ…私がもっと血を提供すれば、その上層部も少しは大人しくなる?」
「いや、そんな事したら余計に調子に乗るだろうからやめとけ。」
「でも…。」
私の血でどうにかなる事なら、そうしたいと思ってしまう。だって…それ位しか私は出来ないから。
両手で缶を握る私をチラリと見て、硝子ちゃんは形の良い唇を動かす。
「…コレは口止めされてるんだけど、採血の量は名前が決める事になってるだろ?
けどそれは表向きの話。五条からは私が調査に使う分以外は採るなって言われてる。名前の身体の負担になるからって。」
確かに…検診の時、硝子ちゃんが採る血の量は微々たるもの。硝子ちゃんが何も言わないから、そういうものだと思ってた。でも、違ってた。
私の知らないところで、五条に守られてたんだね。
そう思ったら、胸がきゅんと痛くなった。
「ま、五条には五条の考えがあるみたいだし…私達が気にしても仕方ねぇよ。」
「…うん。」
それからたわいもない話で盛り上がって、硝子ちゃんが7本目、私が2本目のハイボールを飲み干した時、部屋のインターフォンが鳴った。