今日は1年生の釘崎野薔薇さんが上京して来る日。
上京してすぐに五条達と東京観光(と言う名の試験らしい)に行くようで、引っ越しの荷物搬入の立ち会いを釘崎さん本人がするのは難しい。なので私が代理で立ち会っている。
「ご苦労様でした。」
荷物を運んでくれた業者にお礼と飲み物を渡すと、いかにも鍛えてますという感じのお兄さん達は頭を下げて帰って行った。
部屋に積み上げられた大量の段ボール。
女の子だもん、荷物も多いよね。
えーっと…ここに釘崎さん達が帰ってくるのは夜だから、部屋の鍵は引き出しで良いよね。五条に場所伝えとこ。
「戻りましたー。」
「名前さんおかえりなさいっス!」
「ごめんね意外と時間かかっちゃった。明ちゃん、もう時間だよね?間に合う?」
私が戻ると、パソコンと睨めっこしていた明ちゃんが顔をあげた。彼女は時計を確認すると、車のキーを持って立ち上がる。
「まだ少し余裕あるから大丈夫っス。名前さん、一人で平気っスか?」
「うん。高専から出なければ一人でも大丈夫。
伊地知さんが迎えに来てくれる事になってるし、それまで仕事して待ってようかなって。」
「名前さん、ホント働き者っスね。」
「それは明ちゃんも伊地知さんもだよ。気をつけて行ってきてね。」
「はいっス。」
明ちゃんを見送ってから、山になりつつある領収書の束へ手を伸ばした。
「…………暇だ。」
静まり帰った部屋に、ポツリと言葉を溢す。
「トラブルで迎えに行くのが遅くなります」と伊地知さんから連絡があってから、あっという間に2時間。
自分の仕事だけじゃなくて、伊地知さんと明ちゃんのデスクに残っていた分も全部終わってしまった。
オレンジ色に染まっていた空も、今は漆黒が溶けている。
もうやること無いし…紅茶でも飲もうかな。
そう思ってた立ち上がった瞬間に「苗字さん。」と、名前を呼ばれた。
声の方へ振り向けば、特徴的なサングラスに、見るからに高そうなベージュのカラースーツ。七海さんだ。
普通の会社に就職して、その後に呪術師に出戻ったと言う珍しい経歴の持ち主。
七海さんと初めて会ったとき、五条は七海さんの事を”脱サラ呪術師”って言ってた。
「七海さん!お疲れ様です!どうしたんですか?」
「お疲れ様です苗字さん。近くまで来たので、先日受けた分の書類を置いて帰ろうかと。」
「なるほど。お預かりしますね。近くまで…って、任務だったんですか?」
「ええ。朝から何件か。」
手を差し出して七海さんから書類が入ったファイルを受け取る。
これ、ややこしいから早めに処理したいって伊地知さんが言ってたやつだ。流石七海さん。お仕事が早い。
「…珍しいですね。アナタがこの時間に一人でいるなんて。」
私だけしかいない部屋を、七海さんがぐるりと見渡す。
「伊地知さんは任務の送迎なんです。ちょっとトラブルがあったみたいでまだ帰ってきてなくて…。」
「五条さんは?」
「五条は生徒さん達と一緒に任務です。今日で五条が受け持つ1年生が全員揃うので、そのまま歓迎会兼ねてご飯に行くって話してました。
終わったら生徒さん達とここに戻ってくるから、五条か伊地知さん、早く帰ってきた方と帰ろうかと思って。」
「食事は。」
「もっと早く帰れるつもりだったのでまだ…。」
「…ではコレ、好きな物をどうぞ。腹の足しくらいにはなるでしょう。」
トンッと置かれた紙袋。中身を覗くと、パンがいくつか入っていた。
パストラミビーフ、スクランブルエッグ、生ハムとチーズ…他にも色々。どれもフランスパンに挟まれたものが多い。確か…カスクートって名前だった気がする。
「わぁ!美味しそう!頂いちゃって良いんですか?確か七海さん、パンお好きですよね?」
「来る途中で新しい店を見付けて入ったのは良かったんですが…私とした事が、少々買い過すぎてしまったので。」
「じゃあ遠慮なく。えーどれにしよう…迷うなぁ。あ、そうだ!七海さんコーヒー飲みませんか?頂き物で良い豆が…、」
私がそう言えば、七海さんの眉がピクリと動いた。それを見てハッとする。
……やばい。私、間違えたかも。
「って…七海さんの定時、もう過ぎてますよね!?パン、これ頂きます!引き留めてしまってごめんなさい!」
ろくに選びもせずに、袋に入ったパンを取り出してから頭を下げる。
………………やってしまった。
時間に厳しく、きっちりした性格の七海さんは時間外労働を嫌う。
朝から任務って言ってたし…この時間、どう見積もっても定時過ぎてるよね。コーヒーなんて飲む時間があれば、きっと家に帰りたいはず。
七海さん怒ったかな…もっと早く気付くべきだった…。
「………頂きますよ。」
「…………え?」
「コーヒー。任務後で小腹も空いていますし、私もここで食べて行くことにします。」
七海さんの言葉に驚く。
だって、七海さんの勤務時間はとっくに過ぎている。
「でも時間が…私といても、残業代は出ませんよ?」
「何バカな事言ってるんですか。……食べて行くついでに、アナタの暇潰しに付き合いますよ。」
「……私が暇なの、バレてました?」
「声を掛ける前、心底暇そうな顔で座っていたのを見たので。」
七海さんはそう言って、袋の中のパンを選び始めた。
もしかしなくても…私に気を遣ってくれたらしい。
常に表情を崩さず、クールで冷静。無愛想にみえる七海さんけど…本当はこうやって人を思いやる気持ちがある、優しい人。
「七海さんって素敵ですよね。好きになりそう。」
「…五条さんと一緒にいる時間が多すぎて、ついに苗字さんも頭が沸きましたか。」
「うわ酷い。」
「冗談言ってないで早くコーヒー淹れてください。座って待ってます。」
サーモンとクリームチーズのカスクートを片手に持った七海さんが歩き出す。この人、フランスパン似合うな。
…そう言えば私が選んだのは何だったのかなと確認すれば、ツナと玉子が見えた。お昼に食べたサラダにも、ツナと玉子乗ってたよね…。
「………七海さん。…私、海老が入ってるやつに変えても良いですか?」
広い背中に声をかけると、七海さんが振り向く。
「ご自由に。」
フッと笑って、彼が言った。
ほら、やっぱり優しい。