Another jujuwalk 5


高専には自販機コーナーが設置されている。

数台並ぶ自販機の1つに、10日ほど前から新しいメーカーのアイスティーが登場した。
絶妙な甘さと、ペットボトルのキャップを開けた瞬間の良い香りにすっかり虜になってしまった私は、ここ最近毎日この自販機コーナーへ通っている。


「こんにちは七海さん。」

「こんにちは苗字さん。…五条さんの差し金ですか。」


自販機の前で立っていた七海さんに声をかけると、サングラス越しの鋭い視線が私に向けられた。

差し金?


「いえ、私はアイスティーでも買おうかなと思って…。そこの自販機入ってるアイスティー、大好きなんです。」

「そうですか。それは失礼。」

「…五条がどうかしたんですか?」

「ここ数日、一緒に出掛けようと四六時中つけ回されていまして。」

「うわあ…それは御愁傷様です。」

「全く…何なんですかあの人は。」


苦虫を噛み潰したような顔をして、七海さんはサングラスに手で触れた。
ここ最近で五条が動くとすれば…きっと悠仁くん絡みだよね。

よし。悠仁くんの為にもここは私がアシストを…!


「でもほら、意外と楽しいかもしれませんよ!五条と出掛けるの。」

「楽しい訳が無いでしょう。」

「ですよね。」


七海さんは間髪いれずに答えた。
いや、わかってた。わかってたけど…即答されるとどこか虚しい気がするのは何故だろう。

七海さんが1秒ですら考える時間を作ってくれないのは、五条の日頃の行いが悪いせいだ。

「あはは」と乾いた笑いをあげる私の顔をチラリと見た後、七海さんは自販機に向き直った。


…私もアイスティー買って戻ろ。


小銭を取り出す為にポケットへ手を差し入れると、紙切れのようなものが指先に触れた。

何だろ?レシートかな。

取り出してみると、五条の似顔絵に『名前へ』と書かれた手紙らしきもの。
隣の七海さんのポケットにも入っていたのか、私と同じものを手にしていた。

四つ折りになったそれを広げると、中央に【128√e980】とある。

数式…?私、数学苦手なんだよね…。
そもそもeって計算できるの?…ダメだ。無理。


「私の方は謎の数式だったんですけど、七海さんの方には何て、」

「白紙です。」

「白紙?いや、五条に限ってそんなこ、」

「白紙です。」

「…そうですか白紙ですね!」


こめかみに青筋を立てた七海さんが小さな紙をグシャグシャと握りつぶした。

何が書いてあったのか凄く気になるけど…これ以上聞くなって顔に書いてある…!


「じゃあこれ、七海さんわかります?私、数学苦手で…。」

「……………………さあ、私もわかりません。」

「微妙な間がすごーく気になるんですけど。もしかして答え知ってます?」

「知りませんよ。そんなに気になるのなら、コレを入れた本人に聞けば良い話でしょう。」

「…絶対教えてくれない気がします。」


五条のことだ。『名前には難しかったかな』とか言って、からかうように私を笑うに決まってる。


「では自力で頑張るしかないですね。」


七海さんがコインを入れてボタンを押す。
静まりかえった周囲に、取り出し口へと落下する音がゴトンと大きく響いた。

「どうぞ」私の前にペットボトルが差し出される。反射的に受け取ってしまったそれは、私が話していたアイスティーだった。


「それでも飲みながら考えてください。」

「あ、お金、払います!」


ゴトン、もう一度音が響く。

七海さんはすらりと上背のある長身を折り、自動販売機の取り出し口に手を差し入れ、今度は黒のスチール缶を掴み出した。そのまま踵を返し、私の声を無視して歩き始めてしまう。


「わー!!!待って!!!待って七海さん!!!」


七海さんの腕を慌てて掴むと、彼は肩ごしにふりかえった。


「…何ですか。」

「何ですか。じゃないですよ!!ドリンク代、ちゃんと受け取って下さい!」

「…先日良いオリーブオイルを頂きました。」

「それは日頃七海さんにお世話になってるお礼で…!」

「お世話してません。」

「して貰ってます!いつもいつも買って貰ってばかりじゃ申し訳ないんです…!!」


ぐぐぐ…と手を伸ばして、七海さんのポケットへドリンク代を入れようとする私。
私の手首を掴み、押し戻そうとする七海さん。


「良いから黙って受け取ってください。今日は紅茶の気分ではないんです。」

「気分じゃないなら何で買ったんですか…!」

「これが好きだと貴女が言っていたので。
…違いましたか?」


私を見下ろすクールな表情の中で、瞳だけが優しく微笑んでいる。

私はため息ををついて、手に握っていたコインをポケットへ戻した。

その顔はズルい。カッコいい。ズルい。


「………違わないです。すみません、ご馳走さまです。」

「どういたしまして。ああ、そうだ。苗字さん。」

「なんでしょう?」

「『Jeg elsker dig.』ですよ。」

「ヤイエル…?ごめんなさい。良く聞き取れな、」

「これが数式の答えです。」

「え、今のがっ!?」


上手く聞き取れなかったが、口の動きからして日本語や英語ではなさそうだった。

「では、私はこれで」悩んでいる私を他所に、 七海さんは缶コーヒーを手に足早に去って行ってしまう。




結局、五条に聞いても答えを教えてくれなかったので、謎の数式は迷宮入りになった。


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