「あの、やまださんですよね?」

珍しく本部を1人で歩き回っていたさあらは、新人隊員達が集まる一角に差し掛かったところで、突然声をかけられ立ち止まった。
振り向くと、C級隊員服を着た見覚えのない女の子。さあらは、歳は大体同じくらいだろうか、とぼんやり考えた。

「そうですけど、えっと、なんでしょうか?」

さあらは、呼びかけに応えながらも内心で彼女に対して警戒心をもっていた。
何しろ、C級や自分を知らないボーダー内での自分の評判の悪さは嫌という程理解しているから。
表情もわかる人が見れば強ばっているのだが、初対面だろう相手には気付かれていないようで。さあらを呼んだ彼女はふんわりと笑って言った。その笑顔は人を安心させるような、そんな柔らかい笑顔で、さあらも釣られてぎこちなく笑った。

「私、最近ボーダーに入ったんです!それでやまださんが同じ歳だと知って、すごいなぁって!A級1位なんですよね?!」
「あ、うん。そうなの。同じ歳なら、敬語いらないから」
「わぁ!ありがとう!それでもし良かったら色々教えて欲しいなって……」

不安そうに眉を寄せた彼女に、さあらは自分の変な警戒心が恥ずかしくなる。こんなにいい子なのに、疑ってしまうなんて、と。
元々どちらかというと人見知りで、内弁慶なのがさあらだ。仲がいい人や例えばクラスメイトには自然体。しかし知らない相手や、自分へ悪意を抱いているかもしれない相手には自分から近付こうとはあまり思わない。

うう、公平が居てくれたら良いのにな。

そんなことを考えてしまう自分の弱さが悲しい。このままじゃダメだ。頑張らなきゃ。
A級1位として、恥ずかしくないように。しなきゃ。
そう決めて、さあらはギュッと手に力を込めて顔を上げた。

「私で良ければ……!」
「ほんと?!嬉しい!ありがとう!」

そして、さあらにはその日新しい新人ボーダー隊員の友達が出来た。





「ほらこの人だよ」

ボーダーの新人隊員は入隊日からしばらく時間が経って、そろそろボーダー生活に慣れてきた所だった。
訓練で必死で訓練についていくだけで精一杯だった初めの頃から考えるとかなり余裕も出てきた。仲良くなったグループで、こうして集まって噂話をする余裕が出来る程度に。

その噂話に、よく名前が上がる人がいた。それも良くない方の噂に。
その人は、A級1位でつまりボーダーで一番強い部隊にいるらしい。しかしその人は、その部隊の中の一人と付き合っていて……つまり、実力ではない部分でA級1位の部隊にいるという。

集まっていた新人隊員達の視線の先には、A級1位部隊の五人が写っているポスターが貼ってあった。
一人が、そのポスターの中の女子の片方を指す。
その指された先に写っていたのが、その実力もないのにA級にいる人だという。確かに、強そうには見えない。確かに美人でもある。

「やまだ……さあら」
「なんか、そんなのおかしいよね」
「ずるいよね、ちょっとかわいいからってさ」

だから。これは、悪いことじゃない。
間違っていることを正すだけ。
新人隊員達は、声を潜めてどうしてやろうかと、相談を始めた。

「ね、みーちゃん……どうしたの?」
「この人の彼氏って、こっちの人?」
「あ、そうだよ。出水公平。すごい強くて、それに、イケメンだよね」
「うん……」

本当にずるい。
みーちゃんと呼ばれた新人隊員は、唇を噛んで、ポスターの中で笑顔を浮かべるさあらを睨み付けた。

私を助けてくれたのは、この人。出水公平さんだ。そして、彼に憧れて少しでも近付きたくて、頑張ってボーダーに入ったのに。
絶対に、このままにはしておけない。彼の為にも。ボーダーの為にも。

歪んだ正義を掲げていることを、自分たちがしようとしていることが、間違っているなんて、その時の彼女達にはもう分からなくなっていた。





「公平!」
「さあら、どうした?」

いつものように、米屋達と模擬戦をしていた出水の元に、さあらが駆け寄る。彼女は随分と嬉しそうで、満面の笑みを浮かべて出水に飛び付いて、出水もそれを平気な顔で受け止める。
実際、模擬戦が終わったばかりで換装したままの出水には、さあらを受け止めるのなんて余裕のこと。ぎゅうとしがみついたさあらの髪を優しく撫でながら話の続きを促した。

「新人の子と仲良くなったの!」
「へぇ」

珍しいな、と出水が思ってしまうのはしょうがないだろう。
さあらはどうしても目立つ。A級の数少ない女子で、ましてや太刀川隊に所属している唯一の女子戦闘要員で、同じ隊の出水の恋人で。
出水からしてみれば意味のわからない、妬み嫉妬が彼女の元には集まりやすい。

さあらはこれだけ努力をしているのに。
さあらはこれだけ強いのに。
さあらは太刀川隊になくてはならない奴なのに。

そう思っているのは、出水だけではなく、きっと太刀川隊全員が思っているはずだ。
さあらを知っているからこそ、きっぱりとそう言い切れるのに、彼女を歪んだ目で見る連中にはそれが分からないらしい。
出水は、いつもそのせいで悔しい思いをしている。しかし当のさあらが『大丈夫だよ、皆が私を必要だと思ってくれてれば平気だよ』と笑うため、出水はいつもその噂を聞き流すようにしていた。

そんな経過があって、なかなか彼女には新人隊員が寄り付かない。弟子もまともに取ったことが無い。
だからこそ、これほどさあらは喜んでいるのだろう。

「良かったな」
「うん!」
「今度公平達にも紹介するね」
「ん」

喜んでいる彼女に気を取られて、だから出水は気が付かなかった。
彼女にじわじわと近付く悪意に。





「出水、ちょっといいか?」
「え?なんすか?」

さあらが友達が出来たと喜んで少しした頃。
本部の自分達の作戦室で、太刀川や国近とだらだらしていた出水の元に、風間が姿を見せた。
因みに、唯我はピアノ教室とかで本日は休み。さあらはその新しく出来たという友人に会いに行っており不在だ。

「太刀川達もいるなら調度いい」
「へ?なんかありました?」
「最近、さあらにおかしな様子は無いか?」

そう切り出した風間の表情は、真剣そのもの。どこか険しさすら浮かんでいて、さあらに何があったのかと、出水は崩していた姿勢を戻した。
そして頭の中で最近のさあらを思い浮かべた。

「特になんもねぇよな?出水」
「はい、別に普通だと思うンですけど」
「うん、今日も朝から元気だったよ?」

やはりおかしかった所は思い浮かばない。それは太刀川達も同じようで、全員が首を傾げて、風間を見つめる。

「市民が作ってる匿名のボーダー関連の話題が集まる掲示板を知ってるか?」
「あーボーダーちゃんねるとかなんとかいう?」
「ああ。そこに最近、さあらの事が書かれている」
「は?」

相手が年上の風間だということも忘れて、出水は低い低い声をあげた。
隣の太刀川達も、一気に表情に険しさを乗せている。

国近は、素早くタブレットを取り出し、件の掲示板を開いた。
そこには、さあらの名前と彼女への根も葉もない噂話、そして彼女への罵詈雑言がこれでもかと並べられ、挙句に。

「なんだよこれ」
「写真まで……」

最近撮られたと思われる写真は、隠し撮りが大半のようだった。しかも、撮られている場所は、どう見てもボーダー本部内としか思えない写真も多かった。

「どうやらここ2週間くらい前から掲示板で話題になっているらしい」
「ふざけんなよ……!」

ガンっと机を強く叩いたのは太刀川で、隣の国近も色が変わる程強く唇を噛み締めていた。
そして、出水は、全ての表情を削ぎ落としたかのように、無表情で、しかしその瞳は爛々と強い怒りで燃え盛っていた。

「今上層部でもこの件で、この写真の出元を調べている。城戸司令もかなりお怒りで一刻も早く主犯格を調べあげろとこっちにも話が来た。お前達はさあらになるべくこの件に気付かせずに守ってやれ。なるべくあいつを一人にするな。こんなくだらんことで、さあらを傷付けさせる訳にはいかない」
「……言われなくても、さあらは俺が守ります」
「バカ、出水。俺たちが、な」
「そうだよ、こんなの絶対許せない!」

そうして、それぞれがさあらのためにと思考を張り巡らさている中に。

「あれ?みんなどうしたの?」

と、明るい顔をしたさあらが戻ってきた。
その手には沢山のお菓子と飲み物。

「おかえりーさあらー」
「ただいま!柚宇ちゃん!お菓子もらってきたよ!」
「沢山あるねー、どうしたの?」

バラバラと机の上に手にしていたそれらをばらまくと、ニコニコしたままさあらは太刀川と出水の間に座り込む。

「みーちゃんがくれたの」
「みーちゃん?」
「うん、最近友達になった新人隊員の子!」
「それ、確か2週間くらい前だよな?」

こくりと頷くさあらに、出水は嫌な予感を感じて、ちらりと風間と太刀川を盗み見る。
風間と太刀川はさあらに気付かれないように、小さく頷いて返す。
新しい友達が出来た、そう喜んでいるさあらにはあまりにも酷い結末になりそうな気がして、出水は拳に力を込めた。

「公平どうしたの?怖い顔」
「あ?なんでもねーよ。俺これ食っていい?」
「ん!いーよーあ、みかんジュースもあるよ別に買ってきたの」
「おーさすがさあら。分かってんじゃん」

つい険しくなる顔を隠すように、さあらに気付かれないように。ぎゅうと腕の中に彼女を抱き込めば、腕の中でさあらは嬉しそうに笑っていて。彼女はいつも通り最高に可愛くて。
余計に、出水の心の中で、こんな事をしでかした連中への怒りが増幅していくようだった。





「公平、最近ずーっと一緒にいない?」
「そーか?」
「そうだよ、模擬戦にもあんまり行ってなくない?」

意識してさあらと一緒に居るようになって大体一週間。さすがに模擬戦も断ってまでさあらを優先しているせいで、さあらは何かを勘づいたらしく。
とはいえ、今は模擬戦やらよりもさあらと居たい。一人にしたくない。太刀川や国近もなるべく彼女を一人にしないようにしているが、学校やらなんやらを考えるとどうしても頻度は出水に片寄ってしまう。

「なに?さあらは俺と居たくねーって?」
「そんなこと言ってないー」
「じゃあイイじゃん」

ソファーの隅っこへ彼女を追いやると、出水はごろんと寝そべり、彼女の太ももに頭を乗せる。いわゆる膝枕の体勢になりながら、出水はさあらの手にしていたスマホをさっと抜き取る。

「あ、返してよー」
「は?だーめ、俺と居んのにスマホ見んな」
「えー」

もう、と頬を膨らませたさあらにかわいいと腕を伸ばして彼女の顔を引き寄せながら。出水は自然な動作で、さあらのスマホをポケットにしまいこむ。当面の間、さあらのスマホは出水のもとに。返すつもりはしばらくなかった。





最近、公平がおかしい。

さあらはお風呂の中で、考え事を始めていた。元々べったりというくらいずっと一緒にいるが、ここ最近の出水はとにかく四六時中一緒にいたがる。
トイレに行く時だってついてこようとするくらいだ。

何かが起きてるんだ。
私が、気付いてないだけで。
けれど、いくらさあらが考え込んでも、理由は分からなかった。

「おい逆上せんぞ」
「あ、もうあがるー」

ガラリと風呂の扉が開かれる。
きゃっなんて、恥ずかしがるような関係でもないので出水はあっという間に服を脱ぎ捨てて風呂場の中に入ってくる。そしてさあらが立ち上がって浴槽から出ると、すれ違いざまに腕を引かれて、触れるだけのキスが一度。
さあらはこういうふうに常日頃から愛されてるなぁと何度でも実感するのだ。

先程まで考えていた事を一瞬忘れてしまったさあらは、ぱぱっと服を着て、ふと思い出した。
そういえばこの間から私のスマホが返ってきてないなぁ。
そして部屋の中をいくつかの選択肢を思い浮かべながら視線を巡らせると、彼女のサイドエフェクトに引っかかる物が。

「ここかな?」

出水の上着のポケットをゴソゴソと探れば……

「あったぁ」

目当ての自分のスマートフォン。画面を立ち上げればそこにはLINEの通知が表示されていた。
見知らぬ名前から送られている通知。

「なにこれ……」

震える手で画面をタップすると、開かれるLINE。
そこには何人もの見知らぬ相手から送られてきた悪意まみれのメッセージの数々が並んでいた。

「何してんの」
「……公平……」
「見たのかよ」
「うん……」
「気にすんな、お前はなんも悪くねぇから」
「うん……でもなんでなの?こんな、いきなり」

風呂から戻ってきた出水は、彼女の手元に彼女のスマホがあるのを確認すると、大きなため息を吐き出しながらさあらに近付いた。
途端にびくりと震えるさあらの身体。それを後ろからそっと抱き寄せながら、彼女の手からまたスマホを抜き去る。
しかし、さあらもさすがに今回は騙されてはくれないようで。
不安そうに瞳を潤ませながらも、唇を噛み締めて、出水を見上げるその顔は、引かないという意思をしっかりと映していた。

「1ヶ月くらい前から色んなところで、お前のことを悪く言ってる連中がいる。掲示板とかSNSとかな。んで、そのクソどもは、お前の写真も晒しまくってる」
「ほんと、なの?」
「ん」

元々涙腺の弱いさあらのこと。あっという間に涙を溢れさせて、出水は服の袖口で彼女の顔をそっと拭ってやる。しかし、とめどなく溢れる涙にもう追い付かねぇな、と結局彼女の身体を胸の中にしまいこんだ。
じわじわと濡れていく服は、この際どうでもよかった。

「あんな、お前が仲良くなったなんだっけ、みーちゃん?だっけ」
「みーちゃんは、悪い子じゃないよ!」
「さあらがそう思いたいのは分かる。けど、タイミングおかしすぎんだって」
「でも、みーちゃんは違うもん」
「分かんねぇだろ、そんなの。お前はそんなことしないのは知ってる。けど、こういうことする連中は、平気で嘘つくぜ?さあらを騙すのなんてすげー簡単だしな。それに、お前のLINEのID知ってるやつなんて、限られんだろ?」
「……ちがうもん……みーちゃんはちがうもん」

結局、言葉を並べ立てれば立てるほど、頑なになるさあらとの話し合いは平行線で、認めたくないさあらはとうとう泣き疲れて眠ってしまった。

こんな事でこいつと喧嘩なんてしたくねぇのに。
悔しさと相手への怒りでどうにかなりそうになりながら、喧嘩をしても自分の服を握りしめて離さないまま寝ているさあらの横に寝転んで、彼女を起こさないよう慎重にその身体を抱き込み出水もゆっくりと意識を手放した。





「あ、さあらちゃん!」

翌日、気まずさのあまり、ろくに出水と顔を合わすことも無く本部の中をぐるぐるしていたさあらに、明るい声がかけられた。
それは件のみーちゃんの声で、疑いたくないと思いながらも、ぎくりと身体がはねるのをさあらは止められなかった。
そんな相手は少しだけ不思議そうにしながらも、いつも通りの笑顔でさあらに向き合う。
この笑顔が嘘だとは、思いたくなかった。

「おはよ、みーちゃん」
「おはよー!ねぇ、私一回で良いから作戦室?見てみたいの!だめ?」
「え、太刀川隊室にってこと?」
「うん!だってまだ作戦室なんて入ったことないから!」

大丈夫かな、大丈夫だよね。
一瞬沸き起こる不安を振り払うように、さあらは意識して笑みを浮かべていいよ、と頷いた。
多分今は誰もいないだろうし、大丈夫。

喜ぶみーちゃんに手を取られて、そのまま歩き始める。いつもと違うその感触は、出水や太刀川、国近達と手を繋いだ時とは大違いで。心を落ち着かせるどころか、余計に心を泡立たせるだけだった。





そうして、案内した太刀川隊室の中をみーちゃんは、遠慮や緊張なんて微塵もない様子で楽しそうに歩き回っていた。
さあらが飲み物を用意している間もあちこち動き回り、さあらの見えない所で、何かを鬼気迫る様子で探し回っていた。

「あった……」

小さな声で、呟くと、みーちゃんという新人隊員はそっとそれを手に取り、そして。
自分の持っていた同じものと何食わぬ顔で入れ替えた。

彼女が取り替えたそれは、ボーダー隊員にとって、何より大切なもの。
そう。新人隊員は、さあらのトリガーを盗み、そして自分のC級隊員用の訓練トリガーとすり替えたのだった。




その日の午後。突然本部内に強い警告音がなりひびく。それは近界民の襲撃の警告音。
しかし、その警告音はいつもとは少し違った。

「数が多い!」

本部の周りに次々と開いたゲートはその数10を超え、それぞれのゲートから次々にトリオン兵が雪崩込んできている。
モニターの前に素早く陣取った国近が、眉を顰める程の数に、太刀川も、出水も、唯我も、そしてさあらも遅れることなく立ち上がり、それぞれのトリガーを起動した。

しかし。

「どうして……」
「さあら?」
「なにをしてんだ!さあら!」

換装を終えた太刀川と出水は、呆然と立ち尽くすさあらを見やる。
さあらのその手にはしっかりとトリガーが握られており、なぜ換装しないのかと二人は首を傾げた。

「違う」
「は?」
「これ、わたしの、トリガー、じゃない」

駆け寄った出水は、さあらの手からトリガーを取るとよくよくトリガーを睨み付ける。

「これ、訓練トリガーじゃねぇか」
「なんだと」

太刀川も遅れてさあらに近付くとそれは明らかに見慣れたさあらのトリガーではないのが嫌という程見て取れた。

「トリガー、ここに、ちゃんとおいてあったのに。……ごめん、ごめんなさい……私が、私が公平の言うこと聞かなかったから、私が……」

どういうことだ?と問い詰めれば、午前中にこの部屋にあのみーちゃんという新人隊員を呼んだとさあらは白状した。
それ以外の人間が室内に入っていないならば。このトリガーをすり替えたのは間違いなくその新人隊員だろう。

「……さあら」
「はい」
「そいつの武器は」
「……孤月、だと思う」
「だったらいつまでもべそべそ泣いてんじゃねぇ!さっさと換装しろ!」

いつになく、厳しい声音で、太刀川はさあらに向き直る。表情もいつも以上に冷たく太刀川はじぃとさあらを見た。

「……それともここに残んのか」
「行く、行きます」
「当然だな」

訓練用トリガーを握る手に力を込めて。
さあらは唇を噛み締め、涙を堪えて、トリガーオンと静かに換装を終えた。





換装したさあらの姿に、太刀川も、国近もそして出水も思わず苦い物を噛み砕いた気分になった。いつも自分達と同じ服を着て戦う彼女が別の隊に行ってしまったかのように見えたのだ。
C級服を着ているさあらをみるなんてもう数年ぶりだった。

「行くぞ」

改めて隊室を出ていく二つの頼もしい背中をいつもならば明るく返事をして駆け寄っただろうさあらだが、今日は静かにその背中に置いていかれないように、必死に着いていく。
自分の着ている服が彼らと違うただそれだけなのに、ひどく苦しかったし寂しかった。

「国近、このトリガーの持ち主を調べろ」
「もーやってるよー」

通信機からのしっかりとした答えに、鷹揚に頷いて太刀川達は今度こそ本部を飛び出した。




トリオン兵の群れを、本部の屋上から見下ろす太刀川隊の三人は、その数にそれぞれ眉を潜めた。とはいえ、今日の太刀川にも出水にも、その数に心が折れてやるつもりはない。
むしろ、いつもなら心躍る場面にも関わらず、出水の心はトリオン兵なんて眼中になかった。心の中にあるのは、ひたすらの怒り。さあらを傷付ける全てを、壊して壊して、二度と立ち上がれないほどに叩き壊してやりたかった。ただ、それだけ。

「出水」
「わーってますよ。さすがに、本気で俺キレてるんで……下は全部もらいます」
「じゃぁ俺は上だな」

本部の周りを這いずり回るトリオン兵は10や20ではきかない数だったが、出水はどこか面倒くさそうに、両手に最大サイズのトリオンキューブを作り上げた。そしてそのまま合成を重ね、文字通り絨毯爆撃のごとくキューブを爆発させていく。その攻撃には、敵も味方もない。全てを消し炭にする、という明確な怒りが一帯を次々に廃墟へと変えていく。

なぁ、邪魔すんなよ。お前らなんてどうでもいい。俺が叩き潰したいのは、お前らじゃない。早く消え失せろ。

「忍田さん、見てるよな」
「なんだ?」
「今日の出水、ちょっと俺でも止められる気しねぇからさ、地上にいる奴ら撤退させてくれない?巻き込まれたくなけりゃとっとと引けってな」
「……はぁ、分かった。澤村くん。太刀川隊以外全員に撤退命令を」

ボーダーの部隊が次々に本部へ向かうのを……時々はベイルアウトの光も見えるが。太刀川は屋上から泰然とした様子で見ていた。そして、地上にひしめくトリオン兵がかなりの数を減らしているのを確認して、上を見上げた。

「イルガーが5体ねぇ」
「……慶さん」
「俺が4体切る。さあら、お前も一体やれ」
「……慶さん、私訓練用トリガーなんだよ」
「分かってる。お前なら出来る」

屋上の床を睨みつけて顔を上げようとしないさあらに、無茶振りとも言える要求をする太刀川の声は、戦闘中とは思えないほど、優しいものだった。その声に、じわじわとさあらはゆっくり顔を上げた。漸く視線を合わせたさあらと太刀川。その太刀川のしょうがねぇなぁ、と言わんばかりの優しい笑みに、さあらは息を飲んだ。

「お前の実力は、俺が一番分かってる。出水よりもその点に関しては分かってる自信があるぞ。なぁ、さあら。お前は、俺が認めた、俺の、俺だけの隊員だろうが。胸をはれ。お前なら出来るだろ?」
「訓練トリガーだよ……」
「関係ない」

さあらは、見上げた太刀川の顔をじいと見つめて、手の中の弧月を強く、強く握り締めた。
『泣いちゃダメだ。今は泣くときじゃない。今は、立ち上がるときだ。私は、誰だ。私はやまださあら。私は、太刀川隊の、やまださあらだ。
いつもと違う武器。強度だって正規のトリガーとは比べ物にならない程脆い。ならば、強度は自分の有り余るトリオンで補えばいい。全てのトリオンを注ぎ込んでも構わない。戦え、戦え、戦え。太刀川隊を堂々と、名乗り続けるために』
さあらは、トリガーが壊れるギリギリまで、トリオンを流し込む。孤月しか入っていないトリガーなので、難しいことは考えない。ただ、この刃をイルガーに届かせるだけを考える。
さあらが顔を上げると、ニヤリと笑った太刀川が、二人分のグラスホッパーを空に浮かべた。
そうすれば、後は足を踏み出すだけ。
強く強く、足に力を込めて透明な板を蹴りあげれば。目標は、さあらのすぐ目の前だった。





一瞬で4体のイルガーが細切れになって地上に落ちて行った。次は自分の番だった。足の下のイルガーが攻撃態勢に移っているのを見て取りながら、さあらは孤月を構え、息を吐く。

「これ、たぶん。本部のモニターに映ってるんでしょ?……みーちゃん、見ててね。貴女がどういうつもりかは、もう知りたくないけど、これがA級1位だ……っ!」

全てのトリオンを注いだ孤月をイルガーの頭上から振り下ろす。狙うのは口の中のトリオン供給機関。既に防衛モードになってはいるが、そんな物は、一緒に斬ってしまえば何も問題はない。自分の孤月なら斬れる。それは自画自賛でも自惚れでもない。さあらにとっては純然な事実として目前にあった。





「ねね、慶さん公平」
「あ?」
「どうした」
「すごい落ちてる。たすけて?」
「は?!」

乗っていたイルガーが落ちれば当然さあらもその落下に巻き込まれることになる。本来のトリガー構成であれば問題ないのだが、さあらのトリオンは既に枯渇寸前で、元々脆いC級装備をギリギリ維持しているような状態。そしてベイルアウトのないC級装備では、落下した時点できっと換装も解けてしまうだろう。そうなれば大なり小なりの負傷は無いとは言えない。
にも関わらず、かなりの高さを自由落下しているさあらは、意外とのんびりと通信機に話しかけた。

「柚宇さん!落下地点!」
「え、えっとおっけー!座標送るよ!いずみん!」

地上でトリオン兵を殆ど屠った出水は、示された座標に急ぐ。勿論太刀川も座標に急ぐ。

「さあら!!」

二人の叫び声の中、イルガーの残骸と共に落ちてきたさあらは自分を襲うだろう衝撃を覚悟して、ぎゅうと目をつぶった。
が、あと数メートルに地面が迫ったところでさあらの身体は強い力に引き寄せられた。と同時に自分を包み込んだ匂いだけで、さあらには目を閉じたままでも相手が誰だか分かってしまった。

「ありがと、公平」
「おー。ったく、心臓にわりぃなぁもー」
「ていうか!さあら!もっと焦ってよね!あんまり普通の声だから一瞬何言ってるか分かんなかったんだけどー」
「だって、皆が多分助けてくれるだろうなぁって、思ったんだもん」

ね、当たってたでしょ。
と嬉しそうに悪戯めいて笑うさあらに、3人はまた、いつもの通り。しょうがないなぁと、肩を竦めるのだった。

「ねぇねぇ公平」
「んだよ」
「怪我してないしどこも吹っ飛んでないから歩けるよ?」
「いいから抱っこされとけ」
「はぁい」

そうと決まれば遠慮はないとばかりに、さあらは出水の体に腕を回して、しっかりと抱き着いた。そのまま絶対本部まで離れるものかと、考えながら。





そのまま本部へ戻ると国近が3人を出迎えた。そして、その国近の背後には風間の姿、と数人の新人隊員の女子がいた。
それが誰かなどは言うまでもない。一気に太刀川と出水は表情を厳しくする。絶対零度の瞳、というのが存在するとすれば、こういう視線を言うのだろうというくらいに冷たい視線。殺気すら乗ったその視線に、既に真っ青だった新人隊員達は更に体を震え上がらせた。

「こいつらが、今回の件の首謀者達だ」
「へぇ」

出水は抱きかかえていたさあらを背中に隠して、同時に太刀川は国近にさあらを頼むと視線をやる。
さあらは十分に頑張った。訓練トリガーでイルガーを落とすなんてそんな事は誰にでも出来る事ではない。だからこそ、ここは俺達がしめるところだ。と出水と太刀川は一歩踏み出した。

「なぁ、お前らも見てたんだよな?さっきのさあら」
「すげーだろ?うちのさあらは」

ギラギラと瞳に物騒な光を込めて、しかしさあらの名前を口にする時だけその表情はどこまでも甘く、うちの、と強調するように何度もさあらを呼んだ。

「お前ら新人共はすーぐうちのさあらをバカにすんだよなぁ、なぁ、なんでだ?」
「それッスよね、そもそもお前ら束になったって訓練用トリガーでイルガーを落とせる奴が居んのかって話な」
「そうだよな。でもな、うちのさあらはさ、出来んだわ。訓練用トリガーでもきっちりお前らの何倍も成果を上げるわけ」

新人隊員達は既に、それぞれが身体を震わせ、その瞳に涙を浮かべていたが、そんな物は太刀川にも出水にも抑止力にはならない。そして、周りにいる風間も、太刀川達を止めようとはせず、ただその成り行きを見守ることにしたようだった。

「ほんと、お前らさ。うちのさあらを、そんで俺達太刀川隊をなめんじゃねーぞ」

もしここで太刀川がその気ならば。新人隊員達は一瞬で切り伏せられたのではないか、と思うくらい。今まで以上の殺気や怒気を乗せた言葉に、新人隊員達は一人を除いて、床にぺたんとへたりこんだ。

そんな中唯一、堪えるように立っていた新人隊員が初めて声を上げた。

「どうして?!」
「……みーちゃん」

さあらの小さな声に、こいつがみーちゃんかと出水は奥歯で怒りを噛み砕く。何か言いたい事があるなら最後に言わせてやろうと、その間の猶予をやろうと、そしてそのあとは遠慮なく叩き潰してやる。その為に、叫びだしそうな自分を無理矢理に押さえつけた。

「さあらは言ってたわ!出水君なんてうざいって、束縛ばかりで困るって!」
「そんな事、言ってない!」

後ろにいたはずのさあらの声はすぐ後ろから聞こえて、出水はチラリと視線をやればもう既に泣きそうになっている彼女が見えて。
腕を伸ばしてさあらの身体を抱き寄せた。
そのまま背中を何度か叩いてやれば胸の中でぐすりと鼻を啜る音がした。

ああ、もう許さねぇ。

「私、昔出水君に助けられたの!だからボーダーになった!だから、これからは私も出水君たちの力に少しでもなれるように」
「黙れよ」
「え……」
「もう喋んな。お前の事情なんて聞く気はねーよ。俺はお前の助けなんていらない。俺のさあらを泣かせるような奴の助けなんて必要ない。んで、なんだっけ。さあらが俺をウザい?束縛ばかり?だから?別にさあらが本当にそう思っていようが関係ない。そんな事で俺がさあらを手放すと思ってんの?は?ああ、それとさ。さあらの事も俺の事も、名前を呼ぶ権利お前にはねぇから気安く呼ぶな。虫唾が走るんだよ」

一息で怒りのままに、言葉を並べ立てる。その言葉に自分の身体にしがみつくさあらの力が強くなったことに、こんな状況ながら心が少し暖まる気がした。

「で、そろそろ気が済んだか?太刀川、出水」
「おー、俺はもういいぜ」
「俺も、もうそんな連中に興味無いんで」

はぁ、と大きなため息を吐いた風間に問われて太刀川も出水も面倒くさそうに頷いた。十分連中は打ちのめされたようだし、もうどうでもいい。二度と自分たちの目の前に現れなければそれでいい。

「おい、お前ら。城戸司令が呼んでいる。相応の処罰があるだろうから、覚悟しておくことだ」

未だに座り込んだままの新人隊員達を、いたわる様子もなく、風間は彼女等に告げる。そうして、結構な時間をかけてノロノロと立ち上がり、よろよろと新人隊員達は体を寄せ集めながらその場から消えた。

漸く、太刀川と出水は息を吐く。腹の中でぐるぐるととぐろを巻いていた怒りやらなんやらの感情を全て吐き出すかのような重い溜息だった。

「さーて、帰るか」
「そうっすね」
「よーし帰って皆で美味しいもの食べに行こー」

何も無かったかのように、笑ってさあらを見る太刀川、出水、国近に。出水の腕から開放されたさあらは小さな小さな声をあげた。

「ごめんね、みんなごめん」
「あーもーさあらまた泣くー!」
「ったくほんとうちのさあらは泣き虫だよなぁ」
「泣きすぎてすげぇ鼻赤くなってんぞ、ぶすになってる」
「だってぇ!」

うええ、と結局大泣きしはじめたさあらを、結局いつも通り、しょうがねぇなぁ、と太刀川が抱えあげる。そして目指すは太刀川隊の作戦室。

「おら、さあら!何食いてぇか決めろ」
「うう、慶さんちで、おなべ」

ぐすぐす鼻をすすりながらも返ってきた答えについつい笑いが堪えず。気がつけば、全員が笑顔だった。



きいろい薔薇からきみをまもる


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