風野湊さん

ごあいさつ

 こんにちは、あるいは初めまして。風野湊と申します。

 普段は人物があんまり出てこない雰囲気掌編ばっかり書いております。(本当は人物と世界観をつくりこんだハイファンタジーも書きたいのですが……(;ω;`)

 創作過程などを含めて創作語り全般が大好きなので、今回、「walk the subway」の企画をTwitterで知り、いそいそと参加させて頂きました。その割に締め切りを勘違いして破ってしまったりしてソヨゴ様にはご迷惑を……申し訳ありませんでした……orz



 えと…改めて。

 お題は、「イエスタデイは君の街」をお借りしました。

 完成品を提示した後、推敲過程、下書き段階の解説を加えてゆきます。





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【完成品】



 わたしが200mlパックのオレンジジュースを飲み干すか飲み干さないかというあたりで、48629回めの、2011年8月3日0時0分になった。

 動画サイトの時報が、正確に、全く同じ文句(と宣伝)を繰り返す。48629回め。小鳥のさえずりのようだ。

 さて明日はどこへ行って何をしようか。最近はかなり遊びどおしだったから、丸一日昼寝していても良いのだけど、それもそれでつまらないかな。

 いいや。明日の朝、目が覚めたら考えよう。

 今日は良い日だったので、このまま気持ちよく眠ることにする。





 翌朝。48629回めの8月3日の朝。10時。この日、わたしの町は、晴天、快晴、朝焼けが美しい。“今日”は寝坊したから見ていないけど。

 深夜に補充しに行かなかったから、冷蔵庫の中身は8月2日のままだ。同じ材料から、微妙に変化を加えた朝食を作り、のんびりと食べる。本当は9時に出勤していないといけないんだけど、行く気分じゃないし(そんな気分には一年に数回くらいしかならないけど、まあとにかく今日は)行かない。

 さて、と日本地図とにらめっこする。最近は関西がブームだ。奈良にしよう。

 夏服を選ぶ。今日はクローゼットの中から着る。来週あたりには、また別の服を買っても良いかもしれない。いつもどおりの夏らしいメイクをして、いつもどおり、玄関に鍵はかけない。新幹線のチケットは、今日は駅でお弁当と一緒に買おう。





 クレジットカード。お気に入りの手帳。その時の気分で文庫本。携帯は年に一度くらい懐かしくて鞄に入れる(今日はいれない)。わたしの荷物はどこへ行くにもこれだけだ。

 新幹線から降りると、奈良駅周辺はどしゃぶりだった。素敵だ。一か月ぶりくらいのゲリラ豪雨。傘なんて差さずにびしょ濡れで走る。商店街の見知らぬおばちゃんが、心配して声を掛けてくれたので、笑顔で手を振る。

 そのまま一日散歩して、お気に入りのゲストハウスに宿泊し、0時を迎えた。

 わたしは儀式のように瞼を閉じ、開く。

 自宅の匂い。いつもどおり、わたしは使い慣れたパソコンの前に座っている。わたしの耳に差し込まれたイヤホンから、動画サイトの時報が聴こえてくる。48630回目の、2011年8月3日0時0分、0秒。

 さて、明日はどこでなにをしようか。片道20時間くらいなら頑張れるから、モロッコの砂漠にでも行こうかな。

 あくびをしながら、わたしはベッドに入った。











 8月4日は来ない。

 正確に言えば、8月5日が来ない。

 日本時間8月4日の午後、とあるカタストロフィが起きて、この星は(というかこの文明は)ぶっ壊れてしまうからだ。

 わたしの8月4日は、48630日前に一度だけあった。当然その時にわたしも死んだ。のだと思う。死にたくなかった。死ぬのは怖かったし、まだやってみたいことや行ってみたい場所や見たいものや聞きたいものや感じたいものが沢山あったので、わたしはどうしても死にたくないと思った。まだ死にたくなかった。

 気が付くと、8月3日0時0分に戻っていた。だが明日には死ぬのだ。死にたくなくて、一日を悶え苦しみながら過ごした。

 明日は来なかった。日付が変わると、また8月3日が来ていた。

 とりあえず、色々と悩んだり哲学したり苦しんだりしたと思うのだけど、いつの間にか慣れてしまって、わたしはずっと世界が終わる一日前を繰り返している。

 どうということはない。日常というものは、基本的に、それほど劇的な変化が起こる訳でもない、穏やかなパターンの繰り返しだ。確かに、ずっと同じ世界――たとえば、実家とか、学校とか、職場とか、狭い場所――にいたら、毎日コピー機のように繰り返される会話や仕草や出来事に発狂したかもしれないが、幸い、わたしには24時間が残されている。

 最初は読書に没頭した。部屋に積み残していた本、気になっていた作者、書店のベストセラー、古典、文学、哲学、その他もろもろ、読んで読んで読みまくった。場所は常に変えた。家の近くの喫茶店から始めて、公園、誰も知らないような道、遠い駅、遠い町、国外。そこには常に知らない人と知らない時間、知らない今日があった。そのうち旅行も趣味になった。24時間で行ける場所には限りがあるけれど、飛行機と特急列車を組み合わせれば、余程の奥地でなければ行けてしまうものだ。

 死ぬのが怖くなくなったら適当に自殺しようと思うし、日常の繰り返しの中で不慮の事故で死ぬならそれもそれで仕方ない気がする。だけど今のところ、わたしは事故に遭遇しておらず、死ぬことだって怖いままだ。

 ときどきは友人を呼びだして(あるいは作って)、夕食を共にした。くだらない世間話をすることもあったし、ごく稀には、本来なら絶対にしなかっただろう打ち明け話をすることもあった。もっと稀に、数時間限定の恋人同士になることもあった。深入りすると発狂しそうな気がしたので、人間関係は意識して浅いままに留めている。



 わたしはこの星の、2011年8月3日という広大な物語の、世界でたった一人の読者になった。たとえ無限の命があったとしても、きっと読み切ることは出来ないだろう70億近い人々の声と、けっして隅々まで味わい尽くすことはできないだろう509,949,000平方キロメートルの風景。明日の午後には本が閉じられ、全てが無に帰してしまうこの星。日常と、平和と、戦争と、幸福と、不幸と、喜びと、絶望と、全てが平穏に続く美しい物語の、最後の1ページ――の、さらに1ページ手前を――わたしは繰り返し続ける。これからも。うっかり死ぬまで。ずっと。最後のページは読みたくないので、行かない。

 

 わたしは一人きりなのだろうか?

 こんな気ちがいざたになっているのは、わたし一人だけなのだろうか?

 百年以上も五感を伴って続く走馬灯なんて馬鹿馬鹿しいし、多分わたしは“ちゃんと”8月3日という現実に存在しているはずだ。

 どこかに一人くらい、わたしと同じように平然と8月3日を繰り返す人がいたら面白いのにと思う。たまには血を吐くほどそんな人が欲しくなる。だが、そんな人はいない。多分、いない。いたとしても、たった百年の日々を繰り返したくらいでは、出会えない。



 でも、もしも出会えたら、わたしの8月3日に来てくれた誰かに、8月4日から帰ってきてくれたそのひとに、私は泣きながら口づけをして、歓喜の万歳をして、歌をうたおう。







「おかえりなさい」





「イエスタデイへようこそ」













“イエスタデイは君の街”






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【制作過程】



<推敲途中の風景>


 漢字表記のブレや、表現の重複などもちょこちょこと修正していますが、何度か手を入れた段落が3つほどあるので、今回はそちらを解説してみます。



1: 2段落目「動画サイトの時報が、正確に、全く同じ文句(と宣伝)を繰り返す。48629回め。小鳥のさえずりのようだ。」

 推敲前は、「小鳥のさえずりのようだ。」ではなく「さすがにちょっとうんざりする。」という表現でした。中盤まで書き進めたところで、8月3日を百年以上繰り返してる狂気の人が、同パターンで繰り返す時報に「うんざり」し続けるのも説得力が無いかな、と「小鳥のさえずり」に変えました。もう意味を持たないただの風景音にしか聞こえない、という雰囲気が出せていればいいのですが……。ちなみにこれはニコニコ動画の時報を想定してます。執筆中に深夜2時の時報(しかもホラー映画予告)を食らって死ぬかと思いました。



2: 前半部後ろから3段落目「自宅の匂い。いつもどおり、わたしは使い慣れたパソコンの前に座っている。わたしの耳に差し込まれたイヤホンから、動画サイトの時報が聴こえてくる。48630回目の、2011年8月3日0時0分、0秒。」

 何度か推敲を繰り返した段落です。初稿では「自宅。パソコンの前。わたしの耳に差し込まれたイヤホンから、動画サイトの時報が聴こえてくる。48630回目の、2011年8月3日0時0分。」でした。シンプルですね。

 これだと何が起こったか分かりづらいかな、ということで、「自宅の匂い」を感じたこと、「いつもどおり」「使い慣れた(自分の)パソコンの前」に戻ってきたことを強調。……できているかどうかはさておき。後半部で「8月3日」を繰り返すことが明言されるので、多少曖昧な説明でも良しにしました。前半しめくくり部分であんまり説明してもテンポが宜しくない気がしたので。

 それから。8月3日とか48000なんちゃら回めの〜的な数字は、全部テキトウです。特に深い意味はありません。語呂とか勘で。ただ、1の位までビッチリ書いておいた方が狂気とか説得力が増すような気がしたのでわざと細かくしてはありますが。

 8月2週目はコミケという最強イベントがあるので避けました。永遠のコミケとかなにそれちょっと楽しそうじゃないですかー!ぜんぜん日常じゃないじゃないですかー!



3: ラスト段落「でも、もしも出会えたら、わたしの8月3日に来てくれた誰かに、8月4日から帰ってきてくれたそのひとに、わたしは泣きながら口づけをして、歓喜の万歳をして、歌をうたおう。」「おかえりなさい」「イエスタデイにようこそ」

 「わたしの8月3日に来てくれた誰かに」は、初稿では「8月4日から帰ってきてくれたそのひとに、わたしは泣きながら〜」でした。その後、「わたしの8月3日に〜」に変更。さらに、どちらだけでもしっくりこなかったので、両方を並列させました。お題が「イエスタデイは君の街」ということで、それに合わせての調整です。

 8月3日は「わたし(だけ)の」永遠の世界です。でもそれだけでは、「イエスタデイは君の街」であることを観測してくれる誰かがいない。「わたし」以外の誰かが存在して、このタイトルは初めて成り立ちます。という訳で、「8月4日」にとってのイエスタデイ「8月3日」に帰ってきたそのひと、という二つの日付と人物を加えました。





<下書きの風景>

 完成品に至るまでに色々右往左往したので、そちらも少しだけ載せておきます。

 下書きと言うか、頂いたお題から、どんな話を書こうか構想を練り練りした過程ですね。ノートに落書きしつつぐりぐり進めたので、ほぼそのまま書き写しておきます。



「イエスタデイは君の街」

【SF系SS?】

 ◇昨日を幸せに作り直し、やり直している少女の世界

 →へ訪れる少年(青年?)「ここでは全てが上手くいったんだね」

  昨日の幻想にひきこもった少女はそこではとても幸せだ

 ◇1日だけ時を戻せる少年

 →次の能力の発動には24時間は待たなければならない

  未来へ進むことは出来ない

  記憶は少年にだけ継承される?

  24時間戻せるのか、前日の0時まで戻せるのか?

 →何か規模の巨大すぎる絶望的なものに直面して、運命の日の一日前を永遠に繰り返すしかなくなったり?

  狂気の色が強いかな? バッドエンド系?

 ◇イエスタデイテーマパーク

 →みんなが昨日をやりなおす(繰り返す?)ことが出来る世界 

【フツーの現実】

 ◇ネガティブで夢見がちな女の子、昨日しか見ていない女の子

【すこし不思議系 出来事なし雰囲気重視】

 ◇アメリカかイギリスの、「イエスタデイ」という名の架空の街。→“イエスタデイへようこそ”という看板。

  訪れる旅行者(日本人の男の子かな?)そこにはやっぱり女のコがいる。

  仲良くなって文通。For OrchardStreet,28 Yesterday, なんとかかんとか England的なアドレス。

  時差。新年のお祝いは電話で。

  「こっちは2012年になったよ」「私の街は2011年にいるよ」

  「またYesterdayへ遊びにきてね」





 以上。

 ええー……完成品の面影がほとんどありませんね。

 実は、最初は、「イギリスの架空の街イエスタデイ」の設定で、ある程度までの文章を書いていたんです。ただ、なんだか長くなりそうなのと、特に展開もなくダラリンと続いてしまいそうだったので没。この案からは、「イエスタデイへようこそ」という言葉だけ、完成品に受け継がれています。

 で。構想の一つ目と二つ目、「◇昨日を幸せに作り直し、やり直している少女の世界」と、「◇1日だけ時を戻せる少年」から、それぞれ断片を切り取り、繋ぎ合わせたものが、今回の完成品になりました。









♪おわりに……

 普段は無意識に進めている推敲過程を振り返ってみるのは、自分が見過ごしていた風景を眺めなおすような、とても新鮮で楽しい時間でした。他の参加者さまの作品と製作風景の線路を歩くのが今からとても楽しみです(・ω・*)

 「walk the subway」を企画してくださったソヨゴ様、素敵な機会とお題をありがとうございました!(´ワ`*)





風野 湊

Twitter@feelingskyblue

http://feelingsky.web.fc2.com/index.html


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