カシスソーダ(3)


「今日は、どうだった?」
「今それ聞くか?」
「あれ、いけなかった?」
今日のメインイベントは終わった。この場面で聞くのが、彼女にとっては悪いことなのだろうか。
「いけないことはないさ。ただ、まだ一日はこれからじゃないのか、ってな」
「これから……」
「これからだよ。日が沈んでからが、本当の恋人達の時間だと思うけど」
「ロマンがほしいのか?」
「悪いかい?」
「いや、君らしくていい」
人々の数は昼間より少ない。階段に座ると、海風が吹き抜けていく。
地平線に太陽の先が触れた。海面にその姿を滲ませながら、地平線へと吸い込まれる。やがて訪れる夕闇。
それらを無言で見ていた。心なしか頭がぼうっとするような感覚がする。女性にしては背が高めの、彼女の肩に身体を預けるようにした。
普通は逆かもしれない。でもそれでいい。それが僕たちの愛の形なのだから。
「疲れたのか」
「んー、なんか、酔った感じかな」
「この景色にか? ああ、それとも僕に?」
「両方、だと言ったら」
「それでもいいさ」
見えるようになってきた星々を繋げる。華やかな光の競演。しかしそれは気の遠くなるほど昔のもので、今この瞬間に存在しているかどうか分からない。だから人々は彼らにロマンを追い求めるのだろう。
そしてそのロマンを、僕達は自分達に重ねるのだ。

それから横浜に寄って、ご飯を食べて、そして蒲田に戻った。今日は彼女も一緒だ。
気分がいい。雰囲気に酔った上に、酒も入っている。でも明日は仕事だ、帰ってからは早めに布団に入りたい。
「今日は楽しかったよ」
「……せっかく僕から聞こうと思ったのに」
明日の朝ご飯のパンをスーパーで買ってから、マンションの自室へ。鍵を開けて、入って、靴を脱いだ、その瞬間。
視界が歪んだ。



ふらり、と傾いた彼の身体を、とっさに抱えた。落としたスーパーの袋の中身は、多分大丈夫。そしてそのまま、額に手を当てると、伝わる尋常ではない熱さ。
――ほうら、見ろ。
昼間からおかしいとは思っていた。だけど言わなかったのはあえて。
「……あれ、どうしたの、僕」
「君ねえ、熱あるんじゃないの。おでこも手も熱いよ」
「うそっ」
「嘘じゃない」
袋を左手で拾って、反対側の手で彼の手を引いて行く。リビングの電気を点けて、ソファに座らせて体温計を差し出せば、怪訝そうな顔をしながらもそれを脇に差し込んだ。
「そっちがやたらぼーっとしたり、考え事したりしてる時は大抵体調が悪い。しかも気分が良い時は体調に鈍くなる。2年間一緒に過ごして分かったことだ。ちなみに弟にも裏をとった」
彼の右隣に座りながら、これまでの経験と今日のことを重ねる。彼は顔を苦くした。
「そこまで見てたの。それより、いつ気付いた」
本当に自覚していなかったらしい。
「疑ったのは午前中から、確信に変わったのは、夕方ちゅーされた時からかな。手と唇がやけに熱いと思ったんだよ」
顔がごまかしようがないほどに赤い。
「何で言わなかったの」
「君のプライドのためだよ。具合悪いから帰りますって、君は言えるか?」
「……言えないね」
「だから黙っていたんだ。指摘して自覚して、帰るのも一苦労だと困るのもあったけど」
高い電子音が鳴った。引き抜いて液晶を覗き込むと、うわ、と言う小声。
「38.6度……」
「すぐに寝たら? 顔洗って」
「はあい」
その表情は気だるさを滲ませながらも、どこか楽しそうで。
彼は並の人間と比べると、少々体調を崩しやすい。その度に自分が看病をしている。しかしその時間が、彼と過ごす貴重な時間の一部になっている、というのも事実だ。そのことがひどく愛おしいと感じられてしまう自分は異端だろうか。もしかしたら、彼も同じように思っているのだろうか。

彼がやることを終え、寝巻きに着替えてベッドに潜り込むと、自分はそばに眠るまでいてやる。
「美紀」
「なあに?」
「ごめんね」
「謝らなくてもいいよ」
枕元に、冷蔵庫にあったスポーツドリンクと、携帯電話。ベッドについている、オレンジ色の光。握っている手は、ダイレクトに体温を伝えてくる。
「あはっ、それもそうか。ああ、でも、やっぱり」
そう言えば、幸せそうに表情を蕩けさせて。
「僕、美紀がいないと生きていけないや。いつも世話ばかりしてもらって」
その言葉に、胸がかあっと灼けるような心地がした。顔が火照ってきて熱い。目覚まし時計の秒針が聞こえなくなる。
「君……こっちまで熱が出そうなこと言わないでよ」
顔を背けた。こんなに赤面するのはいつぶりだろうか。
「かわいい」
「うるさい」
自分は彼を照れさせるのは得意でも、自分が照れさせられるのには、いつまでたっても慣れない。そもそも誰かとここまで深い仲になったこと自体初めてなのだ。
一つ、深呼吸をして、再び彼を見た。


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