カシスソーダ(2)


コーヒーと紅茶が運ばれてくる。僕はコーヒーにミルクを、彼女は紅茶にたっぷりの砂糖を。
「入れ過ぎだろ、それ」
「甘くしないと飲めないんだよ」
ティースプーンでかき混ぜる仕草が優雅に映るのは、僕がそんな目で見ているからなのか。

しばらくは近況報告が続いた。
仕事の話に、大学の同級生の話。もう30歳だ、結婚や子供がいるという話も出る。
「自分も早くしたいんだけどねえ」
彼女の、明るめの茶色の目が細められる。
「相手いないの?」
「好きな人は、いるんだけどね」
――え。
心臓が跳ねた。別に、自分のことだと言われた訳ではないのに。重症だ、これは。
しかし同時に、かすかな希望が芽生える。その相手が、自分かもしれないと。
根拠はある。学生時代、授業が同じ時、いつも向こうから、僕の近くに座ってきていた。だから少し、期待してみる。
「それ、僕の知っている人?」
「気になるかい?」
僕の目を見て言ってくる。その視線があまりにもまっすぐだから、心の奥底まで射抜かれそうな心地になる。
「気になる」
動揺を悟られないように、声を落ち着かせる。
すると彼女は、ダージリンを一口飲んで、息をはいた。
「……君だよ」
耳を疑った。彼女からみた『君』、とはつまり僕、自分。ということは、つまり、僕が好き、なのか。つまり、両想い。
それに気付いた途端、彼女を直視できなくなり、顔が急に熱くなるのを自覚した。胸も締め付けられるような感覚に襲われる。
まずい。嬉しいのに、恥ずかしい。落ち着かなければ。深呼吸をひとつして、意を決して顔を上げると、彼女も頬を赤らめて、微笑んでいた。というよりも、企みを含んだような笑い。
「どうした、顔が真っ赤だぞ?」
「そ、そっちも、だろ」
「知ってるよ。ああ、もしかしてあれかな、両想いだったりして」
「……そうだよ。僕も、好きだよ。椎名のこと」
ああ、かっこわるい。言わされてしまうような格好になってしまって。
すると彼女は、ゆっくりと息をはいて、前のめりになってきた。そして、僕の左手に、その右手で触れて。
「じゃあ、付き合ってみるか?」

それが、僕の恋物語の、2回目の、本当の、始まりだった。
付き合って半年で、彼女は僕のマンションに時々転がり込むようになった。
彼女が東京で仕事を始めて、今もそれは変わらないのは、風の噂で聞いていたが、なんと彼女も大の鉄道好きだというのは初めて聞いた。ちなみに乗り鉄をメインに、広く浅くやってきたという。当然気が合った。
そして、真剣に交際を初めて2年。実は京急で横浜より先に行ったことがないという彼女を連れて、南へ、南へ。
家族の思い出の一つである水族館――油壺マリンパーク。そういえば、就職してからは一度も来たことがなかった。
そこは、思い出の中のままだった。でも隣にいるのは、父と弟ではなく、恋人。そのことが、時の流れをひどく実感させた。
「どした? ぼーっとして」
「いや、ちょっと昔を思い出して」
「ああ、ここの生まれなんだっけ」
「もう少し北の方だけどね」
歩みを進めた。入場料を払って、中へ。伸びて来た手にも応えた。
数々の水槽を、焦ることなくゆっくりと見て回る。
素早く泳ぐ魚、ゆったりと泳ぐ魚。動かない生き物もいる。
「水族館でデートなんて、夢だったなあ」
「そうなのか?」
「そうだよ。なんとなく、憧れていた。海が好きでな、だからそこに、大海原に生きる、魚達にも憧れていた……そこに君と来られるなんて、本当に幸せだ」
彼女の生い立ちを、僕は全部彼女から聞いて知っている。厳しい母親と、緩い父親との間の板挟み。学校でいじめにも遭った。そして両親は離婚。だから東京に一人で来て、ようやく解放されたような気持ちになった、と。
僕は彼女の手を一層強く握った。離れてはいかないと分かっていながらも、そんな気持ちになったのだ。彼女は僕を見た。
「僕も幸せだよ。一緒にいられて」
「それは何より」

夕方になった。友人用にお菓子、自分と彼女にはお揃いのキーホルダーを記念に買ってから海辺に出ると、夕日がちょうど、地平線の下に沈んでいこうとしている。
「これは初めて見るなあ」
「あれ、そうなの?」
「実はな。こんな時間にこんなところに立つなんて、特別な時でもないとしないでしょ。海辺に住んでいない限りは」
「それもそうか」
左手はがっちり握られている。いつもより少しだけ速い感じがする心拍数も、今はかえって心地よい。


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