卒業


今年の東京の桜の満開は早かった。大学の卒業式の日にすでにほぼ満開だなんて、これまでの人生でも聞いたことがない。
僕は家を出る前に、スーツの上着の内側のポケットに、あるものを忍ばせているのを再確認する。
――大学生、いや社会人目前になってなお、こんなことをするとは。
自分で自分に苦笑い。しかし、学生時代は、これで終わりを迎える。その最後に、卒業式以外でも、学生らしいことをして締めくくるのもいいじゃないか。

他の学部との卒業式の後、学部の、クラスごとの卒業式が行われた。立派な卒業証書を見ると、ようやく実感が湧いてくる。卒業論文の表彰は逃したが、親友の一人が受けていた。あいつ、就職も超一流のIT企業なんだよなあ、すごい。
それから、友達と飲みに行く約束をしていたが、僕には向かわないといけない場所があった。
サークル棟の一番奥。外階段。今日は授業はなく、卒業生以外の在校生は、サークル活動をする人だけ出入りを許されていた。
その階段に出る手前のドア。横の壁に、その人は立っていた。手に小さな紙袋を持って。廊下には、他の人の気配はない。
「先輩、ご卒業、おめでとうございます。あの、これ、私からの……」
俯き加減で、両手でその紙袋を持って、僕に差し出してきた。受け取ると、小さな箱が一つ、中に。
「わざわざ、ありがとうね」
「いいんです。私が、やりたかっただけなので」
眼鏡をかけた、僕より少し背丈の低いその人の頬が、赤くなっているのを僕は見逃さない。僕は黙ってその人を抱きしめた。
「……先輩」
「うん」
「離れても、好きでいてくれますか」
「僕が君を嫌いになるとでも」
「そうですよね」
僕は田舎に帰って就職する。本当は東京にいたいのだが、家業を継ぐ運命(さだめ)なのだ。
だが、それはこの人を手放す理由にはならない。そのことごときで、簡単に冷める愛ではない。
「また、休みに逢いに来るよ」
「待っています」
可愛い可愛い、僕の後輩。身体を離して、ポケットに入れていたものを渡した。
「ボタン、ですか?」
首をかしげる、その動作一つさえ愛おしい。これが恋の魔力なのか。
「僕の、このスーツの予備のボタンだよ。スーツは、第二ボタン、あげられないから……」
あれ、何だか、急に恥ずかしくなってきた。青春の一ページの模倣。そうか、だから恋の代名詞、だなんて言われるのか、第二ボタンは。
後輩の顔は、ぱあっと輝いていた。それだから、余計に。
「ありがとう、ございます。大事に、持っています」
僕は幸せに満たされていた。周りを見て、改めて誰もいないことを確認して。
ゼロになる距離。好きで好きで好きで、溢れる想いを、全部、君に。

急いで友人らとの待ち合わせ場所に向かう。僕が最後だった。紙袋は鞄に隠してある。
「遅いぞ、清水」
「悪い、ゼミの教授に捕まってたんだ」
「なあんだ、それだったら連絡くれよ」
「悪かったって」
「まあまあ、早く行こうぜ」
空は夕焼け、カラスが目の前を横切る。
こうして一つの物語が終わって、そこからまた、物語が始まるのだろう。


(2018.3.26)


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