昼食後、澪は検査に行った。俺は昼間、主治医からの許可が下りたので、三日ぶりにシャワーを浴びた。
 その日の夕食前から、澪のスペースには、妻と二人の子供が集まっていた。開けてもいいだろうに、そのスペースがカーテンで閉じられているのは、子供の声を気遣ってのことのなのだろう。そう思えば、「あのね、あのね……」と何かを話したくてたまらない子供の声や、宿題をしているらしく、「この問題が分からない」という声。俺は子供は嫌いではないが、気にする人は気にするのだろう。
 俺のところには、誰も来なかった。食事の少し前、携帯電話の使えるスペースでSNSを確認すると、今日は彼女も、彼女の夫も行けないと連絡が入っていた。
 一人で完食した後、食器を下げてもらって、歯磨きとお手洗いをさっさと済ませた俺は、すぐに横になった。向かいは食事の後、おとなしくなったが、今日も面会時間ぎりぎりまで引っ張っていった。
 消灯後、すぐには動かなかった。澪もこちらに来ない。看護師の巡回があるからだ。
 寝落ちする心配はあまりしていなかった。俺は元々寝付きが悪い。消灯から三十分してやっときた看護師が、カーテンを開ける気配を感じても、まだ寝付いていなかった俺は狸寝入りをしていた。
 それからもう五分待ったが、澪は来なかった。昨日のように、俺の隣に別の入院患者がいるのを気にしているのだろうか。俺はそう思って、ゆっくり起き上がって、スリッパを履いて、そっと点滴台を転がしながら、自分のスペースを出て、あいつの閉まっていたカーテンを少しだけ開けた。
 澪は上体を起こしていた。窓のカーテンは閉めていない、外から月明かりが入っている。点滴は外れていた。右手で俺を手招きしてきたので、それに従った。
「来ると思ったよ」
「待ってたのか」
「僕は約束は守るよ」
 昼間とは逆に、俺がベッドに腰掛けた。
「もう、点滴はいいのか」
「とりあえずね。検査入院だから、本当は打たなくても良かったんだけど、疲れてたし、少し具合も落ち加減だったから、僕の希望でしてもらってただけだよ」
「ああ、そういうことだったか」
 確かに、時々咳き込みはするし、慢性の病気ではあるものの、俺よりは体調はまだいいのだろうと感じていた。
 俺は左手で、澪の、俺より一回り大きい手に触れた。指輪はない。昼間と同じように、温かい。冷え性気味の俺とは違って。
 すると、澪はもう片方の手を、その上に重ねてきた。
「この方が、あったかいでしょ?」
「……まあな」
 ああ、また、幸せを感じて、泣きそうになる。昼間はあんな話をしていたが、俺はこいつの、さりげない優しさにも絆(ほだ)されていた。
「……翔」
「なんだ」
 俺があいつに顔を向けると、あいつは下を向いて、俺の手の上に添えたそれを、ぎゅっと握った。
「僕、明日の結果報告で、悪くなっていなかったら、退院するんだ」
「え、もうなのか」
 そう言ってしまってから、はっとした。まるで、行くな、とでも言っているようじゃないか。身体に問題がないなら、退院するのは当たり前じゃないか。俺に、引き留める権利はねえってのに。
 俺が次にどんな言葉を、失言を取り消すために使おうかぐるぐると考えていると、澪はクスクスと笑った。
「何がおかしい」
「いや、僕がそういうことを言ったら、そんな風に、暗に『行くな』ってことを言ってくれるかと思ったら、本当にそうだったもんだから」
 顔に熱が集まるのを自覚する。こいつには、言葉や駆け引きでは勝てないと確信した。
「お前なあ……」
 俺が目を合わせられないでいると、右手を離して、俺のあごに添えてきた。デジャ・ヴュ。
 俺は身体を寄せて、左腕で彼の身体を包んで、それに応えた。澪の腕も、自然と俺の背中に回る。軽く触れる程度から、昨日と同じように、唇を貪られて、俺も貪り返して、一度離して、今度は俺の方から深い口づけに持っていく。
「ん……」
 俺もそんなキスには慣れていた。上あご、歯茎をなぞり、そしてその舌と自分のそれを絡ませる。それからまた、上あごを。
「っ……」
 弱いのか、ここ。速度を落として、ゆっくりと刺激すると、背中に回された腕に力がこもるのを感じた。
 唇を離して、息を整える間に咳をする。あまり大きくても目立つので、できるだけ控えめにして。
 それが収まって、あいつの目を見ると、目が、昨日以上に、色を湛えている感じがした。
「腰、砕けたんだけど……」
 え、キス一つで腰砕けか。俺の方に身体を預ける格好になる。
 こいつ、自分からぐんぐん行くばかりだと思っていたが、そういうことをされると、結構弱いのか……?
「責任、とってよ」
 それは演技ではなく、本心で、弱々しく言っているように聞こえた。声や言葉ばかりではなく、潤んだ目や赤くした頬という証拠もある。
 あるいは、最初からその気だったのかもしれない。
「……本気か?」
「君に対しては、最初から本気だよ」
 さて、どうするべきか。その様子に、こちらの下も興奮し始めているのも事実だ。暗くて見えにくいが、彼のそこも、少し持ち上げられているように見えた。
 それに、退院してしまうということは、しばらくは会えなくなる可能性が高い、ということでもある。
 だが、ゴムやローションは当然持っていない。そもそも、この人に男性経験があるかどうかも分からない。いや、でも、それでもできることはあるか。
「何を迷ってるの? 据え膳だよ?」
「いや、その……お前は、男と、そういうことしたことはあるのか?」
「ないよ。ないけど、そういうこと、してみたいという気持ちは、ずっとあって……自分の、いいところ、色々触って、知ってるし……」
 右手を口元に当てて、恥じらいの態度を見せられる。ああ、我慢と迷いの糸を切られちまった。


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