澪は俺の手を、少し力を込めて握ってきた。俺も目を閉じて、その温もりに集中する。緩やかに上がる心拍数。
 初めて、両思いというというものを体験している。これが幸せか、幸せなんだろうな。あんなひどい話を聞いた後なのに、いや、逆に聞いて受け入れたからか。幸せすぎて、どうにかなってしまいそうだ。
「……何で泣いてるのさ」
「え」
 目を開けると、また、その整った顔が、近くに来ていた。それから、自分の頬に流れるそれを認識した。
「……何でだろうな。初めてだからか――」
「初めて? 何が?」
「いや、家族以外で、一緒にいて幸せと思える相手と、こうしていることが……」
 俺は珍しく、自分の心情を素直に吐露していた。普段は、そんなこと、ほとんどねえのに。
 目を閉じた。ベッドの擦れる音。
「僕も、初めてだよ。女の子とは、何人か付き合ってみたことはあるけど、初めて、本気で、恋に落ちた気分だよ」
 抱きしめられた。俺も抱き返す。やがて頬に、柔らかいものが降ってくる。
「お前は、積極的なんだな」
 あいつの服の匂い。初めて、というより、最初からここに還る運命だったのか、とも思う。全身で感じる温もり。あいつの少し早い鼓動。流していることに気付いてしまった涙を堪えきれないでいると、背中を撫でられる。
 頭上から、鼻をすするのが聞こえた。彼も、澪も、幸せに泣いているのだろうか。
「僕はそういう人間だよ。何事も、自分から動いて、捕まえにいってた。でも、それで幸せになったかと問われれば、必ずしもそうではない。初めて、幸せを捕まえられた気をするから……」

 どれだけの間、そうしていたかは分からない。部屋の扉が開いた音に、俺達は我に返った。隣の患者が帰ってきたようだ。枕元のアナログ時計は、十二時少し前を差していた。
「○○さん、もう少ししたらお昼ごはんですからね」
 看護師がそう声をかけて、病室を出た。
「じゃあまた、夜に」
「……ああ」
 初めて、俺からキスをした。名残惜しく離れる唇、そして身体。俺の身体に残る温もり。
 離れたくなかった。カーテンを開けて、俺の領域を出て行く後ろ姿に、酷く胸が締め付けられる。
 三十五歳。俺は初めて、本当の恋を知ってしまったのかもしれない。


(次回、一部R18となります)

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