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 次の日、僕は会社を定時に上がったあと、妻に上司と飲む、と嘘をついて、一人で牛丼屋でさっと食べた後、会社と家の中間にある駅で降りて、適当なカフェに入って、ノンカフェインのジュースを頼み、一番奥の席に座った。
 大きめの仕事用の鞄には、いつもの仕事道具や薬などとは別に、一冊の分厚い本を入れていた。それと、新(さら)のノートと真っ白い紙、筆記用具をテーブルの上に広げる。
『グリモワール』
 日本語に直訳すると、魔術書。小学生の頃、住んでいた家の書斎で見つけ、「誰かに読んでいるのを見つかったら、きっと叱られる」と思って、家族の目を盗んで、こっそり読破したもの。
 日本語以外の、英語でもない、フランス語でも、中国語でも、朝鮮語でもない、僕にとっては未知の言語で書かれているにも関わらず、なぜかその内容はすらすらと頭に入ってきた。その感覚に夢中になった。
 そして、家を飛び出すときに、書斎にあった膨大な本の中から、それだけを抜き出して持ってきた。
 結婚してからは、用もなく、一度もこの本を開いていなかったけれど、ここ一、二ヶ月、そして昨日のことを思っていると、この本を活用しようという考えが浮かんだ。
――打てる手は、打っておきたい。
 このまま終わるのはいやだった。だから、二つの魔法を組み立ててみよう、と。
 一つは、延命の魔法。少しでも長く、この生身の身体で、翔を愛せるように。もう一つは、万が一の時のためのそれ。
 昨日、病気の発作と同時に、不安の発作もを起こした後、家に帰り、布団に入った後、「死後、魂はどこに行くのか」ということをずっと考えていた。僕は魂の存在を信じていて、魂と身体は別物だと思っている。だから、身体がその機能を停止したあと、もう動かない身体にいられなくなった魂は、きっと身体から抜け出る。でも、具体的に、自分の魂はどこに向かうのか、ということは、正直、今まで考えたことがなかった。
 先人達が考えた、あるいは想像した魂の行き先をリストアップしてみる。キリスト教やイスラム教でいう、天国と地獄。仏教の極楽浄土や、『往生要集』に出てくるような(実はこれは大学の選択授業で興味を持ったので読んだ)、様々な種類の地獄。だけど僕は無宗教。そういう知識はあっても、自分のこととしては考えてこなかった。
――でも、もし、その行き先を自分でコントロールできるなら。
 そんな考えがふと浮かんで、それに紐付けられていたかのように、『グリモワール』の存在を思い出した。
――ああ、でも、翔と離れるのは嫌だなあ。魂をこの世界に留められる術(すべ)はないのだろうか。
 そんな考えがぐるぐると巡って眠れず、妻と共に寝る布団から、妻が熟睡しているのを確認して抜け出して、『グリモワール』を引っ張りだし、それと他に必要そうなものを、まだスペースに余裕のあった仕事鞄に突っ込んで、今日の行動の算段を立てた。そして、今、ここにいる。
 どんな内容が『グリモワール』に記されていたかの記憶は、まだ微かにあった。索引も見ながら、候補となる項目をノートに書き出して、どれとどれを組み合わせれば、僕の望む術(じゅつ)が得られるかを考える。
 魔法を考えたところで、自分に扱えるのか、という心配はあまりしていない。こういうものは、信じれば用いられると思っているから。
 それに、僕の両手には、おびただしい数の十字架模様がある。僕はそれを頼りにしようと思っていた。


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