18


 ポケットに手を突っ込んで、横に長い階段の真ん中を降りていく。時々、立ち止まって、澪は写真を撮って。雲が少しずつ切れ始め、青空がその隙間から見えてきた。
「翔は、景色の写真、撮ったりしないの」
「俺達は毎年来てるんだ。撮っても見返さねえしな」
 そもそも、どんなに特別なところに行って、写真を撮りまくっても、発掘されるまで見返すこともない。外出好きなこの家族が、毎年行くようなところなら、尚更。だから、二回以上行くような場所は、二回目以降は、余程心を動かされたとか、イベントがあったとか、そういうことでもない限り、写真を撮ることはない。
――まあ、こいつのことは、こっそり隠し撮りしたりしてんだけどな。
 それは、俺のことを、美形だの、可愛いだのと言ってくる澪も同じかもしれない。でも、お互いに、『写真に撮られるのは嫌いだ』と確認したのだ、ばらさないのがお互いのためだ。それ以前に、ばらす気もないが。
「――あ、あれ?」
 一番下に近づいたところで、澪が何かを指さした。そう、俺が見せたかったもの。
「そうだ。さっき通ってきたトンネルを掘った機械の一部だ」
「へえー。うん、好きだよ、こういうの」
 マスクで口元は見えなくとも、彼の目は輝いているようだった。また、携帯電話を構えて、熱心に構図を考えながら。
 彼の職業は、理系、工場で働く裏方だった。パソコンでプログラムを組んだり、管理していたりしているという。それだけではなく、機械の仕組みそのものにも興味がある、と言っていた。だから、こういうのは喜ぶだろうと踏んでいた。
「すぐ側まで近づけるぞ」
「写真、撮ってからね」
 写真撮影に一通り満足すると、両手をポケットに入れていた俺の左腕に、その右腕を通す。それから、その右手を、彼自身の茶色いコートのポケットに。
「一緒に行こうよ」
「ん」
 機嫌がいいらしい、どこかで聞いたことがあるような、ないようなメロディーを、あいつは鼻で歌い始めた。
 俺は、澪が心から楽しそうにしているのを見て、これでよかったんだ、と自分に言い聞かせた。
 彼が言う、彼の「法的な家族」と団欒(だんらん)をしている時の、彼の表情は知らない。演技が得意だ、と言うから、笑顔でいたくない場面でも、笑顔を作ることはきっと得意なのだろう。
 今は、その貼り付けた笑顔ではなくて、自然な感じでいるのだと思う。大好きな俺と腕を組んで、一緒に歩いて、鼻歌まで。
――帰したくねえな。
 ずっと、俺の側で、穏やかな表情でいてほしい。本当の「自分」を出せないであろう家に、帰したくない。
「君といると、帰りたくなくなるね」
 ああ、まただ。また、俺の思考を読んだのか。
「じゃあ、今日も泊まっていくか?」
「それができたらいいね。でも」
 澪は、オブジェとなった、掘削機のカッターの数メートル手前で、足を止めた。そのオブジェを、じっと見つめたままで。纏う雰囲気が、少し変わったような。
「でも?」
 うーん、と、喉の奥から、考えるような声を出したかと思ったら、また歩き出した。纏わり始めていたマイナスな空気が、一気に霧散する。
「……やっぱいいや」
「んだよそれ」
 その態度が、少し気になったが、雰囲気が悪くなると思って聞くのをやめた。
 澪は相変わらず、俺と腕を組んだまま、説明書きを熱心に読んでから、カッターの観察を始めた。俺には話しかけてこないが、好きなようにさせておく。
 中のコンビニで、外に出る前に買った、暖かいレモネードを一口。打ち付ける海のさざ波に、耳を傾ける。
 俺は、海なら、夏より冬のそれが好きだった。夏のきらびやかなそれは、俺には眩しすぎる。冬の、やや荒々しい姿の方が、俺は親しみやすいと感じていた。
「うん、もういいよ」
「中に入るか」
「足湯に行こうよ」
「そうするか」
 右手首の黒いアナログの腕時計は、三時四十五分。三十分も外に出ていた、これ以上身体は冷やしたくない。
 階段を上り返して、最初にコーヒーを飲んだ四階に戻る。マスクを外して、足湯のコーナーに行くと、席は大体埋まっていて、ちょうど一番端に、二人分の座席が空いていた。一人がけの椅子を、端から二番目の澪は、俺の方に近づけてくる。
 靴と靴下を脱いで、ジーンズとその下に履いている保温用の薄手のズボンをたくし上げた。ただでさえ冷え性なのだ、すっかり冷えた足を、湯気の立ち登るそれに入れると、じんわりとその温もりに包まれる。
「あー、極楽」
「おっさんくさいぞ」
「いいじゃん、三十代後半は、もうおっさんの入り口だよ。君は全然、そう見えないけど」
 それは、遠回しに俺を褒めてるんだろうな。だんだん慣れてきた。
 お互いに、手袋を外した手を重ねる。冷たいから、と、俺の上に乗せてきた澪は、カイロを上着のポケットから出して、俺の手の甲とあいつの手のひらで挟んだ。
 窓の外では、冬の荒々しい波が、一波、また一波と、このパーキングエリアに打ち付けているらしい。それに対して、目の前の熱く穏やかな波は、先程まで、そんな寒々しい光景の中の一部でいた俺達を、ゆっくりと温める。
 カイロで、手も温められるが、何だが物足りない。その原因は、すぐに分かった。
「カイロでこうする必要、あるかよ」
「え? 手、冷たいでしょ」
 おいおい、そこは分からないのか。散々俺を口説いているこいつが。
「……なくても、直接手を重ねたらいいだろ。居心地が悪い」
「だろうね、僕もそう思っていたところだよ」
「ほんとかよ」
「そうだよ」
 あいつはカイロをポケットにしまった。そして、直接、その熱が、俺に分け与えられる。
「そうだね、この方がいい」
「だろ?」
 そう言って視線を合わせると、物欲しそうな目をしているような気がしたので、俺は目を閉じた。
 降ってくる、優しい一瞬。人の目があることも忘れて。恋は、盲目。
――好きだよ。
――はいはい、俺もだ。
 もう、寒いとは感じなかった。こんな穏やかな時間が、永遠になるようにと願わずにはいられなかった。


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