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 それでその場は収まったので、歩いて五分のところにある、少し高めのハンバーガー屋に入った。高いけれど、良い材料を使っているので、格安チェーンより遥かに美味しくて健康的だという。
 ハンバーガーを一人一つずつ―僕はチーズバーガーにして、それと、オニオンフライとチキンナゲットを二人前ずつ。
 日曜のその店は、家族連れで賑わっていて、席を確保するのに失敗したので、持って帰って食べた。
「あー、生き返る!」
「お疲れ」
 翔の妹の旦那―誠次も、僕と同い年だった。それを知ってからは、普通にため口で話している。
「出張中、ずーっとコンビニ弁当ばっかだったからさあ。ちゃんと美味しいもの食べると、なんか、ちゃんと生きてるって感じになる」
「隣に可愛い彼女がいると、なおさらでしょ?」
 僕と翔の向かい、彼の隣に座る真緒がそう言うと、彼は笑って、人差し指で彼女の頬をつついた。
「人前でけしかけんなっての〜」
「だから大丈夫だってえ」
 向かいに座る夫婦は、あからさまにラブラブな雰囲気で、僕達にハートを振りまく。少し前、病室でおとなしくしていたのとは大違いで。僕は、隣で両手でチキンバーガーを頬張る翔を見た。
「……あれが通常運転だ。慣れろ」
 それだけ言って、またチキンバーガーに視線を戻して齧り付いた。今は僕といちゃつく気分ではないらしい。
――まあ、らしくはないか。
 僕も別に、目の前の夫婦のように、わいわいと騒いで、愛を相手と交わそう、という人間ではない。いつもは少しそっけないようでいて、実は燃えるような恋の炎をその胸の内に秘めているタイプなのだろうと、翔に恋をしてから、自分の恋愛傾向をそう分析している。そして、翔も似たようなタイプだろう、むしろ、彼の方が、僕より愛は重いのでは、とも。
――だって、所有の証を、無意識に付けてくるんだからさ。
 チーズバーガーの最後の一口を放り込んで、咀嚼しながらそこに意識を向けると、ちりっと、その部分に熱を感じる。昨日の情事を思い出しかけて、お茶でそれを押し込む。
――それを許して、咎(とが)めない僕も大概だけど。
 チキンナゲットを手で取って、バーガー屋でもらったケチャップにそれをつけた。

「じゃあ、八時半までに海ほたるを出るのでいいね」
「うん」
 食後、僕達は真緒の趣味だという、赤い車に乗り込んだ。真緒が運転して、助手席に座った誠次は、相当疲れていたらしい、出発してから数分で、船を漕ぎ始める。彼の後ろに僕が座り、その横に翔がいる。
 本妻の言う『遅くなりすぎないで』のラインは、十時。それまでに街に戻ってきて、僕の家から適度に離れたところで、僕を降ろすという計画だ。だから、僕の私物も、すでにすべて車に積んである。
「音楽でもかけようか」
 信号で止まった、運転席の彼女が言う。
「誠次が寝てるでしょ、大丈夫なの」
「いいさ。この人は別に、気にしやしないよ」
 その赤信号は長いらしい、彼女はすぐに、助手席の前の物入れを開けて、適当なCDを引っ張り出した。ナビを操作して、その中身をその裏に飲み込ませたところで、ちょうど青に変わる。
 聞いたことのある、でもそれとは少し違う感じのメロディーが流れ出す。
「映画音楽のジャズアレンジのやつだな」
 翔はそう言う。機嫌が良いのか、鼻歌を歌い出した。
「うち、大学まで、吹奏楽をやっててね。こういうのが好きなんだよ」
「あ、そうなんだ。何の楽器をやってたの」
「アルトサックス。学校のを借りてたから、卒業してからはめっきりやらなくなっちゃってね。一緒に演奏してた同級生も、今連絡がつくのが何人かも分からない」
 懐かしいねえ、そう思ってしまう辺り、年を取っちゃったか、と彼女は笑いながら、高速道路の入り口の坂道を登る。
「そういや、翔は、学生時代、何かしてたの?」
 彼の趣味が、図書館通いというのは聞いている。でも、学生時代の話は、お互いにしていなかったように思う。
「今とあんまり変わらねえよ。適当に本を読んだり、自分でも書いたりして、それを批評するようなとこにいたな」
「え、君が小説を書いていたりしたの」
「今もあるぞ。高校の部活で作った文芸誌が残ってる、また貸してやる」
 へえ、読むだけでは無くて、書く趣味もあったとは。それはちょっと、覗いてみたくなる。物語そのものへの好奇心だけじゃなくて、彼の考え方を、もっと知りたい、という意味で。
「今は書いてないの?」
「いや、ちまちま書いてる。サイトもあるぞ」
「早く言ってよそれ」
 チャットで、彼のホームページのアドレスを送ってもらった。でも、車酔いが心配だし、何よりせっかく隣にいるのだ、読むのはまたにしておく。
 誠次は船を漕ぐのを止めて、いびきも立てず、すやすやと寝ている。車は湾岸エリアにはいり、レインボーブリッジを渡る。
「澪は、海ほたるに行ったことがあるかい」
 また、彼女が話しかけてくる。音楽は、僕も見たことのある、青春映画のテーマソングがかかっている。
「いや、ないね。そもそも、ドライブ趣味者じゃないし。僕も、彼女もね。お台場は子供が行きたがったから、電車で連れて行ったことがあるけど」
「おや、そうか。海ほたるまでのバスがあるんだけどな」
「え、そうなんだ。それは知らなかったね」
 窓辺に、何年かぶりに見るお台場の風景。ゆりかもめの自動運転の車両が、新橋方面に走って行くのが見える。
「でも、今更かもしれないけど、海ほたるって屋外でしょ、寒くない?」
 今は二月。今年は暖冬傾向で、ここ数日は、少し寒さも和らいでいるようだけど、海の上の島は、遮るものもなくて、きっと風が冷たいだろう。上着や暖かい下着はきっちり着ているし、マフラーや手袋も、すぐに身に着けられるように持ち歩いているけれど。
「大丈夫だ。確かに、屋外に色々と見るものはあるが、中も色々あって面白いぞ。そうだ、海の見える足湯もあるぞ、行くか?」
「それは気になるね。行こうか」
「おう、約束な」
 どうやらこの家族は、そこに訪れた経験があるらしい。それなら、きっと大丈夫。
「その前に鐘、二人で鳴らしに行きなよ」
「おい、それは」
 鐘? 鳴らすと幸せになるとか、そういう系かな。翔の顔がこわばった。と同時に、顔に赤みが差し始めたような。君、ホントにすぐ照れるね、そういうところ、好きだけど。
「いいでしょ、君達、どう見てもラブラブだし、愛し合っているように見えるよ」
「お前なあ……」
 そんな翔が可愛くて、僕はその腰に素早く手を回す。また何か言おうとしたところで、その唇を塞いだ。
「……」
 押し黙ってしまった。でも、今度は、翔が僕の背を抱いて、触れるだけのキス。それから、僕に囁(ささや)く。
『仕返しだ』
 すると、前方から、クスクスと笑い声がする。運転席と助手席との間のミラーに、僕達の姿が映る。それに気付いた翔が、ばっと僕から離れた。
「ほらね」
「あっ」
「見えてるぞー」
 無言で、目をそらされる。その耳は真っ赤で、だけど手は繋いで。
 外には空港の風景。ナビを見ると、羽田空港だ、一羽の飛行機が、上空へと舞い上がっていく。
――二人で飛行機に乗って、どこかに逃げられたらいいのに。
 でも、どこに? そもそも、しばし忘れていたけれど、僕達は病気だ、飛行機で上空高いところまで一気に昇ってしまうと、気圧の変化で、体調を崩すかもしれない。
――それか、船か。
 船に乗って、男二人、愛の逃避行。当分実現しないであろう、そんな風景を妄想して。
――ずいぶん、毒されている。
 そう、この恋は、あっという間に全身に回ってしまった、甘い毒のよう。解毒剤は、きっとない。


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