11


――抱かれたい。
 退院してから、あの人を想わない日は一日もなかった。
 僕は、翔と、妻と子供には内緒でメールをしていた。チャットじゃないのは、誰がどんなメッセージを発信したか、スマートフォンのスリープ画面に表示されてしまうから。
 メールで愛のメッセージの交換だなんて、いつの時代の中学生か高校生か、とは思うけど、僕達はその方法を取らざるを得なかった。
 僕達はマンションに住んでいた。夜、二人の子供達は子供部屋で寝て、僕と正妻は一つのベッドで寝る。
 妻は、不眠気味なのがデフォルトの僕とは正反対で、ベッドに横になってから寝入るのが早かった。昔は、そういうこともよくしたけど、欲しがっていた子供を二人産んでからは、すっかりレスになっていた。
 それでも、彼女は僕のことを「愛している」と言う。セックスレスについて問いただしたことはないけど、彼女の中では、セックスと僕への愛は別物なのかもしれない。あるいは、セックスなしでも、僕達の愛は確かだと思っているのかもしれない。
 僕の横で、彼女が眠りについた後、寝付けない僕は、翔にメールを送る。それが、僕の貴重な楽しみになっていた。
『逢いたいんだけど』
 タイトルのない、たった八文字の本文を送ると、一分も待たずに返信が来た。
『それはこっちの台詞だ』
 あの人の常套句。そしていつも、その後に何かが続いているのだけど、この日の文面には驚いた。
『二月、三連休があるだろ。どうにかする気はないか』
 カレンダーアプリを開くと、建国記念の日が月曜日で、土曜・日曜・月曜と三連休。三連休なら、僕は土曜が仕事で、日曜・月曜は休み。妻は土曜は作業をして、日曜・月曜は休み。
 週末や連休の時、二人の子供は、休みの最初の日の朝一で、電車に乗って一時間半のところにある、母方の祖母の友人の家に行く。妻は肉親を亡くした後、その家の人にお世話になっていたし、彼らは今でも、僕達の子育てにアドバイスをしてくれている。
 その夜に、僕と妻も、妻の運転でそこに行く。そして休みの最終日に帰る。それが習慣だった。
 僕は考えを巡らせた。僕は婿に入った立場、特に三連休ともなれば、体調が悪いわけでもないのに、嫁が世話になった家に、ましてや子育てを手伝ってくれている家に、顔を全く出さないのは気まずい。実際、退院してからは病気を忘れる程元気なのだ。
――嘘でもつくか。
 複雑な出自、演技は得意だった。そうだ、遠くに引っ越した、小学校時代の親友が、東京に遊びに来るから、顔を合わせてくる、だなんてどうだろう。別におかしな話ではないはずだ。
『考えがある。何とかするよ』
 思考のうちに眠くなってきたので、そう返信して、画面を消した。

 それはあっけなく成功した。妻に嘘の約束を話すと、「あら、それはちゃんと会ってきなさい」と言われた。
 三連休の最初の土曜日、月曜の代わりということにして、有給休暇をとって、子供達と三人でその家に行った。その夜、妻も来た。
 日曜日の夕方、明日の朝が早いから、ということで、僕だけ街に戻った。夕食はハンバーガーショップで軽く済ませる。だけど、僕は家には帰らなかった。ドラッグストアに寄ってから、向かったのは、翔の家の最寄り駅。
 翔には、『三連休のどこかで顔を出す』とは言っているけど、いつ、何時に行くかまでは伝えていない。驚かせたかったからだ。
 夜の九時。一軒家のインターホンを押す。カメラがついているから、僕だということは、受話器の画面に映って分かるだろう。さあ、誰か出るだろうか。
『……もしもし。俺だが。夜だとは聞いてないぞ』
 翔だった。はやる気持ちを抑えて、僕は冷静な声色を保つ。
「夜這いしに来た、じゃ、だめかな」
『……馬鹿か、お前は』
「開けてくれる?」
『寒いだろ、お前を放っておけるかよ』
 玄関の鍵が回る音がして、ドアが開いた。青いパジャマの上に、上着を羽織った翔がいた。もうお風呂を済ませたのだろうか。
「……早く入れ」
 ぶっきらぼうな言い方をしながらも、その頬に照れの色を浮かべているんだから。
「お邪魔します」
 入ると、広々としている家のようだった。ここに三人で住んでいるのか、気持ちいいだろうな。
「晩飯は」
「食べたよ。お風呂を借りたいんだけど」
「妹が入ってる。麦茶でも飲んで待ってくれ」
 通されたのは畳の部屋だった。こたつに入ると、隣にあるらしい、ダイニング兼キッチンから、電子レンジらしい音が聞こえてきた。
「そういえば、真緒の旦那さんはいないの」
 妹の旦那の気配がしない。普通の人が寝るには、少し早い時間だし。
「出張だ。明日の午前中に帰ってくるが……どうかしたか」
「いや、いないから気になっただけだよ」
 温められて、湯気が立ちのぼる湯呑みがトレーに二つ。トレーをキッチンに戻すと、翔もこたつに入った。僕の右の辺に。
「で、どうやって抜けてきたんだ」
 僕は事の一部始終を話した。そうすると、翔はふ、と笑った。ああ、この表情も好きだな。胸が少し高鳴るのも、今は心地良い。
「お前らしいな」
「褒めてるの?」
「好きに解釈しろ」
 翔は猫舌らしい。やっと、湯呑みに口をつけた。
 それをそっと置くと、そのタイミングで、僕は一気に距離を詰めた。一瞬見開かれる目、でも緩やかに閉じられたその時に、僕から唇を合わせに行く。
「ん……」
 この人は感じやすいのだろうか。少しきつく、唇を合わせているだけなのに、僕の背中にすがりついてくる。
 それを離すと、潤んだ目と、少し赤らめた頬が視界に入る。こたつに被せた布の下、両手が重なる。
――やばい。
 理性が揺らぐ。今すぐ抱かれたいという気持ちになる。でも、まだ身体を清潔にしていない。
 彼も体調はいいらしい、咳はしなかった。僕も軽いのが数回程度で。
「……ベッドに入るまで、次はなしな」
「何、したいの?」
 僕はその気持ちを確かめたくて、直球をぶつけた。まあ、一ヶ月と少し、おあずけだったし、ここに来てからの態度や反応を見ても、一目瞭然だけど。
 すると、まあ、分かりやすく、朱の勢いを増して、下を向いた。手をぎゅっと握られて。
「……何のために、お前を家に上げた」
「だよねえ。――おや」
 廊下に人の影。妹さんが、お風呂を済ませたか。和室に続く引き戸を開いた。
「えー、こたつでイチャイチャしてたのー」
 おっさんみたいに、両肩をぐるっとするようにタオルをかけて、紙パックのコーヒー牛乳を飲んでいた。
「おい、真緒!」
「お兄ちゃん、ここでは隠さなくていいんだからさ。あ、澪、一ヶ月ぶりだっけ?」
「そんなところだね。じゃあ、僕は風呂に入るよ。詳しい話は明日ね」
「おー。早く入って、ゆっくりお楽しみの時間を過ごしなよ」
「うん、そのつもりだよ」
「あ、風呂に入浴剤入れてるけど大丈夫?」
「いいよ。そういうの好きだし」
 やはり、空気の読める人だ。翔が何か言いたそうで言えないでいるのを敢えて無視して、残り少なくなっていた麦茶を飲み干して、着替えと化粧品を出して風呂場に向かった。
 お手洗いの後、洗い場で全身を洗ってから、入浴剤で白く濁っている湯船に入る。肩の下辺りまで浸かって、思考をあやふやにしていると、約一ヶ月前の行為が、脳裏に浮かんだ。
――今日は、あれ以上のところまで、行くのかな。
 あの時は、二人とも体調がいいとは言えなかったけれど、今日はお互いの体調もいい。
――挿れたり、するかな、してくれるかな。
 あの時は、途中で気が変わって、半分僕が攻める格好になったけど、今日は何だか、ちゃんと抱かれたい気分。いけない、甘い刺激が欲しい……あの人が、あの時、してくれたように……
「んっ……」
 右手が自然に、水面から見えるか見えないかのところにある、左の乳首に触れていた。軽く撫でたり、つまんだり、引っ掻いたり……いつも、自分でこっそり触れるよりも、気持ちよく感じるのは、どうして……色々と、考えられることはあるけれど。
「あ……」
 女の子みたいな高い声に、我に返った。いけない、翔を待たせちゃ。
 彼の妹―真緒に言われていたように、お湯を抜いて、その間に身体を拭く。兆し始めている、自分のそこは見ないようにして。それから、水で湯船と、洗い場を軽く流して。
 どうせ脱がされるだろう、と思いつつ、持参した寝間着を着て、スキンケアのあれこれを塗る。僕はその辺は、手を抜きたくなかった。見た目は、大事。
 でも、その間にも、期待している気持ちを拭えなくて、身体が火照っていくのを感じていた。自分であちこち触りたいというのは、なんとか我慢して。
 こたつの部屋に戻ると、真緒だけがいた。服の取れたボタンを直しているようだった。
「翔は」
「『ベッドで待ってる』って。その向かいの部屋だから。君の荷物も持って入ってたよ」
「……はいはい」
 いい夜を、明日は起こさないからね、と彼女は言う。背中を押してる、と解釈していいんだろうな――


[ 11/61 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -