10
*
「おはよう」
「……まだ朝飯も来てないぞ」
俺はかなり調子が戻ってきた気がする。身体が軽い、すっきりとした感じがする。あいつとしたせいか……いや、それは今考えてはいけないことだ。
朝の採血の時、点滴も外してもらった。もう必要ないらしい。
職員が部屋を出た後、あいつは俺のベッドまでやってきた。俺は血を抜いた後で起き上がれねえのに、元気だな、あいつ。退院、するんだろうな。
「まだ時間かかるでしょ。それより、顔色悪いけど、大丈夫?」
「笑ってくれ、血を採られるのが嫌いなだけだ」
「点滴は大丈夫なのに?」
俺のすぐ横に座ってくるのには、もう慣れた。
「昔、気絶したんだよ。それからダメだ。で、何の用だ」
「美少年に目覚めのキスをしに来たんだけど」
こいつは本当にストレートな物言いをしてくる。それにいちいち胸を掴まれる感覚を覚える俺も俺だ。
「顔赤いよ」
「……さっさとしろ」
「可愛くない」
「うるせ……ん」
軽く数回合わせて、離れていく。もし、こいつが今日、退院していくのなら、これが最後のキスになるかもしれない、とふと思って、思わずその身体に手を伸ばした。
「どうしたの」
「足りねえ」
「……寂しいの?」
「……悪いかよ」
「僕だって……」
今度は、深いキスの前にやるような、唇同士を啄み合うようなそれ。離して、また、もう一度。
「はあ……っ」
「……朝からやるねえ、君」
「いいだろ、別に……」
「まあ、最初に誘ったのは僕だけどね」
あいつは俺の髪を撫でてくる。まるで、子守歌を歌うような母親のように。昨日のあれこれで睡眠が足りていない、眠気が戻ってくる。
「ごはんが来たら、起こしてあげるよ」
「悪い……」
約束通り、朝食が運ばれてきたときに、あいつは微睡(まどろ)んでいた俺を起こしてくれた。
ご飯の後、俺は検査に連れ出された。そのメニュー的に、俺も退院が近いことを察した。
それが終わった後、妹から携帯に何か連絡がないか確かめようと思いながら、一人で病室に戻ると、何やら楽しいそうな声が聞こえてくる。それは明らかに、カーテンの開いた俺のスペースからしていた。
「よ、お兄ちゃん。検査済んだか」
「まあな」
妹がもう来ていた。そうか、今日は彼女は仕事が休みだったか。そして彼女は、俺のベッドに澪と並んで座って話していた。
「つーか、澪、話すならお前の所でやれよ」
「別にいいでしょ、君の妹さんなんだし。あと今、初めて僕の名前、呼び捨てにしたね」
――あ、しまった……!!
と思ったときにはもう遅い。俺は頭を抱えた。完全に不覚だ。あ、おい、真緒、にやにやしてんじゃねえ……ってまさか。
「おい、真緒、お前……」
「ごめーん、お兄ちゃんのカレシからご挨拶を受けてたの☆」
なあ、俺、ここで倒れてもいいか。いや、それはダメだ、俺だって病院に長くいたくない。
立ちくらみのした俺を、誰かが支えてくれた。身長的に、澪の方だろう。俺はベッドの端に腰を下ろして、そのまま横になった。それに倣ってか、二人もベッドにごろごろし始める。おい、三人も寝転がって大丈夫かよ……いや、今突っ込むべきところは他にもある。
「……話したのかよ」
「成り行きだよ。僕がここに座ってたところに彼女が来て、開口一番、『ウチの兄貴と何かありました?』って言われるもんだから」
妹よ、最初から何かあっただろうと思ってかかるなよ。
「いや、お前が俺が不在の間に、ここに座っていた時点で成り行きじゃねえだろ」
「そうかなあ」
「とぼけんな」
「まあまあ。でもウチは、最初から気付いてたよ。一緒に食事をしたときには、もうね」
……うん? 我が妹よ、何を言っているんだ?
「何にだよ」
「お兄ちゃんが恋した目でこの人を見ているのに」
……爆発したい。穴があったら入りたい。頭が痛い。顔が熱い。動悸がする。
「腐女子を舐めたらいけないよ。三次元もOKな子は、そういう観察眼が鋭いからね。ちなみに僕もゲイであると同時に腐男子だよ」
「声や態度に出さなくてもさあ、目で分かっちゃうんだよ、目で」
俺は澪に、そんなことを言われたのを思い出した。何なんだ、しかも妹まで揃いに揃って。
「まあでも、これで一安心だよ。お兄ちゃんにも心から愛せそうな人ができて。退院したらお赤飯だな」
「いらねえよ、んなもん……それより鎮痛剤くれ、頭痛え」
「いや、そこはお医者さんに聞いてからだよ。ちったあ我慢しろ。お前、先月、それしょっちゅう飲んでたの知ってるからな」
おい、何で妹が俺の市販薬の服用までチェックしてるんだ。使いすぎかもしれないという自覚はあったが……。
ダメだ、一度に色々ありすぎて頭が回らない。ここは一度、強制シャットダウンするに限る。
「……もう無理。寝る」
「寝るならきちんと布団に入りなよ。また悪化するよ」
「じゃあどけよお前ら……」
*
結局、俺も澪のやつも、その日のうちに退院した。
俺より先に、澪の「法的な」妻がやってきて、医者から説明を受けているのを、俺と妹もカーテンの向こう側から聞いていた。妹も澪の事情は知っているらしい。
あいつは帰り際、妻に「隣の人がよくしてくれたから、挨拶してくる」と言って、俺のスペースのカーテンを開けて、右手で手を振ってくれた。左手の薬指には指輪をしていた。
俺も午後遅くになって、家族が車で来ていたのと、検査結果も一応落ち着いているということで、もう二日ぐらいは家で安静にするという条件で、薬をもらってから病院から出してもらった。
「しかし君も、数奇な運命を持ってるもんだねえ。既婚者に惚れて、しかも両思いだなんて」
「……運命、か」
「ウチは信じるよ、運命ってやつ」
俺はあいつの顔を思い浮かべて、頬と唇が火照るのを感じた。
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