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                    ◆


午後二時。
列車の終着駅、マロナに、『謎の旅人』が降り立った。
マロナ駅はかなり大きな駅なので、乗降する人の数も多い。
その人の波に紛れて、彼はホームから駅構内に入った。
「さて、と」
彼は手帳と駅の時刻表を見比べて、乗り換える列車を確認する。
「次は三時十五分、二番ホームか。一時間十五分、喫茶店で暇潰しでもするか」
彼は視界に入った喫茶店に足を踏み入れた。

「うわー、一杯だな」
喫茶店は、彼と同様に、次の列車までの暇潰しをしようとする人や、待ち合わせをする人で混んでいた。
ココアを注文し、窓際の空いていた席に何とか座る。
一口飲んでから、鞄の中から文庫本を取り出した。
彼の趣味は読書だった。

きりのいいところまで読んだところで、誰かが『謎の旅人』に声を掛けた。
「すいません、向かい、いいですか?」
「いいですよ」
彼は相手の顔を見ずに承諾した。
相手が席に座ってから、彼は相手の顔を見て――心の中で驚愕した。
――ラルフ!?
そう、ルーラ帝国の次期皇帝にして、自らの親友だったからだ。
少し変装しているとはいえ、見間違えではない。
彼はもう何度もこの顔を見ているのだ。
――バレるなよ……!
必死にそう祈っていたが、当のラルフは『謎の旅人』のそんな様子を気にすることなく、コーヒー片手に書類を眺め始めた。
――大丈夫……だよね?
彼は読書に戻った。

しばらくすると、ラルフは『謎の旅人』に遠慮がちに声を掛けた。
書類を眺める作業は終わったらしい。
「あの、一つ聞いていいですか?」
「え、ああ、いいですけど……」
『謎の旅人』は視線を本からラルフに移す。
彼としてはごくごく自然に振舞ったが、内心はハラハラしていた。
――やっぱりバレたか!?
けれどラルフは彼の動揺に気づかず、素直に自分の思った質問を投げかけた。
「もしかして、旅人さんですか?」
――え!? そんな質問?
彼は気が抜ける。
「ええ、そうですけど……」
――よかった、まだ大丈夫だ。でも油断は禁物だ。
「でも何で、そんなことを聞いたのですか?」
彼は逆に問いかける。
「実は、私、久しぶりに職場から五日間の休みを頂いたんです。だから、少し旅に出てみたいな、と思いまして。友人の勧めでデルタに行く予定なんですが、恥ずかしながら、観光スポットをあまり知らないんです。旅人さんなら、何かいい所知っていないかな、と思ったんです」
「そうですか……国は、どちらですか?」
――こいつ、本気で気づいていないようだな。
あまりにも自然な会話に、彼はほんの少し安堵感に包まれる。
「ルーラです。今日は出張でマロナに来ています」
「そうですか。休みはいつからですか?」
「明後日からです。一旦国に帰ってから行きます」
「明後日からデルタ……あ、ならばコラリスの夏祭りなんかはどうです? 一度だけ行ったことがあるんですけど、毎年恒例らしくて、屋台や踊り、花火も見られますよ。今年は三日後から始まるそうです」
今の台詞に嘘はない。
すべて事実だ。
「夏祭りですか。そういえば最近、そういったイベントに全く行けてませんからね。分かりました。そこに行ってきます。ところで、どうやって行けばいいですか?」
「まずこの駅から、カルナ行きの列車に乗ってください。カルナに着いたら、歩いて十分程で港があるので、そこから船に乗ってください。コラリスは島なので」
ラルフは、それらを一通りメモした。
それから、腕時計を一瞥して、言う。
「成程、ありがとうございました。では、列車の時間なのでこれで失礼します」
そして立ち上がると、荷物を肩にかけ、歩き出した。
「あの、」
「はい?」
『謎の旅人』は、ラルフに声を掛けた。
本当に相手がラルフなのかどうか、確かめておきたかったのである。
「……お名前は? 折角、こんな場所で出会ったのに、お互いの名前を知らないまま別れるのは、勿体無いじゃないですか」
そこまで言って、彼はハッとする。
――しまった、『お互いに』って言ってしまったら、自分も名乗らないといけないじゃないか。
そんな心配をよそに、ラルフは彼の元に戻ってくる。
「名前ですか……誰にも言わないで下さいよ?」
そしてそっと、『謎の旅人』だけに聞こえるように、くだけた調子で言った。
「俺は、ルーラ帝国次期皇帝のラルフ・ルーラだ。これでもちょっとだけ変装しているから、誰も気づいていない。お前は?」
――ああ、やっぱりラルフだったんだ。でもやっぱり聞かれた!
――仕方が無い、即興で偽名でも作って言っておくか。
彼は、困った顔をしながら、ラルフと同じく、くだけた調子で言った。
「俺、実は、本当の名前を知られちゃ困るんだ。だから、偽名でもいいか?」
「もちろん。偽名だって立派な名前だからね。で、何ていうんだ?」
その問いに、『謎の旅人』は一呼吸置いて答えた。

「クラウス、だ」

「……クラウス、か、いい響きだな。……おっと、急がないと。じゃ、本当に失礼するよ、クラウス。元気でな」
再びラルフは腕時計を見ると、駆け足で喫茶店から出て行った。
「ラルフ、お前も、旅を楽しんで来いよ」
その声は、本人に届かなかった。

ラルフの姿が見えなくなってから、彼は再びハッとする。
――待てよ、俺はこれからコラリスに行き、ラルフも明後日からコラリスに来る。
――ばったり会ってしまうかも……。
でもその気持ちはすぐに吹っ切れる。
――まあいいや。その時はその時だ。
自分が列車に乗るまでには、まだ三十分ほどある。
彼は読書を再開した。

『謎の旅人』は、この時はまだ知らなかった。
知る由も無かった。
自分のドッペルゲンガーである上野歩真が、ミリエラに来て、『Ark』と自分の捜索を行っていることを。
しかも、上野歩真が、自らの偽名と同じ『クラウス』をミリエラで名乗っていることを。
さらに、そのことを、先程接触したラルフが知っていることを。
そして、
「クラウス、か。まあ、彼の場合はロールが提案したらしいけどさ。それにしても、ドッペルって本当に似るんだね、」

「クロード」

それらの情報によって、自らの正体が、ラルフにはバレていることを。


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