香り立つそれを皿に移して、もう一つバターを。香りに誘われたミツバチがやってくる。そうだ、先に出来た分を食べさせてもいいかもしれない。
「先食べてていいよ。出来たてだから」
「おー、さんきゅ」
「あ、何か飲み物とかいる?」
「自分でやるよ。薄いコーヒーが飲みたい」
食器棚からでてくる、白に花があしらわれたコーヒーカップとソーサー。瓶入りのインスタントコーヒーにスプーンを入れている横で、彼女の分だったが、自分の分になった食パンをフライパンに。
「君もコーヒー、飲む?」
「よろしく。濃いめで」
僕の分にも、彼女のより少し多めにコーヒーの粉。やかんに水を入れて、火にかけようとする。
「先に食べててもいいよ? 冷めちゃうよ」
「猫舌なの。少し冷めたぐらいじゃないと食べられない」
「そうだった」
フライパンの中身を返した頃、やかんが中身の沸騰を知らせる。
「入れちゃっていい?」
「うん」
テーブルの上に並べられたカップ。注がれて立つ湯気。香り立つフレンチトースト。休日らしい雰囲気。
「お先に」
「どうぞ」
「いただきます」
一口目からがっつり。食べ方が豪快なのも、結構好きなところだったりする。言わないけどさ。相手は一応女の子だから、なんか失礼そうだし。
「……今までのフレンチトーストの中で一番美味い」
「そんなに?」
「そんなに。やっぱり手作りっていいよなあ」
「あんまり料理しないの?」
キッチンや冷蔵庫の品数が、僕のところより少ない感じがするのが気になっていた。
「苦手。手の込んだものは絶対に作らない。自分以外に食べる人がいないのもあるけど。だから、君が料理してくれるの、本当に助かる」
自分の分も、お皿にあげた。いけない、ナイフとかフォークとかがない。
「睦、フォークとかないの」
「うちには箸とレンゲしかない。出すよ」
いいって、と止めようとしたが、その前に立ってしまったので任せた。茶色の箸と、赤色の箸。使い古されているように見えた。
僕も彼女の隣に、自分の分を運んで。すっかりお腹が空いた。
「いただきます」
学校や仕事で一緒になる人とではなくて、大切な誰かと一緒にご飯を食べる。家族と暮らしていた昔は当たり前だったことを、今久しぶりにやっている。そして、そのことが当たり前ではなくて、愛おしい大事な時間であることを、この数日で身にしみて感じていた。
さらに、自分で作った料理を、自分一人で食べるのではなくて、誰かと一緒に味わう。そのような体験を、今までにしたことがあっただろうか。
「側にいてくれようとするのが、君で良かった」
コーヒーをソーサーに置いた彼女が、ふとそんなことを言う。
「どうしたの、急に」
「そのまんまの意味だよ。僕は、君のことがずっと好きでね。君しかいないと、ずっと心のどこかで思っていたんだよ。何かあった時でも、多分、君なら大丈夫だ、って」
「……よくしれっと言えるね、そんな台詞」
「昨日も言っただろうけど、伝えられることは、その時に伝えないといけないと思うんだ。後から悔やむと書いて、後悔と読む。何事もそうなんじゃないかな」
彼女は、半分になっていたソーセージを箸で掴む。それがもう半分に折れる。
「君の手料理を食べたいと思うのも、そういうこと。後から『ああしておけば良かった』って思う人生は嫌なんだ。人より人生が短いかもしれないから、余計にそう思うのかもしれないけど、長生きしたとしても、考え方は変わらないと思う。年をとって、身体が衰えたら、やりたいことも出来なくなる。それで後悔する。それは僕のポリシーに反する」
「今を一番大事にしたい、ってこと?」
「そういうこと。僕が病気であっても、そうでなくてもね。長生きする人が増えているからさ、今は我慢して、将来に備えようっていう人がマジョリティで、刹那的に生きる人は少数派な時代だと思うけど、何で今を楽しもうって思わないのかが不思議だよ。だってさ、将来に備えてもさ、その『将来』が来るまでに死んじゃったらどうするのさ」
朝から何の話をしているのだろうか。いや、何を話したっていいだろうと返ってきそうだ。そうだ、彼女の話を聞ける機会も、あと何回あるか分からないのだ。
「確かに……それ、ずっと考えてることなの」
口の中の、一欠片のフレンチトースト。彼女に言わせれば、それを彼女とほおばれる機会も、あと何回あるか分からない。
「物心ついた時からだよ。僕は普通の子供じゃなかったし、普通の家庭に居たわけでもなかった。『人のやること為すことは、みーんな、空しい。でも、生まれた以上、生きなければいけない。それなら、どう生きるのが最善なのか』。その答えが、周りに流されずに、今を精一杯生きること、だと僕は思ってる」
僕はその、伏し目がちに言った言葉に、引っかかりを覚えた。初めて会った時から、普通の女の子とはまったく違う雰囲気を漂わせていたが、その過去を聞いたことはない。何か、あったのか。何が、彼女の人生観に影響を与えたのか。
すっぱいミニトマト。彼女の歩んできた道も、そんな味がするのだろうか。彼女は二枚目のトーストを手に取って笑う。
「あ、ごめんな? 朝から哲学的なことを話しちゃって」
「別にいいよ。君の考え方、勉強になるところもあるし」
「あんまり褒めんなよ」
と言いつつ、笑顔は崩れない。もうこの話は、やめにしようと思っているのだろう。


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