10
食後に食器を片付けようとすると、自分も手伝うと言ってきたのでそうさせてやった。
もうこの家の主人と、酔っ払って転がり込んだ猫の関係ではない。特別だけど平等な二人の関係なのだ。
本当は一緒の家に住みたいところだけど、この部屋は狭い。少しずつ、良さそうな物件を探そう。
「君、本当に料理が上手だね。毎日食べられそうだよ」
「毎日おいでよ。待ってるし、遠慮しなくていいよ。帰りたくなかったら、昨日みたいに泊まっていってもいいし」
すらすらと誘いの言葉が出てくるのも、恋心がなす業なのだろうか。こんな台詞、普段の僕じゃ、きっと言えやしない。
「じゃあ、――よろしくお願いします」
「こちらこそ」
「……何か新婚さんみたいな言い回しだったね」
「まだ付き合ったばっかりでしょ」
お互いに、笑って。こんなに軽口を叩ける相手も、バーの二人を除けば久しぶりかもしれない。
彼女にお皿を拭くのを任せている間に、寝室のデスクの引き出しの奥に入れてあった合鍵を引っ張り出した。
――また、これを誰かに託す日が来るなんてね。
それと同時に、もう次はないといいな、とも思う。別れの悲しみは、あまり多く経験したくない。
銀色に鈍く輝くそれを、手を洗っていた彼女の目の前で揺らすと、それの軌跡を追いかけて、催眠術にでもかかったように目を閉じた。
「何やってんの」
手首で水道の蛇口を上にあげて止めると、僕も彼女もまた笑いに包まれた。
――幸せだなあ。
恋人のいる生活。まだ始まったばかりなのに、それは明らかに、何かが物足りなくて隙間風が吹いていた心を埋めていく。
「なら、そろそろ帰るよ」
「家まで送るよ」
「はは、お願い」
心配性だね君、と言われるのも無理はない。実際そうなのだから。でも、せっかくこんな関係になったのだから、ずっと心の隅に置いていたいのだ。人はそれを執着心と言うのだろうか。
春の終わり、夏の始まり。夜中は薄手長袖が必須だ。
僕が左側に、彼女が右側に。どちらからともなく手を繋ぐと、微かな胸の高鳴りと共に、酷く安心する自分がいた。
――大丈夫、この人といれば。
突然始まった新しい生活。その幸せを、ずっと噛み締めていたかった。
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