世界は僕を手放した | ナノ




 3日に1度新羅は臨也の検診に訪れる。
 静雄は淹れた紅茶をすすりながら、キッチンから臨也と新羅の様子を覗き見た。カウンセラーじゃないから心のケアは専門外だよ、と溢した新羅だったが臨也と会話を交わし何度か笑う声が聞こえる。

 1週間。
 未だわだかまりはあるが、静雄と臨也は徐々に笑い合うようになり、静雄と居ることで安心するのか、臨也は短い時間でも眠るようになっていった。
 だが臨也は未だに携帯にもパソコンにも触れようとしない。情報屋の仕事は一時休業すると粟楠会に伝えてあるのだと新羅は言った。
 情報屋休業についてを臨也が良しとするかはわからない。だが今の状況で続けられるものではない事は明らかだった。

 これからどうすればいいのだろうか。
 静雄にも仕事がある。トムに暫く休むと連絡してはあるが、ずっとという訳にはいかない。
 苛立ちをぶつけるようにカップを置くとカシャン、僅に悲鳴が上がった。

 瞳を伏せるとぽんぽんと肩を叩かれ、そこにはセルティがPDAを掲げていた。


『臨也の様子はどうだ?』
「ああ、変わってきてるとは思う」
『そうか』
「ああ、まだ全然だけど」
『それでも、変わったきたのは静雄が居るからだろう』
「だと、いいんだけどな」


 自分の隣にいる相手が愛する人である喜び。並ぶ肩に安心を覚えていたのは臨也だけではない。静雄もまた、隣で小さく微笑むその姿に胸を撫で下ろしていた。
 静雄が遠目に揺れる臨也の後ろ髪を見ていると、セルティはまたPDAをゆっくりと差し出し、落ち着いて聞いてくれ、と打った。



『今日、また投函されていた』



 それに全身の毛が奮い立った。
 セルティは黒い影を伸ばし、机に球体を作る。解かれるその中に現れたのは、最近ぱったりと投函される事が無くなったあの茶封筒だった。
 消印も無いそれはあの男がエントランスまで投函しに来ている事を表している。憎むべき相手がすぐそこにいたのだ。


『今日はちょうど私も新羅も予定があって、見張りができなかった』
「…………いや。仕方ないだろ。毎日見張ってるのも難しいしな」
『静雄』
「まだあの野郎が諦めてねえって事がわかって良かった」


 犯人が自ら茶封筒を投函しに来ている事はわかっている。門田、新羅、セルティ達によってできる限りの時間はエントランスの見張りを行っていた。
 だがそれぞれの生活があり、仕事がある。ずっと見張り続けるのは難しかった。
 セルティは何かを打とうと指を動かすが静雄の気に圧され静かにPDAをしまう。セルティは鋭く目を細める静雄を見上げ、不安げに影を揺らした。


(大丈夫、だろうか)


 大切な人を傷つけられる苦しみは、どんなものだろうか。ああ、考えたくないな。セルティは小さく首を振った。
 今の静雄は悲しみと怒りに目の前が見えなくなっているのではないだろうか。犯人を前にしたら、心優しい静雄はどこかにいってしまうのではないだろうか。
 犯人を捕まえたいと願ってはいるが、その時の静雄の反応を思うとセルティは不安だった。

 静雄は茶封筒を手にとり、あまりある力にクシャリと歪んだ。

 シズちゃん、と呼ぶ声にハッと我に返り頭をあげる。不思議そうな顔をして立つ臨也が片手にティーカップを持ち佇んでいた。
 咄嗟に封筒を背後に隠す。


「…どうした?」
「紅茶、おかわり」
「それぐらい、自分でやれよな」
「いいじゃん。シズちゃん暇そうだから」
「うっせえよ」


 ふふっ、と微笑む臨也の表情にセルティは呆気にとられた。そしてホッと、力が入った筋肉を解す。
 臨也はセルティの視線に気付いたのか目を瞬かせた。


「なに? どうかした?」
『いやいや、何でもないよ。……静雄が淹れる紅茶は美味しいか?』
「意外な才能だよ? 案外いけるんだ」
「意外はよけいだ」


 以前のように会話をする二人にじわりと胸が熱くなるのをセルティは感じた。
 この二人ならば大丈夫だ。
 確信は特にない。ただ漠然とセルティは思った。
 穏やかな気持ちにPDAを胸に押し当てる。絶対に乗り越えられる。ふわりと影が舞った。
 セルティの後ろからひょっこりと顔を出した新羅はにこやかに言う。


「ちゃんとご飯も食べてるみたいだね」
「手作りじゃなきゃ嫌だとか抜かしやがるからな」
「これもまた意外とおいしいんだよね」
「うるせえよ」


 静雄が臨也の黒髪を乱雑に掻く。うわっ! と声を上げた。ちょっとシズちゃん! と文句を言いその手を払うと静雄の顔からも笑みが溢れる。
 新羅が二人のやり取りに目をとられ、セルティのように胸を撫で下ろしていた。

 セルティはこっそりと影を伸ばし、静雄の背に隠された封筒に触れる。気付いた静雄が手を離すとまた影に包まれ封筒は臨也の目に触れる事無くセルティの中に戻った。


「じゃあ僕たちは帰るよ」
『また来るな』
「ああ、ありがとな」
「もう来なくていいよ新羅」
「酷くない?!」


 器具が入った大きなトランクを片手に新羅は白衣を翻す。
 セルティも『またな』と声をかけ臨也の肩を叩いた。


 玄関を見据え、臨也は目を伏せる。そして微かに開いた口を結んだ。


 問題が無くなった訳ではない。だがこの穏やかな日々をもう壊したくない。
 静雄は慣れた手つきで紅茶を淹れ、黒髪を撫でた。
 静まる部屋の中。二人の呼吸だけが溢れた。



(20110321)

戻ってきた日々、だけど変えられない真実。消えない傷痕。


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