世界は僕を手放した | ナノ



気絶するように眠りに落ちた臨也が、がくん、と膝から折れそうになるのを静雄は咄嗟に受け止める。臨也、と耳元で呼び掛けるが反応は無かった。少し苦しそうに眉を寄せ、静雄の腕の中で眠りに落ちたようだった。臨也の腰に片腕を回し抱き抱え、そっとソファーに横にさせる。
頬に乾いた涙の跡。静雄は目を細め、そっと頬を撫でた。


「臨也…。」


しん、と静まる部屋に臨也の寝息だけが響く。
時計を横目にポケットの中にある携帯を取りだし、新羅に電話をかける。時間は夜の7時を回っていた。かなり夜更けになってしまったが問題ないだろう、と通話を続行する。プルル、と電子音が続いて音が切れると落ち着いた声が耳についた。


「………新羅。」
『やあ、静雄。』
「そっちに連れて行きてぇんだけどよ、臨也が気ぃ失っちまったんだ。来て、くれるか。」
『…大丈夫そうかい。』


暫くは目を覚ましそうにない臨也を一瞥する。大丈夫そうかと聞かれれば大丈夫そうとは答えづらい顔色だ。
前髪を軽く払ってやると、臨也は小さく呻いた。


「…かなり、痩せたな。小さくなった。手首も細くなってっし…。」
『…わかった。今から行くよ。』
「ああ、頼む。」
『犯人の特定は京平に任せてある。ストーキングは警察に頼んでも大して意味が無いし、臨也も警察沙汰にはしたくないだろうしね。』


携帯を握る手に力が入る。長く臨也と付き合ってきた。それこそ恋人になる前から付き合ってきた静雄でさえあんなに弱った臨也を見たのは初めてだった。揺らいだ瞳に、溢れる涙。恐怖に歪む表情など生まれて初めてだった。静雄の暴力にさえ、一度も屈する事無く不敵な笑みを浮かべていた。その折原臨也が見せた、あの表情。
あの表情をさせた、臨也を抱いた男を静雄が許せる筈が無かった。


「…殺して、やりてえ…ッ!」


ぎり、と歯を食い縛る。乱雑に髪を掻き上げ、静雄は張り詰めた声を絞り出した。静雄、と新羅の冷静な制止が入るが何も出来なかった自分への苛立ちと、臨也を犯したあの写真の男への殺意が沸き上がって溢れ出す。


『落ち着け、とは言わない。けど臨也を見てあげなよ、ちゃんとね。』
「…わかってる。」
『すぐ向かうよ、またあとで。』


ぶち、と通話は切られツーツーと無機質な音だけが流れた。携帯をしまって身を捩る臨也に何かかけるものでも持ってくるか、と足を寝室へ向けた。
ぐるぐると思う事は様々だ。あの臨也の姿を見て、強姦されたのは確かでありストーキングされていた事を臨也は気付いていた。だから連絡断った?


(なんで頼ってくれなかったんだろうな。…なんて、自分勝手すぎんだろ。)


信じなかったのは誰だ。俺じゃないか、と静雄は顔を歪ませる。最低野郎だな、と自嘲的に笑って慣れたように寝室の扉に手をかけた。


「――……ッ…!」


ぶわり、と鼻につく雄の臭い。吐き気を催す程のそれに静雄は咄嗟に口を押さえた。そして目の前が真っ赤に染まる程の苛立ちにドアノブを破壊しかける。
――…そうか、そうか、ここが現場か!
静雄は苛立ったままに大股で部屋に入り、ベッドのシーツを引き剥がした。
その時だった。静雄の視界にシーツを引き剥がす反動で舞い上がった有るものが映る。風になびいて床に落ちたそれをひろい上げると、そこには静雄と臨也の情事がありありと写真の中に納められていた。


「なんだ、これ…。」


なんでこんなものがある。なんで撮られた。いつ撮られた。
苛立ちで周りが見えていなかった静雄は、他にもたくさんの写真がちりばめられている事に全く気が付いていなかった。写真は静雄と臨也をとらえたものだけではなく、静雄の家に届いたものと同じ写真もそこにあった。


「……気持ち悪ぃ…!」


そこで初めて、静雄はあの男に対して嫌悪感を抱いた。殺意ではなく、背筋を何かが這う感覚。嫌悪感。
取り敢えずシーツを全て剥ぎ取り、窓を開ける。この嫌な臭いが臨也と男が性行為をした事実を突き付けているようで腹立たしかった。
くそ、と静雄は真っ黒な空に言い放つ。すると、ガタッと物音が臨也の居る下から聞こえてきた。起きたのかと咄嗟に寝室を出て、手すりから身を乗りだし下の様子を伺うが丁度真下のためソファーが見えない。急ぎ足で階段を下ると、案の定身を起こしている臨也の姿があった。


「…臨也。」
「……あぁ、そっか。来てたんだっけ。そっか。」


覇気がない赤い瞳はちらりと静雄を捉えたが直ぐに下に視線を落とされてしまった。だが静雄が手に持っているシーツを見て、一瞬臨也の瞳が揺らいだ。やはり見られたく無かったのかと静雄は眉間にシワを寄せた。

…臨也の態度がどうも気に食わない。静雄は、おい、と苛立ちの色が見える声で呼び掛けるが臨也は視線すら向けない。おい。2度目の呼び掛けも見事に無視されてしまう。静雄は耐えきれずにダンッ、と床を蹴って一気に臨也との距離を詰め、細くなった手首を掴み上げていた。





「手前ッ! なに諦めたような顔してンだよッ!」




赤い瞳がハッと見開かれた。



「手前が抱かれたぐらいで! 俺が手前を諦めるとでも思ってンのかよ! 残念だったなァ! 俺は手前が思っている以上に手前が好きなんだよ! 好きで好きで好きで、たまんねえんだよ! 諦めてやれるほど、軽くねえんだよ!」




痛いぐらいに掴んだ手首には痣ができてしまうかもしれない。それでも臨也は抵抗せず、何度もヒュッと息を吸っては肩を震わせていた。


「なあ、俺だけか? 俺だけがこんなに必死になってんのか? いざ、」


臨也、と呼ぼうとした時、臨也の瞳から雨のようにポロポロと涙が零れている事にハッと静雄は口をつぐんだ。震える唇を必死に動かし、臨也は嗚咽を交えながら言った。


「おれ、…、ぅ…シズちゃんと一緒になってから、…涙腺、おかしい。」
「…泣くなよ、」
「止まんな、ぃ、…止まんない…、」
「なんで、泣くんだ。」


ぱくぱくと臨也は口を開閉させるが何も音は聞こえない。嗚咽だけが洩れて、苦しそうにぐっと瞳を閉じた。



「好きッ…だから…!」



シズちゃん、シズちゃん、と臨也はうわ言のように繰り返し、涙でくしゃくしゃになった臨也の顔に静雄はキスを落としていく。瞼にキスをして、震える睫毛。流れる涙にキスをして、淡く赤い色の唇にキスをして。解いた手首の戒め。すぐに背中に腕を回され、ぎゅうぎゅうと抱き締められる。なだめるように肩に埋もれた黒髪を撫でられ、臨也はひとしきりに、泣いた。





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