世界は僕を手放した | ナノ




カタリ、と物音に臨也はどんよりと重い意識を浮上させた。

デスクにうつ伏せになっている体勢でゆっくりと顔をあげると、ガラリとした部屋が広がる。背中の方に日暖かさを感じない。ああ、もう夜になるのかと重い身体を起こした。ガシャン、と動かした肘に当たり、床に転がる机に広がる壊された機械。それは部屋に仕掛けられていた盗聴器と小型カメラの類だった。
ぐらぐらと揺れる頭で臨也は部屋のすみずみまで調べ探し出したものだ。


(頭、痛いな、)


一定の睡眠をとっていない臨也は、あれから、知らぬ男に組み敷かれてから何日が経過したかもわからなくなっていた。
毎日のように届く写真、聞かれていた会話、盗撮されていた日常。考えるだけで吐き気が襲った。気持ちが悪い。
携帯も電池が切れてから充電をすること無く床に転がっている。仕事で必須だったはずのそれは、ただの黒い塊と化してした。


「何か、食べなきゃ、」


そういえば最近食事をとっていない気がする。空腹を訴えているわけではないが、ぐるぐるとお腹のあたりの調子が悪い。
何か胃に入れなければ。ぐっと身体に力を加え立ち上がった。覚束無い足取り。ソファーや壁に手をつけゆっくりとキッチンへ向かった。


「……えっ…、」


その時だった。閉められていたはずの扉が開いた。
流れてくるヒヤリとする風の方向に視線を向けると、開いた扉から金髪が垣間見える。

―――…嘘、
息を呑む。臨也がその姿に目を見開くと金髪の彼――平和島静雄は、臨也、とだけ呟いた。








「なに、どうやって入ってきたの? びっくり、した。」


何も音がしなかったはずだ。オートロックなはずのこのマンションには鍵が無ければ入る事はできないはず。恋人という仲ではあったが家を行き来するのはいつも家主が居る場合が多かったために合鍵の交換はしていなかった。じゃあ、どうして、何で。


(シズ、ちゃん、)


久しぶりに見るような気がする金髪に目が眩む。静雄はいつもと同じような動作で靴を脱いでいた。
臨也はうるさいぐらいに脈打つ心臓に服の裾を握った。部屋を、寝室を見られたらアウトだ。バレてしまう。だめだ、それだけは、絶対に。臨也は隠れて息を呑む、静雄は至極穏やかな顔つきで言った。


「久しぶり、だな。」
「え、あ、あぁ。そう、だね。…ねえ、質問には答えて、くれないわけ?」
「ああ、エントランスに女が居てよ、開けてもらった。」
「女? ああ、波江さん、か…。」


たったの一週間だった。臨也と静雄が連絡をし合う事が無くなったのは。一週間だけだったが臨也は今が何日だかもうわかってはいない。一週間など久しぶりだと言う程ではない、だが静雄も話の切り出し方に頭を悩ませ、出てきた言葉だったのだ。

波江は何か用だったのだろうか、臨也は思考を巡らすが、ガツンッ!と頭を殴られたような痛みに思考が停止する。痛みに少し歪んだ臨也の表情に、静雄は心配そうな顔で手を伸ばした。


「……っ…あ、」


さっ、と咄嗟に臨也は身を引いて、伸ばされた静雄の手は臨也の黒髪を掠め、空を切った。
とす、と後ろの壁に背中がぶつかる。何、してんだ、俺。避けてどうする。
臨也は、つん、と鼻の奥が痛くなるのを感じた。顔が上げられない。静雄の表情を見るのがただた怖かった。


(シズちゃんは何も知らないんだ、俺がいつも通りに接すれは良い、そうだ。)


震えそうになる声を押さえ、紅茶でも飲むかと静雄に聞く。あー、と歯切れが悪い静雄の答えを聞くよりも早く、臨也は動きキッチンへと消えようと動いた。そんな臨也に静雄はとっさに腕を取っとしまう。掴んだ手首、細くなってしまっていたその手首に静雄は、え、と声を漏らした。

後ろからとっさに手を取られ、臨也は体勢を崩す。ぐい、と引かれる感覚にヒュッ、と息を飲んだ。フラッシュバックしたのは、



『 臨也 』



静雄の心配そうな声ではなく、あの、組み敷いてきた忌々しい男の声だった。べたべたと身体を舌が這う感覚が蘇る。耳元で囁かれた名前。臨也、臨也と何度も呼ばれたその声に全身の毛が逆立ち、触れられた手首を振り払っていた。



「――……嫌だっ!」



ぱしんっ、と乾いた破裂音が部屋に響く。
ぁ、と本当に小さな、ましてやあの折原臨也が出すとは思えないほどの震えた声に静雄は息をするのを忘れそうになる。揺らぐ赤い瞳。静雄の手を叩いてしまったことに気づき臨也は、はっとした。視線を泳がせ、臨也は冷静を装う。


「あ、ごめ、ん。最近ちょっと疲れて、て…」


ごめんね、と謝罪の言葉を口にしようとした瞬間、静雄が手に握られている物にその言葉は飲み込まれてしまった。


「……………なに、その、なんで、…シズちゃんが持ってる、の…?」


見る見る臨也の表情が青ざめていく。冷静を装わなければならないことはもうとうに忘れてしまっているようだった。


「なんで、その、封筒……ッ!」


静雄が握っていた封筒は、見覚えのある、あの茶封筒だった。前まで毎日のように手元にあった、あの。
カタカタと臨也の肩が震え出す。不安と恐怖が混じった瞳、濁った瞳をして臨也は静雄を見る。眉を寄せ、今にも崩れてしまいそうな程臨也は小さくなっていた。


「ねえ、シズちゃん、…何しに、来たの、」
「臨也、俺は…」
「中身、見たの?」
「――……、」


何か言おうとして静雄は口を開くが何も言わずにその口は閉ざされる。その反応は肯定的であった。臨也はくしゃりと髪の毛を掻き上げ、口元を歪ませる。乾いた笑いを溢し始め、それはとてもツラそうな表情だった。


「ハ、ハ、もしかしてシズちゃん、全部知ってるのかな? ああ、そうか、だから来たんだ。そうでしょ?」


クククッ、と何が可笑しいのか解らずに臨也は笑いを堪える事無く吐き出していく。


「ねえ、中身、なんだった?」
「臨也、聞いてくれ。」
「俺の写真だったでしょ? 俺の日常の写真だった? それとも、俺の、」
「…臨也ッ!」


聞く耳を持たない臨也に痺れを切らし、静雄は臨也の右肩を掴んだ。怒りに任せたその力は強く、勢い余り肩が壁にぶつかる。一瞬臨也の顔が痛みに歪んだと思うと、すぅ、と無表情になった。紡がれた言葉も、冷静でとても冷たい。


「…気持ち、悪い。」
「おい、」
「俺、気持ち悪いでしょ?」
「何でだよ、気持ち悪くねえ。」

「だって。 俺、他の男と寝たんだよ?」


――…俺が、誘ったんだ。
肩を握る静雄の手が一瞬怯む。赤い瞳が細くなり、臨也は笑った。ね、気持ち悪いだろ。そう言う臨也に静雄は再度肩を握る力を込める。離さない、とでもいうように。


「臨也、俺は手前と話しにきたんだよ。」
「ふふ、違うよ。シズちゃんは俺に確かめに来た。だってシズちゃんは知ってるんでしょ? 見たんでしょ? あははっ、気持ち良かったよ? 気が狂うかと思ったぐらいだ! いっそのこと狂ってしまえば良かった! あは、は、…違う? 違う、でも、俺、違うのに…ッ…!」

「―…聞けってッ!」


頭をぐしゃぐしゃと掻き抱え込む臨也の両肩を掴む。
持っていた封筒がカサリと床に落ちる。もう封筒などどうでもよかった。あれはエントランスで波江に郵便物だと渡されただけ。確かに中身は写真だろうが、もう興味が無かった。臨也を一目見た瞬間、静雄の中で“仕事で寝た相手にストーカーされている”という考えは消え失せていた。窶れ、顔が青白くなり小さくなった臨也を見て、静雄は自分が今まで動かなかった事を悔やんだ。

がっちりと両肩を掴む。壁に押し付ける形になるが臨也は顔を伏せたままだった。おい、臨也。静雄は至極優しい声をかけると、黒髪の分け目からぽろりと涙が伝うのが見えた。


「いざ、や…?」
「ハ、ハ、違うんだよ、シズちゃん…、ねえ、信じてくれる?」


――…俺を信じられる?
涙で濡れた睫毛が揺れた。絶え間なく赤い瞳からはぽろぽろと涙が伝い、床に零れる。

臨也はもう、好きだ、とは言えなかった。他の男に中に出して欲しいと懇願し、挿れて欲しいとせがみ、気持ちいいと腰を振った。そんな人間が今さら好きだと、愛してるんだ、とそんな言葉は綺麗事にしか聞こえなかった。ねえ、シズちゃん、その後に続けられてきたはずの“好きだよ”という言葉は紡がれる事はない。
何かを訴えるような瞳に静雄は臨也を静かに抱き締めた。

臨也は静雄の背中に手を回すことさえ出来ずに、ただただ抱き締められ、静雄の胸の中で一週間ぶりの眠りについた…。




(20110106)

20110121→加筆修正

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