世界は僕を手放した | ナノ



暫くの間、臨也は濡れた床に座りシャワーをただ浴び続けていた。排水溝に集まる泡と抜けた髪の毛と、吸い込まれていく水を濁った瞳が見つめていた。


(ああ、早く、出なきゃ、)


臨也は思い出したようにシャワーを止めた。壁に手をつきながら、お風呂場から這い出る。漁るようにバスタオルを掴み身体を拭いた。

ふ、と携帯のディスプレイが点滅している事に気がつく。新着メールを開くと、平和島静雄の名前が飛び込んできた。ビクリ、と臨也の肩が揺れる。だが内容を見た時、臨也の瞳にまた涙の膜が覆った。


家に行ったが居なかったから帰る。連絡つかねえの、やめろ。心配すんだよ。


どうして、と臨也は思う。どうして自分は静雄に行われたこの行為がバレてしまう事を恐れているのだろう。ここは知らぬ男に犯された事を告白し、彼の胸で泣いてやるのが普通なのではないだろうか。それができないのは、


「…俺が、言ったからだ、」


入れて欲しい、と。男に犯して欲しいとせがんだせいだった。自分の中で引っ掛かりになっていること。泣きつけない理由。臨也のプライドが、静雄に助けを乞う事ができない大きな理由だった。


「いれ、て……」



「くそ、ったれ…!」

あの時の声が反響する。自らのものとは思えない程の甘い声、乱された記憶。屈辱的だったはずなのに、あの時は強い刺激に気持ち良い、という事しかわからなかったことが臨也は許せなかった。

心配するだろ、と書かれたメールに胸が痛む。犯された事など、犬に噛まれたものだと思えば良い。臨也は自らに言い聞かせた。

今まで着信も無視し続けているのだ、流石に返信しなければ怪しまれる、と臨也は焦った様子で指をボタンの上に置いた。その時だった。ゾッとした。自分は今、何を思った?


(怪しまれる、って何だよ、)


静雄とは恋人同士だ。怪しまれるだなんて、何を考えているのだろう。臨也は自らの考えにショックを受けるが、静雄に告げられない事は、隠すという事は事実だった。隠さなければならない事だ、これは。


(俺は、どう、すればいいのだろう…、)


言えない。言いたい。隠さなきゃ、隠したくない。臨也は不安そうに顔を歪めた。



静雄に返信をして、携帯を閉じると他の部屋からガタッと物音がした。脳裏に過るあの男の姿。まさか、と臨也は嫌な汗が流れた。汚れた服を洗濯機に投げ込み適当な服に着替え、急ぎ足で洗面所を出る。下を見れば、丁度出勤してきた波江の姿があった。臨也は脳裏に浮かんだ者の姿でなかった事にほっと息をつく。


「あら、居たのね。……こんな時間にシャワー?」
「…ああ、うん。昨日は夜遅くまでやってたんだよね。」
「珍しい事もあるものね。」


だるさを感じる腰を押さえつつ一階へと向かうと、波江は不審そうに臨也を見たが何も言わなかった。臨也は苦笑いを溢して、ソファーへと腰を落ち着かせると、波江はコーヒーを淹れるわ、とキッチンへと立つ。出されたコーヒーの香りと、信用できる人ができる安心感からか、どっと眠気が襲ってきた。


「……波江さん、」
「何かしら。」
「資料が散らかってるから寝室には入らないでくれるかな?」
「わかったわ、」


寝るの?波江の問いにうん、と短く返すと、ふわふわとした意識の中、臨也は金色の輝きを見つけた気がした。









ヴーッとポケットの中で携帯がバイブしメールが届いた事を知らせる。静雄は帰路の途中、自宅アパートはもうすぐそこだという所まで帰って来ていた。鳴った携帯を取りだし確認すると、漸くぶりの臨也からの連絡に引っ掛かっていたものが緩んだような気がした。


『ごめん、今まで仕事だったから電話もメールも気付いてたけど返せなかった。穴埋めはするよ。』


心配ありがとう、と最後に書かれた一文に口元が緩む。なんだ、感じていた違和感は杞憂か。と静雄は胸を撫で下ろし短文だが返信を送った。だが、束の間の安心だったのだ。


「……あ?」


自らのアパートに着いて、集合ポストを確認すると、自分の家のポストに茶封筒が入っているのがわかる。抜き取ってみると、平和島静雄、とだけ書かれている表面。差出人の名前は無かった。名前が書いてあるならば間違って投函された訳でないのだろう、と静雄は眉を潜めたが自室へと持ち込む事にした。
印が無い事から差出人は直接静雄のポストにこの茶封筒を入れた事がわかる。重みと手触りから爆発物でも刃物でも無さそうだった。
部屋に入ってチェーンをかけてから、封筒をビリビリと遠慮なく破くと、そこから出てきたものに静雄は目を見開いた。


そこには。

その写真には、角度的に顔が見えない男と性行為をする、淫らな格好をした臨也の姿があった。


「何だよ、これ…」


何枚も何枚もアングルが違う写真が封筒には入っていた。どれも相手の男の顔をしっかりと確認できるものは無かったが、結合部がはっきりと写り出されているものや、臨也は必死にねだっている場面がおさえられている。
静雄は突き付けられた現実に、頭が追い付いてきていなかった。理解できるはずがない。恋人である臨也は、他の男と寝ていたのか?

ありえない、と静雄は直ぐに否定する。こんなものは作り物で紛い物だ、と。


(そうだ、こんなもん冗談に決まってる。俺と臨也がつるむ事を良く思わない奴、が………ッ!)


静雄は鼻で笑いながら、持つ写真をすべてゴミ箱に投げてやろうと手を振り上げた、とき、視界の端に入った数字。確認してみると、そこには撮影した日付が記されていた。


「今日、かよ…!」


見間違いと今日の日付を勘違いしていなければ、書かれている日付は今日だった。静雄の中で、不安定に形どっていたものの輪郭が鮮明になってくる。とっさに携帯を開いて、先ほど来た臨也からのメールを見た。


「仕事、だよな…そうだよな…?」


出なかった電話、繋がらなかった電話、返信の無いメール。昨日も仕事があるからと終電が無いのを知ってて帰ったはずだ。仕事だったんだろ? 静雄の中で、不安だけが募っていく。まさか、臨也は、


他の男と関係を持ってるのか?


嘘だと言いたくも、目の前にある写真達がそれを言わせてはくれなかった。




(20101128)

20110121→加筆修正

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