A melody of love. | ナノ




練習室はグランドピアノが一台入りきり、楽譜台を置いても尚、高校男児が二人入りきり走り回れる程度の広さがあった。

「だかさ、何でいつもそこで音を下げちゃうのかなー!」
「うっせえな! こっちの方がいいだろうが!」
「楽譜通りに弾けないのにアレンジなんて百年早いんだよ!」

あれから、臨也は毎日のように放課後、練習室に現れた。静雄は毎日練習を見てくれるとは思っておらず、嬉しい反面、門田から聞かされた言葉が引っかかり、疑問も感じていた。

臨也の指導は的確で、ヴァイオリンを片手に静雄が少しでも音を外せば鋭く指摘し何度も何度もやり直させた。時には自身のヴァイオリンで弾いてみせたり、弓を持つ静雄の手を補助したりと積極的に指導していく。だがスパルタといえる練習内容に、頼んだのは静雄自身だったが時間が経つにつれ苛立ちが募っていた。

「ああもう! うっせえな! だったら手前が弾いてみせろよ完璧にッ!」

ついでてしまった言葉に、しまった、と静雄が思った時は既に遅かった。臨也は表情の無い顔で静雄を見つめる。それは睨んでいるのとは違うもの。読めない表情に焦り、言い過ぎたと静雄はばつが悪そうに頭を掻いて謝罪を述べようと口を開いた瞬間、臨也はぱちんっと軽い音を立て自身のヴァイオリンケースを開けた。

「ちゃんと聴いてなよ。技術は盗むものって言うだろ?」

静雄が呆けている間にも臨也は弓を静雄に向け、口元を少し吊り上げ、ヴァイオリンを構えた。すらりとした立ち姿。そっと瞳を伏せ、臨也は弓を弦に落とす。始まる旋律。動く指、腕、揺れる睫毛。静雄は臨也の全てに集中した。例え文句を口にしても巧くなりたいという欲と、折原臨也の演奏をこんなにも間近で見る事ができる喜びが全身を駆け巡った。

まずはアンダンテ、だんだんとテンポを上げてアニマート。風よりも早く、美しく流れるように弦の上の弓が踊る。コードを駆け抜けプレスト、そしてプレスティッシモ!
走り抜けるように弾き終わり、息をするのさえ忘れてしまう程に圧倒され、酔いしれた。静雄は喉を鳴らし唾を飲むと自身の握るヴァイオリンを見つめる。俺もこれほどの演奏者になりたい。

「シズちゃんは圧倒する力は十分だと思うよ。姿も綺麗だし、あと足りないのは、」
「技術、か。」
「そう。シズちゃんには圧倒的に技術が足りない。指だって固いし、音楽の意味を捉えてない。まずは楽譜通りに弾けるようにならなきゃ、何も始まらないよ。」

静雄はぐっ、とヴァイオリンを握り締め、再度構えた。楽譜を一瞥し、弦を押さえる。ふとその時、真剣な眼差しで静雄を見る臨也の顔が視界の端に見えた。視線を向けると一瞬にして眉をひそめられた。

「……なに。」
「…あ、いや別に。」
「じゃあさっさともう一回頭から弾いてみて。」

慌てた様子で静雄はヴァイオリンを構える。技術が乏しい静雄は練習あるのみといった状況なのだ。
さっき臨也から言われた事を頭の中で復唱する。圧倒する力はある。あとは技術。姿も、え、すがた?

「………姿もきれいって、どういう意味だ?」
「立ち姿が綺麗って意味。 背筋も伸びてるし、まあ、もともとシズちゃんは身長があるぶん有利だよね。印象がすごく美しいんだよ。」

臨也が至極当たり前のような口調で、だがそれは優しい瞳をしていた。静雄は、立ち方については何も指摘されてない事に気が付く。見よう見まねでヴァイオリンを構えてから、プロの経験がある臨也に教わっても何一つ指摘されなかった唯一の事柄。褒められたのだと気付いて、静雄は少し頬を赤らめた。臨也のそれは見たことのないような、柔らかな表情だった。
静雄はヴァイオリンを見据え、よし、と息をつき再度旋律を奏で始めた――…。










日も暮れ始め、外の空が茜色に染まっていた。臨也は弾き続けた静雄に続きは明日にしようと声をかけ、ヴァイオリンを片し始める。まだ時間はある、まだ弾けると静雄は臨也を呼び止めたが、未だ慣れないヴァイオリンを長時間弾いても指を痛めるだけだと告げられた。その言葉にはさすがに反論できず、静雄も渋々ヴァイオリンを片付けた。

ヴァイオリンを片付けている臨也に静雄は質問を投げ掛ける。それは、門田から聞かされてからずっとひっかかっていたものだった。

「手前はヴァイオリン、好きなんだよな?」
「何その質問。よくわかんない事を聞くんだねえ。」
「……何が嫌で、プロを辞めたんだ?」

コンプレックスでもあるのか? 静雄が純粋な気持ちで問い掛けると、臨也のヴァイオリンを片付ける手がピクリと止まった。

「……なんで?」

どうしてそんな事を聞くの? 臨也は少し苛立っているようで、乱暴にヴァイオリンをしまったケースを持ち上げた。

「門田から聞いたんだ。」
「ドタチン? 何でドタチン…ああ、シズちゃんもC組だっけ。友達になったんだ。」
「門田から、手前の前ではヴァイオリンの話はすんなって言われてよぉ、でも手前は今こうやって俺にヴァイオリンを教えてくれてる。……よくわかんねえんだけど、手前は、嫌いじゃないから、好きだからヴァイオリンをやってるんだよな?」
「さあ、どうだろうね。」

臨也の態度の急変。この話題を避けているのがわかる。嫌がっているのがわかるのに、静雄は質問するのをやめなかった。

「嫌いだったらわざわざ音楽科には行かないだろ。ヴァイオリンだって捨てるだろし、練習室なんて来ねえよ。」
「…………そうだねえ、」

ドタチンも余計な事を言ってくれるなあ、と臨也は顔を伏せる。コンプレックス。コンプレックスかあ、とぼそぼそと呟いた。あまりに小さくなった臨也に静雄は聞いてしまった事に後悔する。

「やっぱ、いい。悪かった、」

あー、と静雄は唸ってガチャガチャとヴァイオリンを片す。帰ろうぜ、と臨也の肩を叩くと何も言わずに静雄の少し後ろを歩いていった。


morendo
(絶え入りそうに、彼は静かに歩んでいた)



(20101125)




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