A melody of love. | ナノ



 五月も半ばになると、気温が上がり始め、半そでの服でも寒いと感じる事がなくなるほどとなってきていた。そろそろ衣替えの季節となり、来神高校の制服も半そでへと変わっていく。
担任教師が、制服の用意をしておくように、と一言添えてホームルームを終わりにすると他の生徒達が教室を出ていく中、静雄は立ち上がり、支度をしている門田の前に立ちはだかった。
 静雄は門田へと詰め寄り、必死に頼み込み始めた。門田の肩をぐっと掴み、頼む頼む、と何度も繰り返す。それは臨也から聞いた「門田はピアノを弾く事ができる」という事からだった。

「いや、無理だ。ブランクがありすぎる」
「練習すれば大丈夫だ! 弾けるなら頼む、コンクールに出たいんだよ」

 静雄が必死なのもわかる。コンクールはひとりでは出られない。
だが音楽家の生徒、そして教師が集まる中で自分のつたないピアノの音を披露できるほど門田は勇気を持っていない。
 それは逃げている≠ニいう訳ではない。
 門田がピアノを習っていたのは中学一年までだ。それからも趣味として自宅にあるグランドピアノを弾く事があったが、今では一ヶ月に一回、二回ある程度だ。ガチガチに練習していたのはもう三年ほど前の話で、ヴァイオリンと会わせて弾けるほどの技術は無くなっているだろう。

「お前の力になりたいとは思うが、下手な音を出してまで、お前と合わせたいとは思わない」

 門田のはっきりとした言葉に静雄は何も言うことができない。嫌だと言われてしまえば無理矢理にする事はできないし、門田は静雄を思って言っている事もわかっている。門田には日頃から面倒をかけているのだ。静雄は頭があがらない。

「俺がピアノをやってたって臨也から聞いた、んだよな?」
「おう…門田はピアノをやっていて、押しに弱いからお願いしたら…やってくれるかもって…悪い」
(あいつ……)

 これは門田が静雄に対して個人的な事を告げ口した事への当てつけである。やはり臨也は敵にするといいことがない。
門田は自分の容姿からしてピアノをやっているようには見えないだろう事を気にしていた。昔からピアノをやっているなんて意外だと言われ続けてきた。そう、あの臨也にも驚かれたのだ。

『ドタチンはどんな音を奏でるのかなあ』

 臨也はそう言った。その言葉を聞き、一度だけ門田は臨也にピアノを奏でた事があった。臨也は門田の音色に耳を傾け、目を伏せていた。その時の事は門田も鮮明に覚えている。それから門田と臨也の間が親密になったのだ。
門田はヴァイオリニスト折原臨也を知らなかった。だからこそ臨也は門田に話をしたし、門田も偏見もなしに話を聞いた。

「臨也にはお願い、したんだよな」
「した、けどよお……全然駄目だった」
「人の事はいえないが、あいつも十分押しに弱いぞ。それか、取引だ」
「取引?」

 門田はにっと笑って、ゆっくりと口を開いた。





 ホームルームを終え、臨也が教室から出ると、そこには静雄が待ち構えていた。ぎょっとして思わずその場に立ちすくんでいると、静雄は大声をあげてある宣言をし始めた。

「ボッケリーニ、メヌエット! 俺は今日から三週間でこれを暗譜して完璧に弾けるようになってみせる! いいな! 俺ができるようになったら! 一緒にコンクールに出てもらうからな! 臨也! 手前に拒否権はねえ!」

 静雄は息継ぎも無しにそう言い切ると、臨也の回答も求めずそのまま走り出した。言い逃げもいいところだ。
 はっと少し遅れて臨也は我に返り気が付けば静雄を追いかけていた。背中に背負うヴァイオリンケースが音を立てるのも気にせず走り、昇降口で靴を履いている静雄を発見する。おいこら、と声をあげて怒鳴ってやろうと口を開いた時、臨也は静雄の表情を見てしまった。
 わくわくとした、興奮しているような表情。火のついたような瞳をしていた。その瞳はやる気に満ち溢れていた。やってやる、と言わんばかりの瞳に臨也は伸ばした手が止まる。靴を履いてそのまま走り出す静雄の事を呼び止める事ができなかった。
 ボッケリーニ、メヌエット。ヴァイオリンを始めて間もない静雄が簡単に弾けるものではない。未だに細かいところにブレがあり、自分勝手に弾いてしまう癖のある静雄には難しいものだ。

(三週間でなんて、絶対に無理だ)

 静雄は初心者の初心者だ。毎日練習するといっても普通科は音楽科と違い、基本教科が多い。普通の授業でヴァイオリンを触れる機会などなく、練習できるのは朝か、短い昼休みか、放課後にするしかない。そんな短い時間で、習得できるほど簡単なものではない。

(一緒にコンクールに出ろだって? ふざけてる)

 静雄の表情に、臨也は呼び止める事を止めてしまった。それはやる気に満ち溢れた表情に、少なからず期待してしまった。静雄なら、と思ってしまった。だがそれと同時にやる気だけでどうにかなると思っている姿に苛立ちを覚えた。
 けどこの感情の理由を知っているからこそ、苛立ちは募る。

「コンクールなんて、絶対にでない」

 もう人前で演奏はしないのだ、と臨也は強い決意があった。


scemando
(消えいくように、彼はそう吐き捨てた)



(20120520)


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