A melody of love. | ナノ



 ただいま。そう声をあげても、答えてくれる人は居ない。臨也はそのまま二階に上がり自分の部屋へと向かって行った。
 臨也はヴァイオリンをやめたい、と言ったあの日から両親とうまくいっていない。当然だ。両親は臨也に大きな期待を抱いて大切に育ててきた。それが本人の口からやりたくないのだと言われてしまっては、どう接していけばいいのかわからなくなるだろう。臨也もまた、親への罪悪感であまり口を利かなくなった。本当は独り暮らしをしたいと思っていたが、高校生で独り暮らしなどあまりにも早すぎる。お金だってかかるのだ。
 臨也の両親は仕事でいつも帰りは遅い。食事は作り置きか、外食かコンビニで済ます。それが日常だ。

『…俺は、手前の演奏が、好きだ』

 久しぶりにそんな事を言われた、と臨也は微笑を浮かべる。
 ヴァイオリンケースを床に置いて、自身も膝をつきそっとケースを開けた。中には昔から愛用しているヴァイオリン。撫でるようにそれに触れ、弦を弾いた。
 ピーン、と振動が耳の鼓膜を揺らす。
 自分の胸の中にある想いも共に振動し、その水面が消えるまで臨也は目を伏せた。








 入学式が過ぎて、一カ月程が経てばもう新しい生活にも慣れ、不便を感じる事はなくなる。時折静雄に捕まっては練習を見てくれとせがまれ、そして臨也は断れずにそのまま練習室へ。そんな日々が続いた。
 静雄はちゃくちゃくと腕を上げ、譜面通りに弾けるよう努力してきた。家でも練習しているんだと言う静雄は音から練習すら楽しんでいるのはわかる。臨也も手を抜く事なく指導していった。
 そうして今日もまた放課後に練習室へと引きずり込まれ、下手な演奏の指導をしていた時のことだ。

「学内コンクールに出たい?」
「おう。聞いたら普通科の生徒も出れるって聞いてよ。だったら出てみる他ねえだろ」

 学内コンクール。季節毎に開かれる大きなコンクールだ。音楽科の教師全員が審査員をし、出場者のランクをつけ、優勝者を選出する。学校にある大きなコンサートホールにて行われるそれは、学生だけではなく多くの音楽家もゲストとして呼ばれ、生徒の演奏を聴きに来る場所でもあった。確かにそれは参加自由とされている。だがそれは建前というやつで、出場する者は皆教師たちに推薦されているのだ。あのコンサートは生徒たちがデビューするための一歩として利用されているのだ。
 そんなものにヴァイオリンを初めて一カ月の者がでるなんて。

「未だちゃんと譜面通りに弾けない癖に何言ってるんだか」
「練習の成果を出す場所だって必要だろ」
「まだ早いって言ってるんだよ。恥をかくだけだ」
「あ?」

 臨也の言葉が鼻に付いたのか静雄は眉間に皺をよせ、吐き出された声もいつもより低い。自分の演奏を恥じて壇上に立つ者はいない。臨也の言葉は始めから静雄の演奏を否定したようなものなのだ。
 一瞬冷たい空気が流れる。はあ、と臨也が息を吐き、それに、と言葉を続け、その言葉に静雄は耳を疑った。

「コンクールはアンサンブルだ」

 アンサンブル。音楽用語で二人以上が同時に演奏すること。 合奏、 重奏、合唱、重唱の意味、あるいはそれらの団体の意味にも用いられるものだ。要するに、一人では参加できないという事である。

「じゃ、じゃあよ、一緒に、」
「絶対に! 嫌だ! なんで俺が!」
「今まで教えてくれたんだし、いいだろ別に!」
「嫌。俺はコンクールなんて出るつもりが、まず、無い。他の人にでも声をかけなよ。まあシズちゃんに一緒に演奏してくれる友人が居るとも思えないけど」

 棘のある言葉を吐き捨て臨也は自分のヴァイオリンを片し始める。確かに臨也の言う通りで、静雄は音楽科に臨也以外顔なじみが居ない。臨也に断られてしまっては当てがないのだ。

「ほら、もう帰るよ」
「ああ、やっぱり出てぇよ…」
「別に今回だけじゃなくて何回もやるんだからいいだろ次回で」
「次回は一緒に出てくれンのか」
「冗談。せめて暗譜して、譜面通りに弾けて、表情が硬くならなくなったらね」

 それにはきっと一年以上かかるであろうが。臨也はそれをわかって言っている。要するに、これからも一緒には弾かないと言いたいのだ。
 悔しそうに静雄はああくそと悪態をつく。覚えたての事を披露したくなる気持ちもわかる。だが、この学校の生徒、音楽科の生徒はみな音楽を嗜んでおり、レベルが高い。そんな世界なのだ。お遊びではない。静雄も遊びでやっている訳ではないのだが。

「ああ、そうだ。確かドタチンが」
「門田?」
「ドタチンってピアノが弾けるんだよ」

 少し意地悪をしてやろう、と臨也は思った。静雄に己の事を話した門田への仕返し、というやつだった。アンサンブルは別にヴァイオリン同士でなくてはいけない訳ではない。相手がピアノでも、トランペットでも、フルートでもいい。二人でなくたっていいのだ。つまり、臨也の言葉というのは。

「ドタチンって押しに弱いから。お願いしたら引き受けちゃうかもね」

 落ち込んでいた静雄の瞳が一瞬にして光を帯びたのを、臨也は見逃さなかった。



schmchtent
(思い悩む、彼にとってその言葉大きな希望だった)



(20120211)


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