音を失ったならば、 | ナノ





いつものコートを羽織って、マンションを出る。
いつもと変わらない、日常。
唯一違うとすれば、


「―――…、」


声を失った、という事だけだった。
治る可能性は秘められているけれど。



を失ったならば、



コートを羽織りフードを深くかぶり、臨也は席を立つ。その姿を波江はどこかに行くつもりなの、と目を見開いた。ポケットにしまった携帯を取り出し、池袋、とだけ打ち込めば呆れた、と波江はつぶやいていた。


「どれだけ好きなのよ、貴方」


自分が何をされたかわかっているの?
苛立ちが込められてた声に臨也は肩を竦める。殴られに行くなんて死にたいのかしら、ぴしゃりと言い放つ言葉は臨也を思っての言葉だろう。だが臨也の想いは強く、また携帯に文字を落ち込み波江にそれを見せると、苦笑した。
いやいや、君の弟愛には負けるよ。
そう言う臨也に波江は一緒にしないでちょうだい、と視線を外したがこそ声はどこか優しいものだった。








(いた…)


60階通り。人ごみの中、頭ひとつ飛び出している金髪を臨也は捉えていた。
そこにはいつもと変わらない静雄の姿があった。隣にはドレットヘアの上司、時折肩を揺らすのは笑い話でもしているのだろうか。臨也はフードに手をかけ黒髪を露にするとその後ろ姿を見据えた。
変わらない一面に、一歩を踏み出すがそこでふと気がつく。変わってしまったのだ、自分は、と。

少しの距離。だが人ごみの中であるためか、静雄は臨也の存在に気がつくことなく歩を進めていく。いつもなら、池袋に来るなと声を荒らげ殴りかかるはず。臭いのだ、という理解不能な嗅覚で絶対に臨也を見つけ出していたはずなのに。


(シズちゃん、)


やあ、シズちゃん。今日も身体に悪いジャンクフード食べるつもり? お金が無いって大変だねえ!
大袈裟に肩を竦めて言えば青筋を立てて野太い声を上げる。それが普通だったはずなのに。


(シズちゃんは俺が声かけなきゃ気づかない)


こんな近くに、大嫌いなノミ蟲くんが居ても。
一定の距離を保つように進めていた歩も止まり、どんどんと静雄の背が遠くなる。虚無感だけが身体を震わせ、くしゃりと顔を歪ませながら臨也は足早に池袋を去ろうと背を向けた。
声を失ったのは静雄の仕組んだ事だというのに、何をのこのこと姿を見に来ているのか。
波江に言われた事を今更ながらに実感し、数分前の自分を呪った。どうして自分は未だ静雄のことが好きなのか。


(帰ろ、)


鼻の奥がツンとする。歪む視界に乱雑に裾で拭いながら、臨也は走った。


(だから、泣くなって)


言い聞かせるように臨也は繰り返し駅に向かう。ふと立ち止まり後ろを振り返れば、もうそこに静雄の姿も無かった。
ばいばい、シズちゃん。






***





「…あ?」
「どうしたよ静雄」
「あーいや、すんません。今…、」


ふと名を呼ばれた気がして静雄は振り向くが、そこにはごったがえすひとの群れだけ。気のせいだったのかと首を傾げていると、何だべ、とトムは不思議そうに静雄の顔を窺った。


「なんだなんだ?また何か臭うんか?」
「えっ、いや…なんか違う感じっす」


自身でもよくわからない感覚に静雄は首を捻る。名前を呼ばれた気がした。ふと、耳に何かが。そこまで考えた時、それは静雄というちゃんとした名前ではなく気持ちの悪いあだ名を呼ばれたような気がしたことを思い出す。


(臨、也……?)


疑惑が確信へと変わる。それは、昨日のことを思い出すのに充分なキッカケだった。
まさ、か。
静雄は息を呑んだ。まさか、まさか、まさか!
自分のした事に視線を泳がせていると、トムの心配そうな声すら頭に入らない。そんな時、ポケットの中で息苦しく携帯が鳴った。ディスプレイに表示された名前に静雄は無心で通話ボタンを押していた。


「新羅…」
『臨也は? そこに居るかい?』


新羅からの電話。名を呼ばれた気がしたあの時。
「シズちゃん」と。そんなバカみたいな呼び方をする人物はひとりしか居ない。

――…臨也。

冗談半分で、興味本位で行った事が。まさか、まさかそんな。今の今まで俺自身、アイツにした事を忘れていたというのに。
静雄が言葉を失っていると新羅は一拍置いて、臨也は居ないんだね、と落ち着いた声で言った。


『…よかった。知らない君は躊躇いもなく臨也を殴ってそうだ』
「アイツは、」


携帯を持つ手が、震えた。
わかっている事だったが、静雄は確かめるように聞くと新羅は諭すように呟いた。


『君の思い通りになったよ』


ぐらりと視界が揺れたような気がした。
無くなれば良いと思った。やかましくて、人の勘の障ることばかり並べ立てるあの口を塞いでやりたかった。
だけど、なんで俺はこんなにも後悔している?どうしてこんなにも、


「俺、…コーヒーに、混ぜたんだ。昨日、アイツの家に行ったら、アイツ、普通にコーヒー出してきて。俺にだぞ。おかしいだろ。それで、隙をついてあれ、を、混ぜてやったんだよ…なんで、…あんな簡単に隙ができるなんて」
『静雄…俺は解毒剤をつくるので忙しい』


突き放すような言葉に静雄は黙る。搾り出すような声で新羅は訴えた。
私もやるべき事をやるから、君もすべきことをするべきだ、と。俺に言い訳を並び立てている場合じゃない、と。それから新羅は何も言わずに携帯を切っていた。
ぽつり、ぽつりと雨が降り始めアスファルトはグレーに染まる。トムさんは俺の肩をトントンと叩くと、今日は休みって事にしておいてやるよと苦く笑った。


「すんませっ…! ちょっと行ってきますっ」


だってこんなにも、アイツの声が聞きたい。




『シーズちゃん!』




雨あしは強まるばかり
(謝って、それから俺は―…)



(20100328)

うちのシズイザは周りからよく助けてもらうな。
やっと気づいた静雄くん。
ヘタレ静雄と乙女臨也…

20110425加筆修正

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