おうちにかえろう

そのまま元親と元就とは別れ、何も聞かなかった振りをして、コンビニで自分のティラミスと両親のプリン、それからついでに無くなりかけていたシャンプーも買わせて帰路に着く。
吉継こだわりのシャンプーはノンシリコンで一つ二千円はするものなので、その出費は案外手痛い。官兵衛は一週間分の昼飯代より多いだの残りの金が全部消えだのたと嘆いていたが、誕生日なのだからこれくらい買って貰ってもバチは当たるまい。
家に帰ると二人は仲良く食事の後片付けをしている最中で、いつも通り仲睦まじいその姿に安堵を覚える。手に持っていたシャンプーを見つけた吉継がよくやったと笑うのにつられて笑い、きっと大したことでは無いだろうと妙な余裕が生まれて冷蔵庫にデザートを収めながら両親に尋ねた。
「なぁ、“ゴンゲン”って誰のことか、知ってるか?」


その瞬間、和やかだった二人の雰囲気が一気に凍りつき顔が強張った。あからさま過ぎる反応に家康までが驚いて肩を跳ねさせる。
「・・・何処でその名を聞いた。」
やがて押し殺した三成の声が静寂を打ち消し、それに続いて吉継が苦々しげに唇を噛む。
「暗であろ。その呼び方をするのは、奴くらいしか居らぬ。」
あの馬鹿、と吐き捨てるように呟く姿は、普段の冗談交じりな揶揄とは打って変わって真剣そのもので、三成もぎりりと歯を鳴らすと自分の息子に向けるには強すぎる程の鋭い視線を浴びせながら詰問する。
「官兵衛に何を言われた。」
三成の真剣な瞳に気圧され、つい十分ほど前に聞いた言葉を必死で思い返す。彼は何と言っていただろうか。ゴンゲンに似ている・・・そっくりだ・・・いや違う、そうだ、確か。

「・・・ワシが、どう見てもゴンゲンだって。」
確か、そんな風に言っていた。

「忘れよ。」
「元就にもそう言われた。元親は怒ってた。」
早口でそう後に続け、顔を背けて吐き捨てた母の腕に縋る。
吉継はその言葉に不安に押し潰されそうになっている息子の心中を察したが、何も言う事が出来ずに自分より大きな体躯を抱き締める事しか出来ない。
「家康、良い子だから聞き分けてくれやれ。」
稀有な瞳は明らかに懇願しており、家康は母のその辛そうな表情にたじろいで思わず父に救いを求めようとそちらに視線を移す。
三成はむすりと不機嫌そうに黙っており、それはつまり普段と変わらぬ冷静さを取り戻したのではないかと思えた。が、その拳が微かに震えているのに気付いてしまっては、もうどうしようも無かった。
二人を悲しませたい訳でも、困らせたい訳でも無い。大人しく一つ頷くと、母の細い手に力が篭り、良い子良い子とまるで言い聞かせるように呟いて、今日はもう寝ろと父にそっと背中を押された。

部屋では先程貰ったばかりのパソコンが勉強机に置かれていて、吸い寄せられるようにふらりと歩み寄ると、無言でそれを起動した。調べたい言葉なんか今は一つしか無い。他にも色々とあった筈のやりたい事は全て後回しに、耳に残った音を思い出してゆっくりとキーボードを叩く。
“ゴンゲン”“権現”
自動で変換されたのはその漢字だけで、そのまま打ち込んで検索する。だがあまり期待はしていなかった。その名で呼ぶのは官兵衛だけ、と言っていたから、恐らく本名では無いのだろう。
検索結果にざっと目を通すと、その中に見覚えのある名が出てきた。徳川家康。自分の名前の由来らしいが、正直言ってあまり好きにはなれない。彼が天下を取るために、関ヶ原で倒した武将の名前は石田三成。そう、父と同じ名の武将だ。父は「息子はいつか父を越えるものだ」と言ってこの名を付けたらしいが、幾らなんでもそれはやり過ぎではないかと思う。
権現、に似ていると言う自分に家康と名付けたのは、果たしてそれだけの理由なのだろうか。

時計を見ると普段の就寝時間が迫っており、プレゼントを受け取ったその日に早速約束を破るわけにもいかず、普段より少し早かったが蒲団に潜った。
しかし、妙な胸騒ぎと高揚になかなか寝付くことが出来ず、長針が一回りした頃に水でも飲もうと起き上がった。ベッドから下りて一歩を踏み出したその時に、啜り泣くような母の声が聞こえて足が止まる。
悔しい、と呟くその音には怒りのようなものも混ざっており、音の粒が空気を震わせる度に一緒になって肌がぶつぶつと粟立った。
「あれは私達の子だ。忌まわしい過去とは関係ない。」
「解っておる・・・解っておるが、それでも辛いのよ。・・・どうして・・・。」

体中が一瞬で冷えて行くのが解った。
似ないながらに両親の子であると疑った事が無かったのは、幼い頃から聞かされていた話の所為である。結婚して二年目で生まれ、生まれる前から昼夜を問わず腹を蹴り、毎晩のように夜泣きをして手のかかる子であった。母子手帳を見せられながらそんな風に教えられ、まさか自分の出生を疑う者など居るまい。
しかし、今までぼんやりと感じていた違和感に決定打が与えられた。両親のどちらにも、いや、親族の誰にも似ない顔と体格に、それで説明がつく。

恐らく、母はその権現とやらに乱暴されて自分を身籠ったのだ。

彼女の浮気と言う選択肢は考えられなかった。二人は子供の自分が赤くなってしまうほど仲睦まじく、幼馴染同士であるにも関わらず、どちらの祖父母に聞いても一度も喧嘩をしたことが無いとすら言わしめた程だ。
そんな幸せな二人を、きっと誰かが。恐らく自分の遺伝子上の父親が、引き裂いた。
視界が歪んだが、両親に悟られる訳にはいかないと腹に力を込めて足を踏ん張る。こんなに自分を愛してくれる人たちを、これ以上悲しませる訳にはいかない。
擦り足でベッドへと引きかえし、頭の上まで蒲団を被ると声を殺して涙を流した。頬に当たる枕は濡れてどんどん冷たくなっていくにも関わらず、顔に集まる熱は簡単に引きそうに無い。
しかし高揚する精神とは反対に身体は激しい疲労感に襲われじわじわとその力を失っていき、いつの間にか両の目蓋は閉じられていた。