おうちにかえろう


友人の誘いを丁寧に断って大急ぎで家に帰ると、玄関の扉を開けた瞬間にふわりとした良い香りが胃を刺激した。おかえり、と響く声は一つだけで、自分の方が早かったのかと少しだけ勝ったような気分になる。
「またえらく早かったな。」
「学校からずっと走って来たからな。」
乱暴に鞄を置くと、小走りにキッチンへと駆け寄って小さな背中で艶やかな髪が揺れるのを眺めた。
「ヒヒ、何をしておる。早に手を洗いやれ。」
「三成は何時頃帰ると思う?」
「もう直ぐにでも帰るであろ。何と言ったって・・・。」
その言葉の途中で、待ち望んだ声がただいまと告げる。
「三成!」
「家康、手。」

玄関に向かおうとしたところでぴしゃりとそう窘められ、大人しく洗面所へ向かうと手を洗って口を漱いだ。するとそこにひょろりと縦に長い姿が現れ、狭い洗面所は大の男二人でぎゅうと狭くなった。
「三成、早かったな。」
「当然だろう。今日は貴様の誕生日なのだから。」
そう言いながら家康に微笑みかける三成の身長はともすれば扉につっかえてしまうのではないだろうかと思うほどに高く、鏡越しに中々伸びない自分の丈と比べてほんの少し劣等感を感じさせる。
しかしすぐにそんな暗い気分を振り払うと、吉継の元へと向かい大皿に盛られた料理をダイニングへと運ぶ手伝いを始めた。

「流石にちょっと多過ぎないか?」
皿の上にあるのは自分の好物ばかりだが、流石に両手に抱えて何往復もする量を三人で食べきれるとは思えない。嬉しいような困ったような表情で眉を下げると、吉継が唇を尖らせてその理由を明かす。
「毛利達が来ると、夕方に電話が掛かってきやったのよ。全く、折角の水入らずを何だと思っているのやら。」
ため息が家康の耳を擽るのと同時に、手洗いとうがいを済ませた三成が戻ってきて私は許可しない!と騒ぎ立てる。
「ワシは誕生日プレゼントが増えて嬉しいぞ!」
だがその怒りも、にこにこと微笑んでそう言う家康の顔を見れば萎んでしまったようで、今夜の主役による鶴の一声に、勝手にしろと言う受諾を示してスーツを片付けに寝室へと消えて行く。部屋に入る直前、邪魔が入る前に先に三人だけで誕生日を祝おうと呟いた三成は、居間に戻って来る際に鞄の代わりに大きな箱を抱えていた。
「誕生日プレゼントだ。」
そう言って出されたのはノートパソコンで、今までは二人の使って居ない隙を見計らってゲームやらチャットやらを楽しんでいた身としてはこれで気兼ねなく動画が見えるとほくほく顔で真っ白な機体を眺めまわす。
「言っておくが、変なサイトにアクセスするんじゃないぞ。」
「それと、くれぐれも夜更かしはせぬようにな。」
二人は勿論、そう念を押すのも忘れずに。

「解ってるよ、父さん、母さん。」
こんな時ばかり調子の良い、と言いながらもその口調に含まれているのは優しい呆れだけである。
それに、呼び名の事に関しては三成と吉継の二人にも非があると言わざるを得ない。家康が生まれる前から、そして生まれた後も互いをずっと名前で呼び合っていたため、すぐ傍でそれを聞いて育った息子が親の真似をして彼等を呼ぶようになってしまったのだ。
親を呼び捨てにする身ではあるが、高校生になった今でも反抗期のはの字も訪れる気配が無く、むしろもう少し親離れ子離れをした方が良いのではないかと周囲に苦笑される程、親子は仲が良かった。

やがてチャイムの音が三人の居たリビングに響き、家康が満面の笑みを浮かべながら玄関に向かう。
案内役の息子に続いて、元親と元就、そして官兵衛が入って来た。机いっぱいに並べられた料理を前に、元就の目がぎらりと光ってメインは揚げ物かと唇を舐める。
「おいおい早速かよ。それより先に言う事があんだろ。」
「そうそう、家康誕生日おめでとさん。」

元就からはブランド物の洋服、元親からはバスケットシューズをそれぞれ受け取り、最後に官兵衛に向かって手を伸ばすと、彼は何も持っていない掌をひらひらと振ると開き直るように笑った。
「まぁ当日まで待て、小生今給料日前なんだ。」
「何を言っておるのよ。今日がその当日であろ。」
一斉に突き刺さる視線は皆一様に吉継と同じ言葉を述べている。官兵衛は「誕生日って来週じゃなかったのか」と相変わらずのうっかりを見せて、三成に食事抜きを宣告されなぜじゃと嘆いていた。


結局、数分のお預けの後に無事夕食にありつけた官兵衛は、帰り際、日付を間違えた詫びにコンビニで何か買ってやろうと玄関まで見送りに出た家康を手招いた。
日中はまだまだ半袖で過ごせる季節とは言え、秋の訪れを感じさせる夜は肌寒い。家康は気に入りの黄色いパーカーを羽織ってから喜び勇んで三人の後に続く。
元親の隣に並んで学校の事をあれやこれやと話していると、すぐに青色のライトが目に入った。唐突な訪問には驚いたが、本来ならば忙しい彼等と会える機会はそう多くない。名残を惜しむように、自然と歩みは遅くなった。
今日送られたプレゼントだって、甥や従兄弟ならまだしも友人の子供に贈るものにしては少々豪華過ぎる。生まれた時からずっとそんな風であった為に今まではさして気にしていなかったが、最近になって何故ここまで自分を可愛がってくれるのだろうとふと考えた。しかし理由なんて分かる筈も無く、最終的にはきっと両親の人望であろうと適当に考えて一人で納得していたが。

「しかし、ガキの頃は解らんかったがこのサイズになるともうどう見ても権現だな。」
しみじみと口走った官兵衛の声を特に気に留める事も無かったのだが、元親が顔色を変えて官兵衛の腕を掴んだのに驚いて背後を振り返った。官兵衛の隣を歩いていた元就が舌打ちをして二人を睨みつけ、官兵衛が慌てて謝罪する。
「あ、いや何でもないんだ。忘れてくれ。」
ぼんやりとした頭は、そこで漸く今の言葉が自分に向けられたものだと気付いてその不可解さに首を傾げた。
彼は母の事を妙な渾名で呼ぶ。なればあれは父の事であろうか。いや、そんな筈は無い。自分と三成は、己でも笑ってしまうほどに似ていない親子であると自負している。ならば“ゴンゲン”とは一体誰なのか。


父と似ない姿を、初めて恐ろしいと思った。