父と母

名前とは親が我が子に一番初めに送る愛の証なのだそうだ。だとしたら、それすら与えられなかった私は果たして一体何なのであろうか。召し使いと言う意味を表す『丁』などと言う名前は、まさか両親が付けたものでは無いだろう。
奴隷なのか道具なのかよく分からないまま、それでも真面目に働けば道は拓けると信じて生きた末に生け贄として短い生を終えた。

もしも、もしもあの世があるのならば。
だがその小さな身体中にはち切れそうな程詰まっていた強い怒りは、残念ながら鬼として生き返る時に殆ど無くなっていた。子供の死体と沢山の鬼火が混ざった際、彼の抱いていた感情は随分と薄められてしまったのだ。

本当にそれで良かったのかは解らなかったが、お陰で丁は鬼となってから誰彼構わず生者を襲うなどと言う事もせず、同世代の鬼を相手に子供らしい遊びも覚えたのだから、結果として少なくとも悪くは無かったのであろう。
丁の周りに居た鬼達は皆優しく、彼らとじゃれあう間は、残っていた恨みや怒りも忘れて年相応の子供の顔で髑髏を蹴り飛ばす事が出来た。
生きていた頃が比べ物にならないほど楽しい時間は、ある時声を掛けられた事によって中断されてしまう。

「ぼうやたち。」
振り替えるとそこに居たのは巨大な体躯をした一人の亡者で、丁は亡者じゃないか。と、思わず舌打ちをしそうになった。
亡者は死んだとは言えつまりはただの人間で、若くて綺麗な鬼を追いかけたり、酒を飲み過ぎて暴れたりと、生きている間と変わらず迷惑な事ばっかりする。
さて一体こいつは我々に何の用なのだろう、もしも幼児趣味の変質者だと言うのなら、鬼の恐ろしさをその身にたっぷりと教え込んでやろう。

だが、そんな丁の決意とは裏腹に、男は穏やかな声と態度で何か困っている事は無いかと尋ね、亡者が好き放題をして困っていると仲間が告げれば、何とかそれを解決させようと思案すらして見せた。
そして。

「丁って召し使いの事じゃないか、改名しなよ。」
初対面にも関わらず、立派な髭を握り締めて引っ張ったこのクソガキ様に、一体どんな刑罰が下されるのだろうかと内心で丁が嘲笑った後。
「鬼火に丁なんだから、鬼灯てのは?」

与えられたのは、名前だった。初めて与えられた、愛の証だった。

「君も、死者を導いてあげてね。」
大人の肩に乗ったのはその時が初めてで、やたらと嬉しかったのを覚えている。
彼の願いを聞かせて貰えた。その中に私も混ぜてくれた。ならばその願い、私が先陣を切って集めるべきでは無いのだろうか。

死んでしまってから生きる目的と言うのも可笑しい話だが、とにかくこれからの指針が見付かった。彼の手伝いをしたいという気持ちを胸に、海を越えて大陸に向かい、国に帰れば学んだ事を生かして懸命に働いたのは、少なくとも黄泉の国に対する感情からだけではない。
第一補佐官にと言われた時は本当に嬉しかった。初めて努力が認められたのだ、当然だろう。
だから、今大王のお母さんみたいだと言われる事は実はそんなに嫌な思いもしていない。ただ、贅沢を言うのならそう。

貴方の息子は優秀だと、願わくばそう言われたいんだ。