絆のままに我儘に僕は君だけを傷つけない

目が覚めて一番初めに感じたのは、腕の痛みであった。
(ぬかったわ・・・。)
次いで歯軋りをしようとしたところで、口に布を噛ませられていることに気付き、これでは自害もままならぬと諦めと怒りの混ざった感情を胸に抱いて周囲を見回す。
見覚えの無い天井と床、しかし鼻腔には懐かしい香木の薫りが流れ込み、この場所が何処なのか・・・少なくともこの場所を用意した人間が誰なのかについては即座に合点がいった。

「起きたのか、刑部。」
嬉しそうな声が耳に纏わりつき、吉継は不快感を益々露わに眉を寄せる。振り返るべきなのか迷っている間に、相手の方から近寄りずいと瞳を覗きこまれた。
ありったけの憎悪と憤怒を込めて睨みつけてやったところで、燦然と輝く太陽には届かない。喩え何を言われても己の意志を曲げぬその姿は、最愛の友にも通じるものがある。しかしこの男が行うそれは吉継に嫌悪しか齎さなかった。
少なくとも、今に至っては。

膝がくっつきそうな近い位置に座りこんだ家康は、首を傾げて下から伺うような格好で吉継と目を合わせる。その中に浮かんでいる感情は吉継の予想していたどれとも違うもので、思わずぱちりと目を瞬かせた。
「刑部、怒ってるのか?」
心の底から不思議そうに尋ねる声に、怒りを通り越して最早呆れしか湧いてこない。
何を言っているのだ、怒っているのかなどと、どの口が。自分が一体何をしたのか解っているのかこの男は。
信じられない、と感情を露わに細く呻くと、家康は傾げた首の方向にどんどん体重を預けていき、最終的には足だけ正座をした状態で頭を吉継の膝に乗せるという、何とも器用な格好で転がった。そのまま喋ると吐息が足の間にかかり、布越しとは言えあまり良い心地はしない。
「だって、刑部、怒らなかったじゃないか。ワシと三成には。」

拗ねたように投げられたのは、過日の思い出。
「そうだっただろ?ワシが三成を怒らせたら、いつも刑部が取り成してくれたじゃないか。」
まだ三人が袂を分かって居なかった頃から、家康と三成は呆れるほどに争っていた。原因は他愛ない子供の我儘のようなものから、普通の人間が聞いたのなら即座に絶縁するであろう重大な価値観の違いまで様々だったのだが、諍いは全て吉継の手腕により大事に至ることなく収まっていた。
そして確かに、吉継は家康と三成に、説教をした事はあっても怒った事など一度も無かったのである。

「なぁ、何でそんなに怒ってるんだ?」
伏せられた顔を見る方法は無いが、その声が少し震えているのはきっと吉継以外の人間でも簡単に気付くであろう。
猿轡の所為でもごもごという音を発するしか出来ない吉継に反応して、家康は意を決したように起きあがると、恐る恐る口を覆う布を外した。
「何故?何故だと?決まっておろう。ぬしが・・・。」


「ぬしが、太閤を、殺したからよ・・・!」


ひでよしさま、と小さく嗚咽を漏らす姿は、此処に居ない人間を彷彿とさせた。

秀吉も家康も、そして三成も武士である。時には命を掛けて争わねばならぬということも、大切な者を喪う可能性がある事も、数多くの命を奪って来た自分達はよく解っている筈だ。家康が自分の気持ちを正直にぶつけ、それに共感した吉継が全力で宥めれば、三成はもしかしたら今のような狂心には至らなかったかもしれない。
しかしそれをしなかったのは、吉継もまた嘆いたからだ。秀吉を崇拝していたのは、三成だけではない。初めて吉継の怒りの原因を知った家康は、それでも謝罪など出来ずに白い袴をぎゅうと握りしめた。

「三成に手紙を出したんだ。刑部はワシの所に居るって。・・・きっと、三成は赦してくれる。」
薄く微笑む瞳はどこまでも正気で、自分と友とを絶望に追いやったあの時と同じ、強い決意に満ちている。ここまでの事をしておいて、一体どうやって赦しを得られるなどと思うのか。何も言わず唖然として首を振る吉継に、家康は悪戯小僧の顔で説明してみせた。
「ふふ、驚くだろうな。刑部の命が惜しければワシと仲直りしろ!って、西軍皆の前で言ってやるんだ。」


「そんな戯言が通ると思っているのか。西軍は一枚岩ではない。」
「通るさ。・・・ああ、毛利殿なら大丈夫だ。三成が赦したら、元親も赦さなきゃいけなくなるだろ?だから毛利殿は殺させない、刑部の大切な絆だからな。信玄公の病が癒えた今、真田も争う理由は無い筈だ。なあ、だから皆で仲直りしよう。」

満足そうな家康は再び吉継の膝に縋ると、この感触も久しぶりだと懐かしさに目を細くして幸福な未来に思いを馳せた。