切っても切れぬその関係

被害は殆ど無いと言っても過言では無かった。
天下分け目の大戦、何万もの兵がぶつかりあい鬩ぎ合ったが、いざ蓋を空けてみれば大将副将同士の一騎打ちと相成り、たった数時間で決着のついた争いは、一兵卒達が怪我をする暇も無くその幕を下ろしたのだ。

だが、それはあくまでも数の上での話である。

西軍副将、大谷吉継がその身を呈して友人であり大将である石田三成を庇い、戦国最強の槍を受けて絶命した。それを単なる一人の死と数えるにはあまりにも影響が大きい。
天下人となった筈の三成は、その地位も仇敵に勝利したこともすっかり頭から抜けてしまったらしく、殆ど廃人のような体で、今までよりも更に食わず寝ず、今はもう亡き友の名を時折ぽつりと呟くだけのヒトガタへと成り下がって居た。

吉継の葬儀を取り仕切ったのは官兵衛であり、今の日の本を纏めているのは元就を始めとする西軍の将である。

西軍の面々はあくまでも自国領土を守るという目的で此度の戦に参加しただけであり、この世を統べるという野望を抱いている者は一人も居ない。
何より、三成以外の誰かが彼を討ち、天下を治めようと画策したところで、彼等が認めはしないだろう。
だがその三成が死んでしまえば、その座は再び空席となり乱世の幕が上がるのは必須である。痩躯が更に細くなる度じわりと迫る終末の足音に、一同は内心恐れおののいたのだが。


「石田。」
ある日元就のところへと届いた知らせが、全てを変えた。


元親が安眠に良いという香を焚き、幸村が食べやすい葛の菓子を持ち寄り心配そうな面持ちで三成の傍に座していると、元就はその間を堂々と通り抜け三成のすぐ真横へと立つ。
「我の遠縁に、瞳の白黒反転した子供が生まれた。」

三成は暫く何を言われたのか分からないと言う風に呆けていたが、やがてその内容を理解すると喉の奥から呻きとも叫びともつかない音を立てて元就へと掴みかかった。
「それは、それは本当か・・・今すぐ此処へ連れて来い!」
元就は躊躇うこと無くぱしりとその手を振り払うと、簡単に崩れた三成を見下して鼻を鳴らす。
「生まれた、と言うたであろう。まだ言葉も話せぬ乳飲み子ぞ。貴様はそれを母親と引き離すつもりか。」
その真っ当過ぎる答えには三成も押し黙ったが、しかしどうしてもそわそわと落ち着かず視線を右へ左へと泳がせ遠くの友の名を呟く。
声は今までのような虚ろなものではなく、弱々しいながらもどこかしっかりとした芯があり、明らかに持ち直した様子に元親達は安堵の息を吐き出した。
「案ずるな。相応の年になった暁には即座に貴様のところへ嫁がせてやる。それまでは毛利家が責任を持って預かる。」
元就はそう言うと、話は終わりだとばかりに踵を返し、今通ったばかりの道を歩いて部屋を出ようとする。しかし、三成がその背後から叫んだことで、もう一度その歩みを止めると振り返らぬまま言葉だけを投げて寄越した。

「待て、嫁がせるとはどういうことだ。」
「鈍い男よ、その子供は女児ということだ。」

今度こそ三成の歓喜は最高潮に達した。
刑部が、私の刑部が再び私の許に、しかも今度は夫婦となるべく女人となって!
血の涙を流し絶叫する姿はどこか狂気めいたものがあったが、西軍の将達にとってはその姿こそが自分達の知る彼であり、本来の彼である。その咆哮を遮る者など居る訳も無い。

「嗚呼、刑部にこのような情けない姿を晒す事は許されない。刑部、刑部待っていろ、今度こそ私は貴様と幸福を掴んでみせる。」

それからの彼は見違えるようだった。
人並みとは言わないまでも、自主的に食べ、眠り、そして常人の何倍も働いた。
元より太閤豊臣秀吉の後釜と言われていた男である。武力のみならず知識も度量も天下人に相応しい、人並み外れたものがあったのだ。
少々の反乱勢力をあっさりと鎮圧すると、日の本を統べ、来るべき未来の為に国を富ませ土地を肥えさせと動き回り、着実に実績と権力を身につけていく。

そうして少女が七つの年になった時、漸く二人は顔を合わせることが出来た。
三成の強い希望で「吉継」という男名を付けられた少女は、元就の庇護のもと、今の所これといった病にも罹らずにすくすくと成長している。
吉継は物怖じすることなく、白目と黒目の反転したまあるい瞳で自分よりもずっと大きな男を見上げると、照れくさそうにはにかんだ。
「ああ、会いたかったぞ吉継。」
「あい、われもずっと会いとうございました。」
その微笑みはかつて紀之介と呼ばれていた頃の吉継の姿を彷彿とさせ、三成の心を益々燃え上がらせた。
唯一残念なのは彼女には前世の記憶が無いという事であったが、自分の死に際の記憶などあってもただ苦しいだけであると思い直し、特に過去を問うようなこともせず、三成はその時自分に出来る精一杯の愛情を向けて吉継に微笑んだ。
「貴様は私の妻となるのだ、畏まるな。」


それから年に数度の逢瀬を経て、やがて吉継が年頃になると二人はめでたく祝言を挙げた。
世の不幸を知らずに育った吉継は、世を恨むことも他者を呪う事もなく、しかし利発で三成をよく支える部分は変わらぬままに、賢く奥を預かり誰もが羨むような良き妻になり皆を喜ばせる。
年齢の差を感じさせぬ程に仲睦まじい二人はやがて次々と子を儲け、気付けばあっという間に四男三女の親となっていた。


「石田、話がある。」
此度も口火を切ったのは元就である。吉継を養女とし、形式上の父親にあたる彼は、相も変わらぬ美しい貌で夫婦の部屋へと訪れた。老いも衰えも見せぬそれは、今では三成よりも年下のようにも見える。

「貴様のところの四男坊を、毛利分家の養子に寄越せ。」
返答も聞かず一方的に紡がれた言葉に、三成は眉間の皺を濃くさせた。
七人生まれた子供の内、一番末の四男だけが吉継の稀有な瞳を受け継いでおり、三成は子供たちの中でも特にその子を可愛がっている。
「何故だ。貴様の家の事ならば、貴様の身内で間に合わせれば良いだろう。」
仮にも愛しい妻の父親、無碍な扱いは出来ぬと心得ているからか、叫ぶような真似こそしなかったが、声が低くなるのはどうしようもない。
しかし元就がその程度で怯む相手である筈も無い。威圧的な態度を針の先ほども崩さずに、こちらも娘婿を睨みつけると語気を強めて迫り寄る。

「忘れたのか、吉継は我の娘ぞ。祖父が余る程居る孫を一人養子に連れて行ったところで、何の問題がある。」
一触即発の雰囲気を宥めたのは、やはりと言うべきか吉継であった。

「やれ三成、しかし考えてみれば悪くも無い話よ。後継ぎに出来るのは一人だけ、残りの息子は部屋住みの憂き目を見ねばならぬ。それならば、どこか別の場所の領主となり一国一城の主となる方が幸せというもの。案ずるな、中国はどこも良い所ゆえ。」
愛しい妻にそう諭されてしまえば、やがて渋々ではあるが義父の命令のような頼みごとに、遂に三成も首を縦に振らざるを得なかったのである。




茶室には祖父と孫の二人だけが座しており、子供は丁寧な動きで額を畳に着けると声変わりもしていない高い声で挨拶をして見せた。
「お久しゅうございます、おじい様。」






「戯れるでないわ。         大谷。」
吐き捨てるようなその言葉を聞くなり、十にもならぬその子供は妙に大人びた表情をゆるりと持ち上げると、喉を引き攣らせ笑う。
「ヒヒ、やれ悲し、折角の再開というのに、相変わらずぬしはツレナイ。」
「しかし主は何時まで経っても変わらぬなぁ同胞、三成なぞもう五十路に差し掛かろうと言うのに。」
「嗚呼、そうそう。言っておった毛利の分家のことだがな、心配するな主の子孫を取って食いはせぬ。時期が来れば元のように返そう」
「母上は良い女よ。父上のことを誰よりも理解し、よく御しておる。」

「・・・。」
元就は黙したままで、その目の前の幼子だけが興奮したように頬を赤くして喋り続けた。
「嗚呼、メデタキことよ。これで、われと三成は切っても切れぬ縁となった。」
うっとりと笑んだ瞳には、幸福と絶望の色が半分ずつ器用に存在している。

元就が彼を三成から引き離したのは、一つの言い訳からであった。
もしも本物の大谷吉継の生まれ変わりに気付けば、あの鉄砲玉は謀られたと毛利を責めるかもしれない。それが元就の言い訳である
しかし、あの娘を差し出した自分を詰る筈が無いことも、また気付いていた。恐らく彼は自分を責めるであろう。友を見分けられなかった自分自身を、そして、巻き添えにしてしまった哀れな女と、裏切ってしまった友を思い嘆くだろう。
それが何故か恐ろしくて、矢も盾もたまらず本物を隠すように奪い去った。

しかし、元就には妙な確信があった。

きっと、三成は気付くだろう。自分の死の間際、自分を見つめる瞳の中から、きっと友のものを選び取るだろう。
その事実が妙に彼の胃の腑を重くして、茶の味など一つも解らなかった。