あまりにも真っ直ぐな石田三成という男に、どうか少しでも引く術を教えてやってはくれぬかとしかめ面でそう乞うたのは豊臣秀吉その人であった。
その沈痛な表情、そして隣の麗人が今にも噴き出しそうに頬を引き攣らせている事、その二つを並べてみれば何があったかはどんな暗でも解るだろう。あの友がまた何かやらかしたのだ。
返事が慎んで承りますではなく、御察し致しますであった吉継を咎める者など、誰も居なかったのは仕方がない。


北風と太陽


「…と言う訳で勉強の時間よ。」
教師吉継を前にした三成は、ぴしりと背筋を正して座り、やる気充分と言った風体で神妙な頷いた。
その背後では、何故かおまけの官兵衛と家康も座っている。官兵衛は仮にも軍師、三成に教えるような話を聞いてどうするのかと嫌味混じりに尋ねたところ、意外にも真面目な顔をして「教え方」を倣いたいと言われてしまえば、同じく勉学と教育を大切に考えている吉継はそれ以上の拒絶も出来なかった。

それはさておき、相手はあの三成である。如何にして押して駄目なら引いてみろと言うたったそれだけを教えれば良いのか。散々悩んだ末に、選んだのは昔からある手法の一つであった。
幼子に聞かすような喩え話、それが一番分かりやすかろうと、幾つかの冊子を漁りその中で一番今回の目的に近い話を選びとる。
そうして決まったのが、この話であった。

「北風と太陽、という話を知っておるか?」
緑色の表紙をした本に書かれていたのは、南蛮の物語。
その質問に対してふるふると首を横に振ったのは二人で、残った最後の一人は、自信満々に両手を挙げた。

「解ったぞ!『北』条の『風』魔と徳川だ!」
両手なのは枷が付いているからであり、決して彼の自信の程度を表しているのでは無い、と思いたい。
名指しされた家康は、太陽だなんて照れるじゃないかと言いながらも満更で無さそうに頭を掻く。

「暗よ、ちぃと黙りやれ。」
吉継は余っていた包帯で官兵衛の口をぐるぐると封じると、その上から墨で大きくバツ印を書いて乱暴に彼を黙らせた。
何が教え方を乞いたいだ足を引っ張るな。にっこりと微笑んだ顔は明らかにそう告げている。
「違うのか。」
「暗の言った事は全て忘れやれ。」
家康にそう言うと、黙ったままの三成も驚いたように目をしばたかせたのでこれからの先行きを考え、思わず少し前のめりになった。

しかしこの程度で挫けていては前に進まない。
「昔々、北風と太陽が居った。二人はある時、暇潰しにとある勝負をする事になった。」
有無を言わさずに物語を紡ぎ始めると、金銀は仲良く吉継の言葉に聞き入り、聞きやすく調えられた音の流れは情景となって二人の脳裏に浮かび上がった。

北風と太陽は、どちらが旅人から笠を脱がせられるかと言う勝負をする。先攻の北風は、びゅうびゅうと音を立てて旅人から笠を剥ぎ取ろうとするが、旅人はむしろしっかりと笠を押さえるばかりで一向に脱げる様子は無い。
「…そして次に、太陽がじりじりと旅人を照らすと。…旅人はどうしたか解るな?」
軽く首を傾げ、優しく問い掛けた。だからぬしも時には引く事を考えねばならぬ、ああいや決して今までのように真っ直ぐ押すのが悪いとは言わない、ただ時にはそれだけではいけない。ぬしは聡い子ゆえ、解るであろ?
しかし吉継が脳内で一人うんうんと自己完結していると、予想外の方角から予想外の返事が返って来た。

「あんまり日が照ってる時は、この頭巾被った方が涼しいぞ?」
背後のフードを摘まみひらひらと見せながらそう言ったのは家康。
実際、太陽光の降り注ぐ南の国では、頭から真っ白な布を被り身を焼く灼熱の下に直接肌を晒さないようにするのが一般的だ。

あれ、これ何か間違えたかも。
しかし吉継がそう察した時は既に遅く、三成は解ったぞと拳を握り高らかに声を上げた。

「つまり笠を切り刻めば良いのだな!!!」
私は一つ賢くなったぞ刑部!と自信満々に見つめてきたが、残念ながら全然賢くなってない。


我には無理です手に負えませんと秀吉たちの所へ泣きつくべきか、それとも三成を二人から引き離して再度挑戦するべきか。
吉継はとうとう突っ伏し問題児三人を前に低く唸った。