××ンスの神様この人でしょうか


官兵衛は無言のまま三成に近寄ると



その特徴的な前髪をむんずと握り、直後に殴り飛ばされた。



「官兵衛ェェェェ!!!貴様何のつもりだ!!!」
目を赤く光らせ身体を闇で包み込み、所謂恐惶状態で遠くへと舞った官兵衛に迫りよると、その胸ぐらを引っ掴んでがくんがくんと大きく揺さぶる。
官兵衛はそれに答えようと息を吸ったのだが、上下左右に揺れる口は言葉を紡ぐよりも舌を噛む方に忙しい。
吉継が三成を止めなければ、きっとそのまま儚くなっていた事だろう。
やがて三成の衝動が治まった頃合いを見計らい、どうどうと荒く息を吐く彼を宥めながら吉継は白い瞳をくるりと回した。

「して、暗よ。何ゆえこのような真似をした。」
流石の吉継も、官兵衛の思いもよらぬ行動に、どこか困ったような表情をして見せる。
それも当然であろう。どうして今更あの三角形に執着を見せたのか、半兵衛に次ぐ悟性を以てしても理解出来ない。半兵衛だって無理ではなかろうか。
官兵衛はそんな吉継の困惑も、ついでに三成の怒りも無視して視線を何処か遠くへと飛ばしている。

何かに憧れているような、すがるようなその表情は、後に彼が謎の宗教に入りジョシーと呼ばれるようになってからよく見られる事となるのだが、生憎その時はまだまだ先であった。
どこか恍惚とすらしているそれに、吉継は何だか気持ち悪いなあと思いながら、官兵衛の宙に浮いた意識を元に戻すべく、数珠を浮かせてぽかりと叩く。
すると彼はようやく目線を下げ、先に問われた質問の返事らしきものを口にした。

「ツキの神と出会ったら前髪を掴めって言葉があるそうだ。」
外国の格言らしいと言った彼に、その知識を授けたのは一体誰であったのか。
残念ながらその犯人は今日に至った今でも判明していない。

擬人法の比喩に対して、まさか本気で他人の前髪を掴む訓練をしているのかとその余りの愚かさに吉継が息を吐く。
しかし官兵衛は、それは違うと首を振り、持論を展開して聞かせた。
「ツキの神って奴は物凄い速さで走るから、後ろから幾ら追い掛けても絶対に追い付けないんだそうだ。ついでに、前髪以外の場所、腕なんかも掴めないらしい。きっとトゲトゲが付いてんだな。」
そうして官兵衛は、どこまでも真っ直ぐな視線を向ける。

「小生は思ったんだ。どう考えても三成じゃないかと。」

奇遇よな我も今そう思ったわ。

とは流石に言えなかった。病に荒れた肌を晒さぬ為の頭巾であったが、今回ばかりは引き攣る口元を隠す為に大活躍してくれている。
だって、それ、なんて三成。

すると、実はずっと吉継の隣で話を聞いていた家康が、無言のままわきわきと自らの手のひらを動かしながら三成ににじり寄った。
三成はすぐさまその不穏な動きに気付くと、無銘刀を構え、ツキの神捕獲大作戦に移ろうとしている二人に向かって大声で怒鳴る。
「貴様ら其所に並べ!残滅してやる!!」
そうして官兵衛たちに向かい走り始めた三成は、確かにすれ違いざま前髪を掴む以外止める方法など無さそうだが、ツキの神がこんな姿をしていたら向かうより先に逃げたくなるなと吉継はこっそり思案した。


部下達のそんなやり取りを少し離れた所で聞いていた秀吉は、普段ならば身体の正面で組んでいる手を後ろに回し、ぴくぴくと震える右手を左手で掴んでいた。
その様子はあえて言葉にするなら、鎮まれ我の右手!が最も相応しいであろう。

しかし、秀吉が、それはならぬぞと心中の何かと必死で戦っていると、斜め右下から悪魔の囁きが聞こえてくる。
「秀吉が頼んだら掴ませてくれると思うよ。」
ニコニコと微笑みながら、僕もお願いしようかなと言い出した半兵衛の姿に、秀吉は自分の右手よりも先に鎮めねばならぬものに気付いて慌てて友の身体を鷲掴む。

三成、苦労をかける。
その目尻に水滴が光ったように見えたのは、恐らく気のせいだろう。


膝枕をした時、閨事の後、眠った三成の前髪を気付かれぬように掴むのは吉継の癖である。
なら我はどれだけの幸運を掴んでいた事になるのだろうかと考えて、止めた。
三成は家康と官兵衛を散々に追い回し、それでもまだ押さえきれぬ怒りを抱いたまま吉継の側へと近寄る。

吉継は腕を広げて三成を抱き寄せ、いつものように頭を、前髪を撫でようとして躊躇した。
「刑部。止めるな。」
普段もしている事なのだから、止めれば逆にそれを気にしていると言う風に取れてしまうか。
それもそれで困りものよなと苦笑すると、あいと答えて銀糸に指を通す。

「こんなもので貴様が幸せになれるのなら、幾らでも私を引き回せ。」
くぐもった声になるのは、包帯を噛んでいるからだろう。
吉継はその言葉に甘え、官兵衛がやったように前髪を豪快に掴むと、そのまま上に引き上げて自分の方へと顔を向けさせた。
「確かに、幸せは感じたな。ヒヒッ。」

布越しに触れた唇は、相変わらず柔らかい。