食み児


「我はこれで失礼するとしよう。」
幸村が部屋へとやって来た途端、それまで存外に穏やかな顔をしていた元就は、あからさまに不機嫌な空気を纏わせ部屋を出た。
いかに幸村が仮の大将であるとは言え、同胞の余りに不遜な物言いに、吉継はこれはいけないと頭を下げる。
元就は幸村にあまり良い感情を持っていないらしく、今までも何度か失礼な物言いを繰り返しており、その度に吉継はひやりとさせられていた。

しかし幸村はそんな吉継に、貴殿が頭を下げる事は無いと快活に笑って軽く首を振る。
「毛利殿はああいうお人ですから。彼の方に認められぬ某の力量が足りないだけで御座います。」
傍らに侍る忍も主の言葉に否は無いようで、不服そうな表情は全く見せておらず静かにそこに座っていた。
「そう言うて貰えれば有難い。あれも根は単純な男故、一度真田殿を認めれば必ずや貴殿のお力となりましょう。」
その言葉は本心だ。毛利は自分の利となると思えば何でもする男で、忍であろうが傭兵であろうが、目的の為なら頭すら下げる。
幸村もそれは熟知しているようで、精進あるのみですと力強く胸を叩く。そしてその後に、ふと表情から彩りを消してみせた。

「某は毛利殿より、長曽我部殿の方が解りませぬ。」
その言葉に、今度こそ吉継は、はてと首を傾げた。
長曽我部元親と言う男は、恐らく吉継以外の人間から見ても単純で扱いやすい類いの性格をしており、真田とはむしろ気が合うのではなかろうかと考えていたのだが、彼は今全く逆の事を言ってのけたのだ。
すると幸村は、そんな吉継の疑問に答えるかのように、穏やかな声色で言葉を紡ぐ。

「徳川家康の人柄と、毛利殿の手腕は知っているつもりでござる。」

一瞬、息が止まる。
「…そう言えば、徳川も武田殿の弟子であったか。」
しかし吉継は直ぐに気を取り直すと、にやりと笑みの形に瞳を曲げた。
一時は共に寝起きもしていたと言う相手だ。いかに家康を好かぬと思っても、その嗜好や性格は当然のように把握しているであろう。

そう、それはまるで三成が家康を知っているように。

「毛利軍にあれだけの力は無いでしょう。なれば、自ずと的は絞れます。…ただ、黒田殿なのかお市殿なのかは、皆目見当がつきません。」
吉継の機嫌が目に見えて浮上し、よいよいと指をひらめかせて続きを促す。
「島津殿は黒田殿を推しておりますが、大友殿は黒田殿にそこまでの力は無かろうと言ってお市殿に賭けておられます。」
「ふむ、して、真田殿はどうお考えか?」
「実は、ずるをしようと石田殿にそれとなく尋ねたのでござるが、知らんの一言で斬り捨てられてしまい申した。」

遂に、吉継の笑い声が部屋へと響いた。
「三成はその件に関しては手を出しておらぬ故な。貴殿のお心が決まれば、答えをお教えしよう。」
恐らく傍に控えている忍は全てを知っているのだろうが、この謎々の答を主に伝えるつもりは無いらしい。
誠にこの主従は好ましい、毛利も一度、共に甘味でも食べ語らえばこの良さが解ろうというのに。
吉継は珍しく心からの親切心で、二人の仲を取り持とうと思いを馳せた。


同じく西軍に属する者同士、これから益々激しくなるであろう戦の事を考えれば、仲良くするに越した事はない。



はみご=「仲間外れ」の意