時を駆ける三成

『人生は結果オーライ!』の「忘れえぬ人」から妄想。
タイトルに反しシリアス。
一応死ネタ。





「しっかりしろ!行くな、私を置いて行くな刑部・・・!!」

咽奥から迸る絶叫。声帯が裂け血飛沫が噴き出すのではという程の声に、横たわる吉継はぴくりとも動かない。
すでに彼の意識は遠く、その耳は役割を果たしていないようで。
微かばかりの震えを見せた瞳孔も次第に曇り澱んでいき、今はただ乾きはじめ濁った色を晒すばかりだった。

行くな。去るんじゃない刑部。こんな、秀吉様も、半兵衛様もいない世界で、貴様までもなくしてしまったら私はどうすればいい。
頼む、いかないでくれ。ひとりにしないでくれ。もう貴様だけいてくれたらそれでいい。それで充分だ。他の誰もいらない。だから、だから刑部。
どうか、私の側に。
はなれないで。

目から流れた雫が何色だったかも分からなかったが。
咽び泣き懇願する言葉の途中で、視界が白く光ったのは覚えている。


「・・・り、・・・なり」

「三成」

大切な人の声に、はっと目が醒めた。

「やれ、どうした。何処か具合でも悪くしたか」

眼前には訝し気に、そして不安気にこちらを見遣る人。
先程どれほど呼び掛けても返事を口にはしなかった、出来なかった。赤い赤い血に倒れ伏していたその人。

「・・・ぎょう、ぶ」
「あい、如何した三成」

もしや、まだ眠っているのか。睡眠を取らぬ主が珍しい。まぁ良いヨイ。休める時にたんと休め。

ゆるゆると反応を見せた三成に安堵したのか、ヒヒ、といつもの癖のある笑い声を響かせ眦を和らげる。
広げていた巻物をくるくると収め、床の準備をしようと立ち上がったその病身を振り向く暇も与えず掻き抱いた。

「刑部・・・!」
「っ!?いきなりどうした、三成。何故そのような声を出す」

何がどうしてこんな事になったのかは三成にも分からない。
ただ、刑部が生きている。
先程三成を庇い、致命傷を負って、三成の腕の中で呼吸を止めた彼が、今は突然の抱擁に戸惑いこちらを見上げている。
病故の痩躯であっても、幾重もの包帯に覆われていても、生者のみが有す熱を発し、意思を持ち、息をしている。
それだけが確かだった。
それが、すべてだった。

どうして貴様が生きている、先刻関ヶ原で私を庇って死んだ筈では。そんな風に詰問すればきっと刑部は三成の正気を疑うだろう。
この場での得策は何か。無言か、雄弁か。それは恐らく前者に違いあるまい。
生きている刑部の温もりに、些か冷静さを取り戻した己の脳内から聞こえる囁きに従って。
疲れが溜まっているのだろう今日はもう休め、と刑部に勧められるまま床に就いた。
何気ない風を装い、刑部から聞き出した言葉の断片、部屋に散らばる書状や布陣案から悟られる事。
それはただひとつ。

時間が巻き戻っているなどと、誰が言えよう。

もう、さっきまで悪い夢を見ていたのだとし思えなくとも、どんどん冷えてかろくなっていく身体も、溢れ出た血潮も未だこの手に感触を残してあった。
それを受け、つい先程心に決めた事。
今度こそ、刑部を守る。
どんな天の気まぐれか情けか知らないが、一度はみすみす目前で殺されてしまったこの大切な人を、この手でしっかりと守り抜くのだ。
時はまだ秀吉様の死後からそう経っていない頃の模様。まだどうとでもなる筈。
刑部の行いによくよく目を向け、危険がその身に迫らぬように。
何が正しくて、何が間違っていてももう構わない。
なくしてしまった人を失わずにすむより重要な事など、今の三成には何一つなかった。

振り返ってみれば、注意するべき点はいくらでもあった。
毛利との会談となれば刑部は三成を遠退けるし、三成が元親と話していると僅かに苦虫を噛んだような表情をする。
決戦に重要とは言えない遠方の戦ならば、詳細は伏せたまま勝敗だけを三成に伝える。
刑部が色々な事を三成の耳に入らぬよう遠ざけているのは明らかだった。
三成が無意識的にか意識的にか目を逸らしていたもの。そこから漂う、三成の嫌う気配。
裏切りや、策謀といったそれらのもの。
しかしそれに感づいたとしても、三成には何も言えなかった。
それが誰の為に行われているか、考えるまでもない。
家康への復讐にひた走る、それ以外は瑣事とばかりに切り捨ててしまっていた、三成の代わりに刑部は数々の事をやり遂げている。
詳細は分からなくとも、それらを積み重ねた結果があの刑部の死へと繋がったとしか三成には思えない。
未来を変えるには、どうしたらいいか。
それが分からない三成に出来る事は、とにかく刑部が本多忠勝に、その他の敵兵に殺されてしまわぬよう一人でもより多くの敵を屠る事だけだった。
奇しくも、それは前の時とそれ程違った行動ではなかったけれど。

そうして来たる、関ヶ原。
忠勝も家康も、敵は皆この手で葬り去ったというのに。

「愚か者共め・・・全ては我の策略の内よ!」

目の前の光景は何だ。
どうして、味方の筈の毛利元就が刑部を討ち取っているのか。
はくはくと動く刑部の口からどんな言葉が零れているのか聞き取れない。

そんな馬鹿な、だって刑部を殺す本多はもう倒して、何故毛利が、何故、どうして、どうして!
未来は変えられないというのか。私がした事は無駄だったというのか。
それなら私はどうしてこの過去に舞い戻ってきたのか。
一体、何の為に。

刑部が目を閉じた瞬間、我に返り駆け寄ろうとしたその瞬間に、見覚えのある白い光が視界を遮った。



・・・こうしてもう、何度繰り返したか分からない。
ただはっきりしているのは、いつもどの度も刑部を死なせまいと三成は奔走するが、毎度刑部は関ヶ原で誰かしらに討たれ死ぬ事。
その度に三成が絶望した途端、視界が白い光に包まれ過去に戻っている事。
過去はいつも秀吉様の死後、刑部の部屋からはじまっている事。
いつの過去に戻った瞬間も、三成は心に誓う。
今度こそ、今回こそ刑部を死なせない、助けてみせる。
もう二度と刑部を辛い目に遭わせはしないと。



それなのに。

「こいつが、四国壊滅の真犯人だったんだ!」

それがどうした、と言ってやりたかった。
幾度も繰り返した今となってはもう、いくら刑部の為す策略に無関心な三成とて様々な事が分かっていた。
刑部が三成に隠れて行った陰惨な謀事。四国を攻め滅ぼし、その罪を徳川軍に被せて。それ以外にも挙げきれぬ程の計略を毛利と巡らして。伊予の巫女や織田の女を謀り使って。
すべては、三成を生かす為に。この腹の内に煮え滾った復讐を果たさせる為に行われた裏切り。
それでも、それだからこそ、三成の為に何度に三成を誤魔化し言葉を嘯いた刑部だからこそ。裏切りを憎む三成を救ってこれたのだ。
そんな刑部を今度こそ私が守る番だと、今度こそ、今度こそと自らに誓っていた。それなのに三成は。
また、止められなかったのだ。

事切れた刑部、武器を手にした元親。
それらすべての、目に映る世界が白く染め上げられていく。


目覚めたのは、またいつもの刑部の私室であった。

「三成、もう休みやれ。いくら主とはいえ連日の軍議は堪えたのであろ」

柔らかな笑みを瞳に湛えた刑部は、その謀略に塗れた手で私の頬をそっと撫でる。
ああ、なんて心地良い。
後どれだけ繰り返せばいいのか。後何度私は刑部を死なせてしまえばいい。
この愛おしい、大切な刑部をまた失うくらいなら。
私に何も気取らせまいと平気な顔で嘘を吐いてみせる愚かな可愛い者を殺してしまうくらいならいっそ。

「もういいんだ刑部」
「・・・三成?」

今此処で、終わらせよう。
この馬鹿げた・・・本当に馬鹿げた、私の為だけにあった復讐を。

「もうこれ以上、私の為に貴様が不幸になる必要はないんだ」
「三成、何を言って」
「分かっている。貴様が私の復讐の為に何を為したか」
「四国壊滅も、毛利と結んだ謀略も、」

「三成、」

包帯越しにも刑部の唇がわなわなと震えているのが分かった。
怯えた様子を隠しきれない眼差しに、そんな顔をしなくていいんだと微笑みかける。

「私と共に生きてくれ」

半兵衛様、秀吉様。
どうか、どうか刑部と幸せに生きる許可を、私に。

ぱん、と視界が白く弾けた。
これまでの時間を駆ける一瞬と違い、それは長い、長い一瞬だった。


こんこんと雪の降る中に三成は立っていた。
晩御飯のカレーを作っている最中人参を切らしていた事を思い出した母親にせっつかれ、出されたお使い。
これだから全く!いつも言っているだろうきちんと段取りをしてから料理に取り掛かれと!と心の中でぶちぶち言っても、口に出して言えば片方しかない目でしょんぼりと捨てられた犬のようにこちらを見詰めてくるのが想像出来てしまうのであくまで心の中に留めておいた。
いつでも冷淡な態度を崩さない父親なら鼻で笑いこの愚か者め、とでも言うのであろうが。
そんな日常生活の細部まで思い出せるのに、信じられない。
どうして今まで私は何も思い出さずに生きてこれたのだろう。
この唯一の半身の存在も思い出さずして。
部屋着の半袖シャツがコートの下で震えた。

「ぎょうぶ」
「みつなり」

見開いた目は以前同様反転した色を宿している。
手に提げた薄いビニールから透けて見える物は万能包丁と中々に物騒だった。

「刑部、」
「何故、三成がこんな所に、我は今まで何故主を忘れて、我は大谷吉継で、主は石田三成で、」

刑部も三成と同じく、今の今まで戦国の記憶を有していなかったようで、混乱の極みといった様子を晒している。

「我は使いに行く最中、母が・・・半兵衛様が、秀吉様の折ってしまわれた包丁の替わりを買って来てくれと、それで」

驚いた事に、刑部の両親は秀吉様と半兵衛様らしい。
だが、それよりも。

「覚えているか、刑部。私の言った事を」
「え?」

きょとんと傾げられる首に、込み上げてくる愛しさを堪えきれず歩み寄り呆けたままの身体を抱きしめる。
小さく竦んだ刑部を、逃がしはしまい、はなしはしまいと強く、強く。

「言っただろう。私と共に生きてくれ、と」
「みつなり」
「返事は必要ない。・・・聞かなくとも、答えは分かっているからな」

覗き込んだ白い虹彩が、満月のように淡く光り、つぶらに滲んで、一滴また一滴と涙を零す。
私は未来を変えた。変えられたのだ。


End