だから雷雨が好き

目の前でゆらゆらと揺れる人影は、最初こそまるで幽霊のようだと思ったものの、それが単に色の白い男だと分かればあっさりと恐怖は消えていった。
男に覇気は無く、どこかぐったりとしているように見えるのは疲れだけが理由なのでは無いかもしれない。熱でもあるのだろうか。おまけに彼は背の高い割に身体が細く、自身の半分程しか無い厚みは触れただけでぽきりと折れてしまいそうにすら思える。

(三成くん、みたいだなぁ…。)
ふと脳裏を過ったのは、いつも自分を苛める恐ろしい人間の事。そう思いながら改めて見ると、嫌な事に髪の色もよく似ており、それが金吾の心を益々震え上がらせた。
しかし幸いにも、目の前の男は凶王と違い叫びもしなければ此方を睨んで来ることも無く、ただただぼんやりとしたまま虚ろな視線を空へと向けている。
空腹なのだろうか、と思ったのは自身の食い意地の所為だけでは無い。男の身なりは泥に塗れて上等とは言い難く、実際この戦国の世で戦に巻き込まれた行き倒れなど珍しくもないからだ。
腹が空けば活気は無くなり、疲労だって回復出来ない。金吾が勇気を振り絞って名を問えば小さくではあるが声が帰って来たのに安心する。

天海、と言う響きは武士とも町民とも思えず、では一体彼はどのような職の者なのだろうと首を捻って考えていると、その時すぐ傍で雷の音が響いた。

「ひゃああぁ!!」
その大きな音に、思わず目の前の天海にしがみつく。
身長差の所為で腹の辺りに顔を埋める形になり、金吾から天海の表情は窺えない。初対面の人間に何と言う事をなどと思う余裕も無く、力いっぱい抱き締めたままぶるぶると震える。
やがて、頬の真横に垂れ下がっていた手が、す、と持ち上がり、金吾は思わず身を強張らせた。
(殴られる!)
ぎゅっと瞼を閉じて衝撃を覚悟していると、予想していた痛みはいつまで経っても訪れず、その代わりに兜の隙間から、そっと温もりが灯った。
「……ですか?」
「…え?」

「雷が、恐いのですか?」
不思議そうに首を傾げて問いかけてくる視線に、怒りは感じられない。ただ何故だろうという純粋な疑問が見えるのみだ。
「だ、だってあれが落ちたら死んじゃうんだよ!?それに、音も大きいし…。」
あたふたと言葉を捲し立てれば、そうですか、と納得したように頷いて今度は頬を撫でてきた。
「大丈夫ですよ。私が付いていますから。」

その時に金吾の頬を濡らしたのは雨では無かった。

幼い頃、落雷によって庭の木が裂けた事がある。圧倒的な力を目の当たりにしたそれ以降、彼は雷というものに恐れを感じていて、また落ちる際の大きな音も怒られているような気がして怖かった。
けれど幾らそれを伝えても、貴様が軟弱な所為だと逆に罵られる始末で、家臣達も、雷如きでだらしないと呆れる他には何も言ってくれなかった。

しかし目の前のこの人は違う。

蔑まれないのも叱られないのも初めてだったし、頭を撫でるなど、父母が喪ってから誰にもしては貰えなかった。

「雷は高い所に落ちますからね。私の方が貴方より背が高い。」
だから大丈夫ですよ、と宥める声はどこまでも慈愛に満ちていて、どんな手を使っても良いからこの人を連れて帰ろうと金吾に思わせるには充分過ぎる甘さだった。