よりによって十年後 | ナノ

C91発行【BlackBlood】の10年後と言う設定ですがとりあえず赤屍さんと蛮ちゃんがくっついてるってのだけ認識して頂ければ大丈夫だと思います。
四代目奪還屋を含むありとあらゆるものを捏造しています。


クローズドの札が掛かったままのホンキートンクは、二年程前から夜の営業を始めた。
勿論、今まで通り昼間に喫茶店をしている事に変わりは無いので、基本的な内装は殆ど変わっていない。その代わりカウンター裏の引き出しや床下にある収納庫の中身がコーヒー豆ではなくワインやブランデーに変わり、大型の冷蔵庫が搬入されて些か手狭になっている。
今日もまた、それまでの落ち着いた喫茶店から洒落たバーへと姿を変えるべく、店内では着々と準備が進められていた。


その日は開店前だと言うのにカウンターに一人の男が座っており、バーテンは店の準備もそこそこにシェイカーを振ると、出来上がったカクテルをグラスに注いで唯一の客に差し出した。

「お待たせしました。赤屍さん。」
あれだけ苦手としていた赤屍と二人きりだと言うのに銀次の声に怯えは見えず、それどころかどこか弾んでいるようにさえ聞こえる。
未だ彼に纏わるトラウマの全てを払拭したとはとても言い切れないが、それでもこの十年の間に苦手意識はだいぶ薄れており、今ではこうして差し向かいで言葉を交わすのも自然な事になっていた。

暫くそうして静かな空間を楽しんでいると、閉店の表示など知った事かとばかりに来客を告げるドアベルが鳴りよく知った声が店内に響いた。
「何だよ、もう来てたのか。」
「蛮ちゃん!」
サングラスのフレームを持ち上げる仕草こそ十年前と何も変わっていないものの、トレードマークであったウニ頭はすっきりとしたオールバックに整えられ、白いシャツは昔よく着ていた燕尾のものよりもどことなく上品な作りをしている。
肩から下げたバイオリンケースを壁際に立て掛けて赤屍の隣に座ると、銀次は何も言われずとも心得たようにビールを注いだ。
蛮は美味そうに喉を鳴らして一息に半分ほどそれを呷ると、正面でにこにこと笑っている銀次に土産の菓子を押し付ける。
フランスで行われたコンサートが終わるや否や日本にとんぼ返りをして、休憩も取らずこの場所へと戻って来たものだから空腹で仕方がないと言い訳のような言葉をつらつらと喋っていたが、その話題がひと段落したところで赤屍が寄った筈の場所について問い掛けた。
「どうでしたか?後輩達は。」

その質問に、よく回っていた蛮の口がぴたりと止まる。

銀次がバーテンの真似事を始め、蛮がフリーランスの音楽家として世界を回り始める少し前、二人は奪還屋の看板を愛車と共に次代へと譲った。
半ば押し付けたような形の引き継ぎは当然一悶着あり、当初は何をするにもてんやわんやと大変そうであったが、今ではすっかり板についている。
「相変わらずクッソ生意気だったぜ。」
ふんと鼻で笑う蛮からは相変わらずの傲慢さが滲み出ており、口の悪い所は何年経ってもちっとも変わりはしないから、この様子だとまたいつもの調子で言い合ってきたのだろうと銀次は思わず頬を緩める。
どちらが生意気なのか分かったものではないと怒りながらも、中々会えない蛮との再会に喜ぶ後輩達の顔が眼に浮かぶようだった。
「そんな事言って、心配だったんでしょ?大丈夫だよ。三人一緒だし、それにあの『力』もあるし。」
四代目のメンバーには、人間の『嘘』が分かると言う特技を持つ少年がおり、その能力故に幼い頃から厄介ごとに巻き込まれこの裏新宿へと流れ着いたのだと言っていた。あとの二人も大体境遇は似たり寄ったりで、小さな身を寄せ合って世界を威嚇する姿が過去の自分たちに重なって見えたのが、奪還屋を継がせようと思った一番の理由だ。最も、蛮は口が裂けてもそんな事は言わないが。

「アイツはそれに振り回され過ぎなんだよ。そのうちまたヘマすんぞ。」
「俺たちよりしっかりしてると思うけどなぁ。蛮ちゃんより金銭感覚もあるし。」
銀次のぼやきに、思う所のある赤屍はつい苦笑を浮かべて口を滑らせた。
「確かに、蛮くんは渡したら渡しただけ使ってしまいますからねぇ。」
「うっせ。貰ったもんどうしようが俺様の勝手だろ。」

過去、士度に対しヒモだ何だと散々揶揄っていた蛮だったが、奪還屋を引退して直ぐにホンキートンクの手伝いを始めた銀次とは違い、彼は半年ほど仕事らしい仕事もせず赤屍の所に転がり込んでいた。
赤屍は始め何も言わずにそれを受け入れ、生活費として纏まった金を渡していたのだが、宵越しの金は持たないとばかりにあっという間に綺麗さっぱり使い切ってしまう蛮を見兼ね、最終的には事前報告の小遣い制度を導入するに至ったのだ。
財布の紐を握られたのが効いたのか、それから暫くして蛮の方もマドカの伝手を使いこうしてバイオリニストとして働いている。
その時はまさかこうして世界中を飛び回ることになるとは思いもしていなかったようだが、己の腕一本でのし上がり、売れるも廃れるも天任せという芸術家業は、彼の性に合ったらしい。
「蛮くんなら億の金でも倍にしてくると言いながら株で溶かして来るでしょうね。」
「想像ついちゃうなぁ…。」
実際、今ではそこそこ名前も売れ食うに困らない程度の稼ぎがあるにも関わらず、蛮の衣食住は完全に赤屍に頼っている。
己をよく知る人物に二人がかりで言い含められれば分が悪いのがどちらかなど分かりきったもので、むすくれたままなんだかんだと反論したが、最終的には銀次を言い負かすことが出来ず頬を引っ張ると言う実力行使で相棒の口を塞ぎにかかった。
暫くそうして楽しそうに話しを続けていたが、やがて会話が途切れたところでふいと顔を背けると、バイオリンケースを引っ掴み立ち上がった。

「んじゃあそろそろ帰るとすっか。」

赤屍は手慣れたように二人分の代金を払い、黙ってその後に続く。
「またね!」
ひらひらと手を振る銀次に軽く手を上げて応えると、そのまま振り返りもせずに店を出た。

まだ夜になりきれていない新宿の街は人通りも多く、互いに寄り添って歩かなければすぐに逸れてしまう。
「良かったのですか?」
「何がだよ?」
赤屍の質問に、蛮はきょとんとした顔で逆に問い掛けた。
「久々にお会いしたんでしょう?こんなに早く帰っても構わなかったのですか?」
せめて顔だけでも見ようと店で待っていた身としては嬉しい申し出ではあるのだが、てっきり今日は銀次の所に泊まるものだとばかり思っていたので少々困惑する。

「顔見せりゃ充分だろ。」
確かに銀次の顔にも蛮の顔にも名残は残っていなかったが、前にほんの数週間離れていた時には同じくらいの期間あちらで過ごしていた気がする。
奪還屋時代のようにいつまででも二人でくっついているかと思えば、今回のように久々の邂逅にも関わらず顔を合わせただけであっさりと別れる事も多い。
彼等の間では通じているから良いのだろうが、赤屍はその辺りが未だによく分からなかった。

「それに、お前が構って欲しそうな顔してるからな。」
紫紺の瞳が悪戯に細められ、唇が三日月の弧を描く。
昔ならばほんのりと染まった頬の理由を寒さや先程のアルコールの所為にしていたのだろうが、この十年で心はすっかり甘く煮詰められてしまった。見つめられて心がざわつくのだって、昔ならば邪眼を危惧しているからだと疑問も抱かず納得していたと言うのに、今では街の光を受けてきらきらと輝くそれに途方も無い愛おしさを感じる。
それでも、恋愛経験どころか真っ当な対人関係すら縁の無い人生を送ってきた赤屍は、自分が図星をつかれて照れているのだと納得するまでに少し時間がかかった。

「なー、赤屍ー。」
はしゃいだように絡められた腕は暖かく、案外接触を好む彼にそういえばおかえりのキスもしていなかったなと今更ながら気が付いて。そう言うのならば構って貰おうじゃないかと細い腰を抱いてほんの五センチ首を傾けた。