懐石


三成がいつものように吉継の部屋の襖を開けると、中央に正座していた紅が怯えたようにびくりと肩を跳ねさせた。
背中しか見えず表情を伺うことは出来ないが、その姿は日の本一のもののふと呼ばれた男からは程遠く小さい。
やがて沈黙に耐えかねたのか、恐る恐る振り返り伺うように三成を仰ぎ見る。両の腕は腹を庇うように交差しており、不自然に膨らんだ懐には何かを隠していることが明確であった。
よりによって刑部の部屋で隠し事など、と怒鳴るのは簡単であったが、当の吉継が愉快そうに目を細めてやり取りを見守っているのだからそういう訳にもいかない。

「……石田殿、折り入って相談があるのですが。」
「何だ。」
やがて幸村の口が開いたので三成が視線だけで急かすと、彼はようよう腕を解き、懐に手を入れる。やがて出てきた手のひらには、一羽の兎が大切そうに抱えられていた。


「……夕飯か?」
「酷いでござる!!」
悩んだ末に問い掛けると、涙目になってそう反論される。半ば本気の言葉であったが、一応酷いことを言った自覚はあるらしく、それはすまないと素直に謝罪をして、取り敢えず腰を下ろし事の子細を尋ねる体制に入った。


「庭で槍を振るっていると、突然この兎が某の胸に飛び込んできたのでござる。驚いて抱き留めるとその後から野犬がやって参りました。犬を追い払ってやったところ、妙に懐かれてしまい…。」
兎は幸村の胸元で気持ち良さそうに微睡み、時折すりすりと頭を擦り付けている。犬猫と違いあまり懐かない生き物だと思っていたのだが、どうやらそれは勘違いだったらしい。

「某に助けを求めてきた者に人も獣もござらん、力を貸すのが上田武士の努め…でありますが、佐助になど言ったら鍋の具にされることは必須。どうにかならぬものかと思い、大谷殿の知恵をお借りしようとこの部屋まで逃れてきた次第。」
上田武士が助けるのでは無かったのか、此方に救援を求めてどうするのだ。貴様が忍びに言い聞かせれば良いだけの話だろう。
と言いかけて、少しだけ己を顧みた。
いや吉継と自分では一応名目上此方が上司にあたるが本来は同等の立場である。武田軍大将代理とその忍のように明確な上下関係を持った二人と比べるのはおかしな話だ。
しかし頭ではそう理解していても、吉継が今日の夕飯は兎の山賊焼きと言えば自分は異を唱えないだろうし、それと同じような心境で忍が兎の包み焼きを作ることを幸村が止められない事を、少なくとも自分が責めることは出来ないのも重々承知している。
どうしようと訴える瞳が増えたところで、遂に吉継は噴き出した。

そして無事に、兎は大阪城の庭に住まう事を許される。