願わくは其の下にて


どうすれば良いか分からず途方に暮れる、など、大谷吉継は産まれてこの方そんな阿呆のような真似をしたことは無かった。
今この瞬間までは。

いや、それでも彼は策士である本性を全力で活用し、現在起きている問題点を順に並べてそれについての対応策を弾き出そうともしているのだ。ただ、あえて言うのならば運が悪かった。吉継自身のか、それともこの男のものか。
「ほんに……だから……ぬしは、暗なのよ…。」
声を出すだけでまるで一緒になって力も抜けていくようだ。しかし、へたりこんでばかりは居られない。この状況をどうにか出来るのは最早吉継一人、たった一人だけなのだから。



「暗…くら。」
大きな体躯をもう一度ゆさぶった。しかしお馴染みのふてぶてしい声も無ければ煩そうに払う腕も降っては来ない。
仰向けに寝ている胸の上に手を置く。先程は包帯越しだったからと言う言い訳をして、爛れた皮膚をそのまま剥き出しの肌に押し充てた。
だが、微かに期待していた鼓動は幾ら経っても手のひらを震わせることはなく、吉継より高かった体温も徐々に失われつつある。
ぎりりと唇を噛んだ後、憎々しげに木偶となった体を殴り思わず叫んだ。
「ぬしの最後の幸福の代わりに、われを不幸にしたとでも言うつもりか!」




黒田官兵衛享年三十某歳、実に見事な腹上死であった。



吉継がまず懸念したのは、こんな現場を三成に見られたらどうしようということであった。官兵衛が死んで悲しいとか悲しくないとかは正直考える余裕すら無い。
初っぱなから騎乗位で飛ばしたのが悪かったのか、それとも口取りの時焦らしに焦らしてヒィヒィ言わせたのが悪かったのか。今日はわれも盛り上がったからナァとそんな完全に間違った後悔をしてしまう程度には余裕が無かった。
乳繰りあった最中に自分を押し潰して死んだなどと知れたら、間違いなく官兵衛はあの友人の手により木端微塵に刻まれる。しかし何年も連れ添った情夫の屍を膾にされるのは流石の吉継でも心が痛み、出来ることならそれなりの埋葬をしてやりたいと混乱した頭で考えていた。

幸いにも吉継には手を触れずとも物を動かす不思議な力があるので、この大きな身体をもて余すこともなく、数珠を使って運ぶ事は出来る。出来るが、いかんせん全裸な上に互いから出た様々な液体がこの死の理由を明白に語る所為で、単に死体を移動させただけでは証拠隠滅を謀ることは出来ない。

吉継の数珠は死人に服を着せられる程器用には動かず、せめて官兵衛自身の部屋…座敷牢なら弖苦乃武零句(テクノブレイク)とか何とかいうことにして誤魔化せたものを、吉継の寝室、それも布団の上で大往生されては言い逃れも出来なかった。

官兵衛が事切れた瞬間、起きやれと言いながら何度も殴り付けた頬をもう一度張り倒す。真っ赤に腫れた顔は見るま無惨な有り様であったが、吉継はもうそんな小事に構っている暇も無く、ただおろおろと狼狽えるばかりであった。
だがいつまでもそうしてはいられない。やがて腹を括ると、裸の官兵衛を数珠で持ち上げ部屋の襖を開けた。その視線の先にあるのは、庭の池。


取り敢えず、洗おう。

軍師の混乱は未だに収まってはいないらしい。周囲に人が居ないのを確認すると、躊躇うことなく官兵衛を池に放り込んだ。
ざぶんという音がして水飛沫が上がる。ついでだから脱ぎ捨てられた着物も洗っておこうかと視線を下げたその時であった。


「冷たっ、冷てぇぇ!!なんなんじゃ一体!!」
大慌てで池から這い上がった姿に吉継は目を見開いた。あれだけ何度も確認した死体が起き上がったではないか。
どうやら冷たい水に突っ込んだ衝撃で、止まっていた心臓が再び動き始めたらしい。
「暗…!」

思わず瞳を潤ませてふらふらと官兵衛へと近付く。官兵衛は珍しい恋人の様子に訝しげな表情をしながらも、悪い気はしないようで細い身体を受け止めるべく腕を伸ばした。

「ぬしとはもう共寝せぬ。」


「え?は?」

近付いた吉継はそれだけ言うと最後にもう一度ばちんと頬を張り、これで枕を高くして眠れるとほっと息を吐いて寝床についた。
訳も分からぬまま振られた官兵衛の叫びが夜の大阪城にこだまするのは、毎夜のことである。


どっとはらい