にくしみさえも霞む

視覚から得られる情報は多いがその反面無駄なものも多過ぎる。
それは音や匂いにも言える事ではあるのだが、いややはり、一番そう無駄だと感じられたのは雪崩のように迫り来る景色であった。

気付けば決して倒れぬと盲目的に信じていた指針が倒れ、今まで心地好く生活していた場所の足場がぼろぼろと崩れ落ちる。
取り上げられては叶わない唯一の名だけを必死に呼んで、呼んで。


私は誰を呼んでいたのだろうか。

秀吉様に縋っていたのだからその御名を読んでいたのが当然だとは思うのだが、憎き敵の名を叫び殺してやると呪詛を吐き散らしていたようなと言われればそんな気もしてくる。非常の事態になった時、私が助けを呼ぶ相手など一人に決まっているであろう。その唯一残った私の心の安寧を、何度も呼ぶ事で少しは気持ちを落ち着けようとしたのかもしれない。


誰を、あの時私は一体誰の名前を呼んでたのだろう。
悲しみか、怒りか、救いか。



ただ一つだけ確かな事がある。私が千切れた心をようやく寄せ集めひととしての思考が戻った時。

「…刑部」
「三成……気付きやったか。」
安堵の息を漏らす男は、人に説教をする以上に食わず寝ずで奔走していたのであろう。見た目にも痛々しく窶れた身体を抱き締めて、奴にしか、奴としか解り会えない不満を不安を悲しみを解きほどいた。

今だけは何も見たくない、腕の中のその色が、憎しみさえも霞ませた。